序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その93


 雇われメイドさんたちの作ってくれた焼き立てパンは最高だったね。こんな早朝だというのに、彼女たちはしっかりと発酵を利かせた生地でフワフワなパンを作ってくれていた。


「ストラウス卿と『パンジャール猟兵団』の皆さまには、しっかりと活躍してもらわなくてはなりませんので」


 『プレイレス』の市民としては、当然の感情ではある。我々は、一蓮托生の身なのだからね。帝国は第九師団も失ったが、依然として大陸の大半の土地を支配し続けている。より徹底的に痛めつけてやらねば、いつ逆襲を受けてもおかしくはないのだ。


 世界は変えられる。


 オレたちにも、ユアンダートにも。


「しっかりと、ゴハンを食べて、元気を補充しておかなくちゃねー!」


「その通りさ!」


 肩車モードを解除して、食卓に着いたよ。皆、すでに揃っている。ガンダラもジャンと共にやって来てくれていた。今朝のジャンは、もう『狼』モードをしちゃいない。


「ジャン、体調は万全だな?」


「はい。は、鼻の調子も完璧です」


「うむうむ。私の煎じた秘薬を使ったのだから、当然であるな!」


「え、ええ。本当に、た、助かりました」


「感謝するといい。そして、恩をしっかりと返すのだぞ。私たちやソルジェに貢献することで」


「は、はい。もちろんですっ。ぜ、全力で、こ、この御恩を、お、お返しいたします……っ」


 恩着せがましいというよりも、生まれ持っての気高さゆえのことじゃある。自分に尽くすことは、名誉なのだと森のエルフの王族は認識しているのさ。セコイわけじゃない。


「わーい!分厚いベーコンエッグが来たー!!フルーツたっぷりのヨーグルトさんもある!!嬉しいよねえ!!栄養満点で、カラフル!!」


「『ツェベナ』の方からいただいたフルーツは、食べきれないほどあるっすからね」


「うむ。メイドたちよ、我々が食べきれない分は、お前たちが持って帰るといい。家の者たちも喜ぶであろうから」


 セコイわけじゃないだろ?王族としての振る舞いとして、正しいってだけさ。尽くされるべきだし、分け与えるべき。それが、王さまとか貴族っていう地位の高い者たちが志すべき思想じゃあるんだよ。


 早朝から働かされた雇われメイドたちも、良い土産を持たせたくもあるのさ。まあ、『ツェベナ』からのプレゼントだから、自腹を切っちゃいないんだが……より多くの者で、美味いモノを食べ合うというのも素晴らしい思い出になるだろう。フルーツを痛ませても、もったいないしね。


「それでは、団長、朝食にしましょう」


「おお。それじゃあ、いただきま―――」


「―――あ、あの!!」


 いきなり立ち上がっていたな。ジャンは風邪が治ったばかりの、鼻をスンスン鳴らしている。その表情には、険しさがあった。


「どうした、ジャン?」


「ち、血のにおいが……近づいて来ています。か、かなり……遠くなんですが。『モロー』の方です……ま、まるで、戦場みたいな臭いで……っ」


「ふむ。団長、襲撃された『ショーレ』の商船のうちの一つが、戻ったのかもしれませんな」


「敵は、ずいぶんと残虐なようだな」


 『戦場みたいな臭い』を、商船から漂わせるか。激戦に慣れているジャンに、険しい顔をさせるほどの血の量ともなると、襲撃の方法そのものがスマートさを欠いている可能性は高い。


「あ、あの。知っていましたか?だ、だとすると、ご、ごめんなさい。いきなり、朝食のときに……」


「謝る必要はない。情報を教えてくれたし、何よりも、お前のコンディションを確かめられたことは大きい。今日は、活躍してもらうことになるぞ」


「は、はい!お任せください!……これは……この……臭いを、『作った』ヤツは、許すべきじゃないですから……」


 強力無比な『狼男』の嗅覚によって、ジャンにはその惨状が見えているようだ。いつもの穏やかさは消えている。悲惨な殺戮が行われたことは、とても悲しいことではあるものの、その殺戮に怒りを早めに向けられるのは、良い傾向だよ。


 使命感を得られる。


 警戒を、高められもする。


 ……前もってね、どんな惨状なのかを予測できていれば、その現場に遭遇したときに過度な感情を抱かなくても済むからね。怒りをコントールしながら、分析して追跡すべきだ。なぜならば?


「生存者もいるはずだ。捕虜にされた者たちもいる。助けてやらなくてはな」


「……はいっ!」


 そう。冷静な追跡者になる必要もあるのだ。怒りは、30分は冷静さを忘れさせてしまうものだから。この美味しくて健康的な朝食の前に、怒りを感じておくのは、良いタイミングとなるだろう。


 食事が終わり、オレたちが帰還した商船を確かめるために『モロー』の沖に到着するころには、少しだけ怒りは消えている。昂って暴れるような怒りではなく、静かに行動力へと変換できる、実に生産的な怒りへとなっているだろう。


 ジャンは、『パンジャール猟兵団』にとって、最良の発言をしてくれていたということさ。この距離感のある怒りが、我々に適切な心構えをもたらしてくれる。


「さて、メシを食おう。良い仕事をするためにも、我々は食う義務があるのだから」


 猟兵の時間が始まる。


 休暇は終わりだ。これからは、いつもみたいに血なまぐさい戦場の風のなかで動く。


 そのためにも、しっかりと美味しい朝食を腹いっぱい詰め込んでおくのさ。




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