序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その80
素晴らしい食事の時間が終わったころには、湖畔に降る雨が止んでいた。
食休みの時間を過ごしたあとで、皆で『カルロナ』の街並みを歩くことにしたよ。
凄惨な殺人事件と、この雨の影響もあって、たくさんの市民が歩き回っているというわけじゃないがね。湖畔に並ぶ美しい屋敷の数々を見物するだけでも、面白さはある。
「どれも、お屋敷の形が違うねー」
肩車されたミアがそう指摘してくれた。マエスは、喜んだよ。
「ミスターの妹は、良い視線の持ち主だ。全ての屋敷が、個性的であることを目指しているんだよ」
「帝国の植民地なんぞとは、違うというわけだ」
「ミスターの目も良い。そう。合理的なだけでは、個性は育たないものだ。帝国というものは、歴史という固有の記憶を奪おうとしている。それが、合理的で、強くもあるからだ。皇帝は、それを信じているのさ」
「『死貴族』たちも、嫌っていた。かつては、見える通りの世界や人物を描く文化から、今では……」
「過度に飾り立てた媚びる絵や彫刻を好むようになった。宣伝に使うためにだ。支配のために、ありのままの形を歪める。それを、皇帝は選んだ。かつての、『古王朝』の支配者たちも」
「どちらも、滅びる」
「そう。ミスターが滅ぼしてくれるだろう。見るがいいよ。この個性的な屋敷をね。異なることが生む尊さを、お前はとっくの昔に知っているだろうが……もっと、複雑に感じ取っておくといい」
「良い猿山の主になれるかな?」
「なれる。私の目を、お前は信じてくれるだろう」
「もちろん」
「ならば、そのまま道を行けばいい。厳しい道ではあるだろう。政治的な立場というものは、よく動いてしまうものでもある。それでも、その中心にいる者は、揺らいではいかん……ハハハ。どうにも、レッスンばかりしてしまう。すまないね、休暇なのに」
「君に躾けてもらうのは、楽しくもあるよ。知性が足りない野蛮人なものでね」
「知識が足りぬという自覚があれば、どこまでも多くを吸収するよ。そうでない真の愚物を多く見て来たこのマエス・ダーンが保証してやる。いい王になれよ。多くの者を、幸せに導けるような王に」
「ああ。歴史上で一番あたりを、目指すとしよう」
誇大妄想ってわけじゃないよ。目標はデカい方が良いし……人種の差別がなかったガルーナ王国を再建する……だけじゃ足りない気がしている。世界そのものを、変えなくては多くの者が救えない。
亜人種も。
亜人種と人間族の『狭間』も。
皆が生きていてもいい世界というのを、誰も実現しちゃいないわけだが。そいつを成し遂げる、クソデカい男になりたいんだ。
「賢いヤツと話すと、自分の本当の感情を知れていいよね」
「芸術家の仕事さ」
ニンマリと笑う彼女は、本当に『とんでもない芸術家』だ。知性に劣る野蛮な山猿みたいなガルーナの野蛮人に、新しい目標を与えてくれた。『歴史上で一番偉大な男になろう』。非常に具体的な目標だよね。
……綺麗な街並みに、心安らぐ大きく静まった湖。
芸術家志望なのか、それともただの素人なのか、丘の上に若者たちが集まっていた。彼らは勢いよく筆を走らせて、『カルロナ』の景色を画板に叩きつけているようだったね。邪魔しちゃ悪いから、見せてもらいに行ったりはしない。
天気も、良くないからね。
夏の午後らしく、もう一雨来そうだ。絵描きをするには、急がなくちゃね。
彼らに分かれを告げて、林のあいだを縫うように走る小路を歩いた。雨上がりの蒸し暑さのある林ではあるが、ここにも彫刻がたくさんある。『プレイレス』に伝わる神話の登場人物たちだ。
筋肉質な大男の像の前では、お兄ちゃんも力こぶを作るし。
博学な女賢者の像の前では、ちょっと畏まったりもする。バカな男は賢い女性に弱いもんだからね。
「……ソルジェよ。そろそろ、雨が降りそうであるぞ」
「そうだな。楽しい散策も、雨でびしょ濡れになってはしまらん。戻るとしようぜ」
向かったのは、サウナのある屋敷だけどね。
あくまでも荷物を取りに行っただけだよ。すぐにゼファーのところへとすぐに行き先を変える。
『みんなー、おかえりー!』
「たっだいまー、ゼファー!」
ミアに鼻先へと抱き着かれ、ゼファーは幸せそうに瞳を細める。
『やけたおさかなの、においー』
「さっすがー。お魚食べたよ、イワシなの。パン粉をくるんでいるの、フツーとは逆に!」
『よかったねー』
「うん。最高だったよ。好きな料理がね、また一つ増えちゃったもん!」
作った者たちに聞かせてやりたい言葉だったが―――まあ、この場に彼らはいないから、あきらめるほかにない。
彼らをわざわざ呼びに行く時間もないからね……。
「雨が、降り始めましたな」
「ええ。ソルジェさん、ゼファー」
「おう!」
『みんなー、ぼくのせなかに、のってねー!!』
白と灰色がぐるぐるに混ざる曇り空から小雨が降り始めて、また雨音が始まった。だが、大丈夫さ。ゼファーの翼ならば、服に雨が染み込むよりも早く、ジャンの待つあっち側の屋敷へと到着するに決まっているのだから。
蹴爪が湖岸のやわらかな土に、大きな跡を刻み付ける。加速を帯びたゼファーは、勢いを乗せた跳躍を使いこなして空へと戻った。
風を拾って加速するために、大きく右旋回していると……地上で、見知った影が動く。
衛兵隊長だったよ。
湖岸にいるゼファーに向かう我々に気づいて、見送りに来ようとしていたらしい。竜太刀を振って、あいさつをした。向こうも、サーベルを掲げた。敬意は互いに伝わっただろう。古風でガンコそうだったが―――正義を知る男だ。また、機会があれば話してみたい男が一人増えたよ。
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