序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その94
朝食を済ませたオレたちは雇われメイドたちに見送られながら、ゼファーへと乗って行く。夏の太陽がようやく顔を見せ始めたばかりの時間帯なのに、マエスが現れてくれたよ。いかにも眠たそうな顔をしているな。
「これでも、静かに準備していたつもりで、起こさない予定だったんだぜ」
「起こさないも何も、夜通し仕事をしていたのだ」
感心するし、ありがたいことだよ。依頼したのは、オレたちなわけだからね。
「『ツェベナ』の男とエルフのヨメも、働き者だ。お前たちが起きるよりも先の、ド深夜にミーティングを終えて帰路についたよ」
「働き者ばかりだな、芸術家は」
「まったく、その通り。我々は、仕事がタノシイという奇特な生き物だからな。夜通しの作業も、悪くはない……飢えて集中が乱れて来た頃に食うメシの、美味いこと……気の利いたメイドにサンドイッチの差し入れをもらったばかりで、あれは……諸君らの朝食の一部か」
「一緒に食べれば良かったのにねー」
「少女よ、私は仕事をしていて、粉だらけだ」
「そういう気遣いをしてくれなくてもいいんだぞ」
「ん。そうか。まあ、仕事に没頭しておきたくもある。石がな、私に語りかけ始めてくれているからな」
『いしが、おしゃべりするの?』
「するとも。恥ずかしがり屋の連中で、静かにしておかないと感じ取ってやれないが。囁くのだ、秘めたる思想を!」
「……そ、そうっすか。ちょっと自分には、分からなさそうっす」
「おや。残念だ。次の機会にはミスターのヨメたちにも、もっと教え込もう。芸術を知ると良い。支配階級に君臨する者は、それがあった方がいい」
「し、支配階級っすか」
「そう。お前もそうなるんだから、学んで損はない。まあ、支配者でなくとも、芸術を知っていた方が、より良く人生を送れる。楽しいことも見つけられやすくなるのだから」
「それは魅力的っすね!」
「だろう?」
ニンマリと笑う『とんでもない芸術家』は、オレに近づいて来ると右手を差し出す。その手を取り、握手を交わした。働き者の手は、石材の粉がついている。そのほほにもね。
「オレたちも仕事に行く。頼むぜ、アリーチェの像と、『遺作』については任せた」
「任された。そちらも、がんばるがいい―――が、鎧は、着ていかないのか?」
「職人に預けている。後で、取りに行くのさ」
「なるほど。ミスターの動きは、鎧を求めている。だから、早いところ身に着けておくといい」
「鎧を求めた動きか」
「昨日とは、ずいぶんと違うんだ。自覚はなかろうが、それでいいのだろう」
「ああ。意識に上らないほど、自然な振る舞いでいるべきだ」
「武術の達人の言葉は、貴重だね」
「芸術家の言葉もだ。オレに研究すべき課題を与えてくれた。おかげで、より強くなれたよ。この力で―――」
「―――世界を変えて来てくれ」
「そうする」
『とんでもない芸術家』さんの黒い瞳が、オレたち全員を見回していった。
「……『放浪派』は、孤独であることも誇りとしたものだ。しかし、より多くの者とのつながりを自然に成せるのであれば……芸術は進化する。あらゆる種族が、共に在る。それを、当たり前にしてみせてくれ。私も、尽力するから」
「当然だ」
欲しい『未来』は一つだけ。
誰もが生きていてもいい世界。
そのために、『歴史上で最も偉大な男』になるとしよう。歴史上の誰もが、そんな世界を作ることが出来なかったのならば、オレはそれにならねばならんのだから。
難しいことかもしれないがね、不可能だなんて思っちゃいない。オレには、猟兵がいる。それに、帝国どもと戦いながら、大陸のあちこちで多くの『仲間』が出来てくれた。皆がね、力を貸してくれるのならば、『歴史上で最も偉大な男』ぐらい、なれるに決まっているんだよ。
やることは、シンプルだ。
帝国をぶっ潰す。
亜人種と人間族の境界を、越えさせるんだよ。
どっちも、明白な目標だし、方法も見えるじゃないか。帝国軍を倒しまくればいい。差別なんぞ、仲良くするだけで越えられる。ベッドの上で、昨夜も証明できたぜ。
まあ、何だかんだと邪魔者は多いだろうがね、こっちも『仲間』が増えているんだ。皆で戦えば、勝てちまうのさ。
「勝利したまえよ、ミスター・ソルジェ・ストラウス。では、長く引き止めても仕事の邪魔だ。行って来るといい、『パンジャール猟兵団』よ」
『うん!いってきまーす!!』
朝陽が差し込む、湖畔の澄んだ空気のなかで、ゼファーの大きな翼が風をつかむために広げられる。見送ってくれる者たちを気遣うように、やさしく風を翼で掌握し、大地をそっと爪で押し込んで空へと戻る。
西からの風を浴びて、湖の上空をゆったりと旋回の弧を描いた。脚のあいだにいるミアが、マエスとメイドさんたちに手を振ってくれながら……飛翔は加速を深めていく。『モロー』へと戻るため、西へとゼファーの鼻先は向いたよ。
まだ、朝陽が届かない暗さが海上にはあるが―――魔眼の望遠の力が『それ』を見つけていた。商船がひとりぼっちで、『モロー』へと向かっている。帆柱の一つにだけ、帆が張られていて、弱々しい姿でな。風を頼るよりも、波任せと言ったところかもしれん。
「あれだな、ジャン」
「は、はい。海から、感じます」
『このきょりを……すごい!』
「嗅覚だけではないのでしょうね。これも、『呪い追い/トラッカー』という呪術なのでしょう。ジャンくんの力も、きっと、強まっているんですよ」
「そ、そうかもしれません。こ、このあいだ、『呪い追い』をたくさん使ったので。ちょ、ちょっと、また使い方が、ぼ、ボクなりに分かって来たような、気が、す、するんです」
若者の成長は、ありがたいものだぜ。嬉しいし、刺激にもなる。日々、強くなっているというのも、オレたちの武器だ。
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