序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その83


 この部屋のテーブルに置いていた薬草袋に指を突っ込むリエルがいたよ。強烈に苦い薬草の出番となるかもしれない。良い薬草ほど苦さがあるものだから。美味い昼食の余韻をジャンはまだ感じていたかもしれないが……『狼』の顔を引きつらせつつも、覚悟を固める。


『お、お願いします。リエルさん。こ、コンディションを完璧にして、仕事に差し支えないようにしたいんです。きょ、今日も……誰かを追跡するのであれば、お、お役に立てるはずでした』


「気に病むでない。我々は助け合えるほどには数がいるのだ。まあ、そういうコトを気にしているわけじゃないか」


『は、はい』


「焦りは良くないが、仕事熱心なのは評価すべきだ。強烈に苦いやつを作ってやるから、しっかりと治すのだぞ!」


『い、イエス・マム!!』


 古来より主治医の治療を拒むヤツってのは大勢いるようだけど、当然ながら専門家の助言に従うことは正しいもんだ。ジャンは目玉を力強く閉じながらも、苦い香りが漂ってくるであろう薬草袋の方から鼻を逸らすことはない。苦さと戦うときってのは、ああいう覚悟もいるもんさ。


 部下のやる気を見れば、猟兵団長も労働意欲を燃やせる。すべきことをしに行くのさ。馬に二人乗りしてやった来たカップルと会わなければならん。廊下に出ると、大量のタオルを抱えたメイドと出会う。さっきのメイドとは別人で、雨の外から戻った我々のためにタオルを配る仕事を担当しているようだな。


 ちょうといい。


「サー・ストラウス、こちらをどうぞ。しっかりと乾いたタオルですよ」


「ああ。ありがとう。でも、オレのじゃなくて、客がまた二人来るから、彼らの分をもらっていくよ」


「まあ。それでは、お出迎えしなければ」


「オレがするからいいさ……というより、君の仕事を奪うかな?」


 従者の仕事というものは役割分担が明瞭なものだよ。それぞれの仕事に誇りと責任を持っているからこそ、担当すべきことを外されたら屈辱に感じることもある。イレギュラーな仕事を要求されても、それも当然ながら職業への冒涜となるんだよ。


 彼女は出迎えることに職業的使命を燃やしているかもしれないから、こういう質問もすべきだと感じた。


「うふふ。いいえ。そんなことありません。きっと、サー・ストラウスが考えておられるよりは、我々は柔軟ですよ」


「やはり、単調な男の心はいつでも女性に見抜かれるようだ」


「お気遣いありがとうございます。実は、『モロー』のメイドは、もう少し冷たく扱うのも礼儀なのですわ」


「冷たくかい?」


「ええ。そちらの方が、仕事だけをしていられますから……でも、嬉しさもありますね」


「ならば、オレの流儀は嬉しい方にしておこう。無礼でも、喜びが生まれるのなら構わんさ」


 おしゃべり蛮族野郎なんで、どうしてもヒトとの会話が好きなのさ。ガルフも……あと、お袋も言っていた。『家に仕えている者をちゃんと見ろ』。組織の強さは、そういうところでも評価できるもんさ。


 タオルとスマイルを受け取って、階段を降りる。馬の足音が聞こえて来たから、ちょうどいいタイミングだったらしい。あちらがドアを開けるよりも先に、こっちで開けた。


「クロエ、ロバート。雨のなかを、よく来てくれたな」


「……サー・ストラウスはスゴイわね。魔法の目玉で見ているの?」


 馬上から飛び下りたクロエは、小走りで玄関のなかへと入りながらオレに抱いている印象がどんなものかを匂わせてくれた。


「そんなに万能じゃないよ。ほら、タオル」


「ありがとう、紳士さん」


「ロバート、馬小屋は向こうだぞ。使用人は雇われメイドばかりだ、雨に打たせるべきじゃないな」


「そういう紳士的な態度は、好ましいことです。では、ちょっと行って来ます。クロエ、また、あとで」


「一々、離れる度にそんなこと言わなくていいのよ。嬉しいけどね」


 そう言われると男の方だって嬉しいもんだ。初々しい婚約を成したばかりの男の照れた横顔を見送る。馬の乗り方も、よく鍛えてあった。まるで、王さまか貴族のような騎乗姿勢であったよ。役者らしい乗りこなし方かもな。戦場ですれば、良家の御曹司と思われるかもしれん。多芸なもので、感心する。


「……それで、サー・ストラウス」


「ああ。君らが来てくれた理由は、アリサ・マクレーンの事件だな」


「ええ。解決してくれたみたいだけれどね。貴方は、本当に忙しい方みたい。休暇のはずなのに、そんな事件に巻き込まれてしまうなんて」


「器が大きいと、色々と背負いこむべきものも増えるもんでね」


「……みたいね。でも、礼を言うわ。エルフ族の一員としても、『ツェベナ』の役者を愛した者の一人としも……それに、人間族と結ばれたエルフとしても。仇を、取ってくれたことが本当に嬉しい」


「君らかと、思って心配した。君らでなかったことが、幸い……とも、言い切れないがね」


「悲劇って、そうよね。完全な解決法なんて、見つけ出せはしないのよ。でも、犯人を捕まえられたことは大きいわ。おかげで、憎しみを明後日の方に向けなくて済むもの」


 エルフの瞳が雨を見る。


 人間族の全てを、彼女は許せちゃいないし、許す必要もなければ、許すべきだってオレは思わんよ。奴隷にされて、モノとして売り買いされた。そんな屈辱は、永久に忘れられるはずもないのが率直な事実だろうから。


 だからこそ。


 犯人の速やかな逮捕は、有効だった。憎むべきを特定し、無限の容疑者……おそらく人間族の全員……に、クロエは向ける必要がなくなったのだから。


「誰も彼もを、憎みたくないよ。人種が違うからってことだけで、そういう憎しみや疑心を無差別に使いたくないわ。私は……ロバートと一緒にこれからも生きるのだから」




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