序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その90
ギチギチと『牙』を鳴らすアーレスからは、強烈な熱量が放たれている。とてつもない殺気もな。だが、ここには敵とするべき者がいないことを悟ったのだろう。『牙』の列は、ゆっくりと刀身の奥底へと吸い込まれるように消えていった。
「……何とも面白い剣だな」
マエス・ダーンはこちらをじっと見つめながら評価してくれる。
「ああ。美女にそう褒められて、アーレスも喜んでいる。この竜太刀に融けた、オレの竜。いや、ストラウス家とずっと一緒だった、ストラウス家の竜はね、女性にやさしい紳士な竜だったから」
「竜が、それに宿るわけだ。『呪いの鋼』の一種というわけか」
「詳しいな、さすがはマエス」
「興味深いものを知覚させてもらえた。だが、仕事に戻る。いい刺激にはなった。『奇跡の少女』が乗っていた竜……色こそ違えども、それから感じられた気配は、参考になる」
「だろうな。こっちも、年寄りだった。千年は生きちゃいないが、三百年は生きていたよ」
「いつか、また、じっくりと聞かせてもらおう。この感覚が途切れてしまう前に、構想を練るべきだからな」
「ああ。そっちの仕事に戻ってくれ」
マエスの集中が、再び石材たちへと戻る。アリーチェの像を作るために……もしかしたら、その願いに応えて力を見せたかったところもあるのかもしれない。偉大な古き竜を、若すぎるゼファーから想像することは難しいが、アーレスならばうってつけだから。
でもね。
覚えた。
『呼び出し方』は、覚えている。わずかに『それ』を試すとね、刀身が波打つように動いてくれたよ。うちの『歴史』を、アーレスがすぐ傍にいるように感じて魔力を使えば、竜太刀はさっきのように化けてくれるだろう。
これだけでも、恐ろしい発見だが―――まだ、すべきことはある。
「レッスンの続きを、頼む。もっと、強くなりたい」
「……どこまで……って、そうか、『歴史上で一番』なのよね」
「それに見合う器をストラウス卿はお持ちでしょうから。私の持てる限りの技巧をお教えてしたい。次のレッスンは、敵兵がしてくるであろう感情を帯びた動きです。感情がどれだけ間合いに影響を与えるか……それを、具体的な間合いでお教えします」
「……また、難しそうだけど、ストラウス卿はピンと来るわけね」
「少しはな」
「それで、十分です。とっくの昔に感じ取っておられることを、より整理して理解することで、効果的に運用しやすくなるだけのことですから」
ニコニコした顔で、演劇の達人はオレにそれらを教えてくれる。感情というものが、どれだけの間合いを『好む』のか……記憶にある戦いの記憶と照らし合わせると、恐ろしいまでの一致が、ロバートが自分とオレとの間で作り出す距離には見られたよ。
ヒトってのは、意外なまでに感情と間合いを一致させていることを確認できた。これからは、より精確に敵の動きを読めるだろう。
「戦場という場所は、極限状態ですから。誰もが、感情や戦神力を昂らせています。心の力がいっぱいになって、体がそのあとについて動くわけです。これは、演劇と完全に同じ仕組みではあります。それを、読み解いてみてください」
戦場でオレに向けられるであろう感情、『敵意』、『怒り』、『迷い』、『警戒』、『恐怖』、『期待』……そういうものを読み解くための『基本的な姿勢』と、それらが最も『好む距離/間合い』……あとは、オレの姿勢で、それらへ対処する方法というものを教わった。
一気に覚えるのにはガルーナの野蛮人のアタマじゃ無理―――ということにはならなかったんだよ。ロバートの予測していた通り、とっくの昔にオレは知っていた。記憶していたんだ。それらと一致させることで、使い方を洗練できたのさ。
敵をより感じ取れるようになったし、敵へこちらの『気配』をより強く押し付ける方法も把握した。今まで以上に、『すべきことが見えるようになった』わけだよ。こいつは大きな成長なんだぜ。
「全ての人物は、常に一定の演技めいたことをしているものです。それを、ちゃんと本能は読み解いているからこそ、ヒトは演劇を理解できもする。演劇や戦場は、日常より単調ですが、純度が高くなっていますので、コツさえつかめば、読めますよ、多くの『気配』を。そして、敵を脅す圧もより強くなり、仲間を励ます力も同じく強められるのです」
「……一気に全てを使いこなせそうにはないが、鍛錬をしていこう」
「はい。そうしてください。また、このコツを簡潔にまとめたテキストを贈らせていただきますので、ご確認ください」
「協力に感謝する。猟兵の技巧に、さらなる洗練が加えられるだろう」
ガルフがあの世で大喜びしているとはずだぜ。猟兵が、この力を完璧に覚えれば……戦場をさらに深く、ほぼほぼ完ぺきに把握することだってやれるだろう。戦闘は、芸術とは違って、より単調で乱暴だからね。
把握が不完全であったとしても、力尽くで相手に行動を強いられもする……まあ、現状以上に強くなることはあっても、理解できずに混乱して弱まることもないさ。戦闘がコミュニケーションの一種であるように、演劇の技巧もまた同じ。相性が良い部分があるのも、当然というわけさ。
「……雨が、止んだな」
「ええ。ストラウス卿は、休暇を再開したらどうかしら?」
「そうさせてもらうよ。明日は、朝から早く南東に向かうことになるだろうからね。それに、バカのアタマじゃ、これ以上のレッスンは無理だ」
のんびりしておくことにするよ、心も体も。
どうせ、すぐにまた全力で使うことになるし……。
雨が止んだことを喜ぶ足音も、近づいて来てくれている。
「お兄ちゃん!雨、やんだー!」
お兄ちゃんの義務として、妹としっかり遊ばなくちゃね。竜太刀のカッコいい『牙』も見せてやらなくちゃならないしな!
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