序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その88


「では。レッスンを続けましょう。可能なら、私が知る限りの全てのことをお教えしたいのですが……四十か月はかかりそうですからね」


「役者の鍛錬というものも、ずいぶんと奥深いものだな」


「幅広く知らなければならないことがありますら。なので、まずは相手の気配を把握するための技巧を。私としては舞台の上か、人間観察のための市中の散歩のときにしか使えませんが……ストラウス卿ならば、戦場でも使えるのかもしれない」


「どういう感覚なんだ?」


「舞台の役者と、舞台に置かれた演劇のための小道具……それに、やろうと思えば観客も把握できますね。観客は、あまりに意識し過ぎると演技に支障が出てしまうので、あまり細かくは探ったりしませんが……舞台にある全ての存在は、感じ取れます。何処に誰がいて、何処に何があって、それらがどう機能しようとしているかを……言語化するのは難しいんですが、平たく言えば、必要なことは全て、感じられますね」


「難しいわね」


「うん。難しい。私も極めている途中だと思う。こういうのは、女性の方が得意だったりもするしね……アリサ・マクレーンも達人だったよ。私よりも長く、演じていたこともあって……」


「惜しい人物を亡くした。しかし、その技巧は伝わる。お前や……オレにも」


「ええ。この悲劇のなかでは、とても生産的で前向きな考えです」


「やり方を教えてくれ。どうやって、感じ取っている?」


「『とても素直になることです』」


「……えーと、それだけ?」


「なるほど」


「通じるんだ!?……分からない。達人って、ヘンテコなのね」


「まあな。自覚は少しばかりある」


 世の中のほとんどのヒトってね、武術の腕を一生涯に渡って磨き続けたりもしなければ、舞台の上で演技するために人生のほとんどを費やしたりはしない。我々は、ずいぶんとヘンテコなんだが……それだけ必死に一つのことを追いかけていると、得られる教訓も似ていることだってあるのさ。


「『素直になる』……難しいな」


「感じるままに在ることは、とても困難な行いですからね。ヒトは、知性も常識も使ってしまう。ありえない状況が起きているのに、それを受け入れられずに思考停止するから、手品だって楽しめているんですよ」


 役者は器用だった。


 手のひらの上にコインを取り出して、指でギュッと握ってみせた。指が開くと、消えていたよ。


「何それ!?」


「エルフの動体視力を上回ったか。いい宴会芸だ」


「ええ。宴会芸どまりです。見破られているので、私はマジシャンにはなれそうにありませんね」


「見破ったの、ストラウス卿?」


「中指と薬指のあいだにはさんでいる」


「え?」


「そうです。絶妙な指の使い方ですけれどね。指を閉じるときに薬指で、引っかけるように起こして、指の間にはさみました。そして、ゆっくりと全身を密かに動かすことで、指しか動いていないように見せかけて……コインを動かせる程度の動きを組み上げていたんです」


 手首を返すと、手品に消えたはずのコインが見えた。ちゃんと中指と薬指のあいだにいたよ。


「こういう技巧は、素直に現実を感じ取り分析することで、理解しやすくなりますよね」


「私は素直じゃないのね」


「マジメなのさ。エルフの女性は。『ちゃんと手品が起きていそうなところだけ見つめていてやった』」


 役者が満足そうな顔をしてくれる。オレの言葉がレッスンで教えたいことの一つだったということさ。『素直に感じ取る』ということは、『常識的な集中を使う』こととは同義ではない。なかなか、ヘンテコなハナシじゃある。


「でも、騙されちゃった。割りと、単純な手品なのに……」


「ストラウス卿は、『私の全身の動きを感じていた』んだよ。だから、騙されない。全身を見ているから、肩や膝に起きた不必要な『変な動き』を率直に変だと思えて、ちゃんと怪しめた。だから、正確に分析できた。ストラウス卿は、もう使っているんですよ、私が教えるべき技巧を」


「だが、洗練したいんだ。頼むぜ」


「もちろん。この技巧は、私たちの流派では『受容』と呼ばれています」


「受け入れるからか」


「ええ。五感も魔力も……そして、知識や記憶というものも使いこなします。多くのコツはありますが、とても難解で、誰にとっても受け入れがたいコツが……」


「拒絶しない」


「その通り。とても、難しいことですよね。敵意をもつ気配もあれば、自分が好ましいとは到底思えない気配もあるものです。ですが、それを遮断することなく、我が身に受容して、適切に振る舞うべきを選ぶんです」


「何言ってるのか、私には伝わらないけど……ストラウス卿には、伝わっているわけね」


「まあな。ついこないだも、受け入れがたしを受け入れたら、死ぬほど強くなれたんだよ」


「どういうことがあったのかしら?」


「9年間、敵視し続けていた……ファリスの古い剣の技巧を、自分に受け入れた」


「ファリス帝国は……ストラウス卿の絶対の敵ね。なるほど。受け入れるってことは、難しいわね」


「だが。それを受け入れられれば、強くもなれる」


「その通りです。『素直に在るがままを感じ取る』、『拒絶しない』……他者から感じ取れるあらゆることを、遮断せずに理解していく。これは、ヒトの心にとっては、恐ろしく難しいものです。信条、過去、願望、痛み、快楽、欲望……人生の原動力となるあらゆるものが、阻害して来ることだってあるんですから。でも、それを、越える」


「……そんなの、とても、ムリそうだけど。コツは?」


「演劇では、自らの精神的な器……スケールを大きくすることです」


「スケール大きく、ね……じゃあ、ストラウス卿の場合は、どうなるのかしら?」


「そう、ですね……満足せずに、野心を持ち続ける」


「安心しろ。それは得意だ。歴史上で最も偉大な男になると、決めたばかりだからな」


「……っ」


「ならば、安心ですね」


「はあ……ヘンテコね、私の旦那さまも」


「見合った実力のある本気の言葉は、ちゃんと素直に受け入れるようにしているんだ。演劇の賜物だよ」




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