序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その79
『パン粉のイワシ包み』に『コーンの冷製スープ』、『チキンと夏野菜の冷製パスタ』。そのどれもがオレたちの舌を楽しませてくれたよ。
「もぐもぐっ。イワシのお肉の奥から……もぐもぐっ。うんまくて香りのいい油が……あふれてくる……っ。もぐもぐっ。これは、うんまいいいいいいいいッッッ!!!」
「『古王朝』の王侯貴族が愛した味の再現ですからな。なかなか、趣のある味です」
「ガンダラちゃん、お気に入り?」
「ええ」
ガンダラにしては珍しい傾向だ。好みの料理を語ること少ない。巨人族は見かけによらず小食な者も多くいて、ガンダラもその例外に漏れることはなかったのだが。
「味も美味しいのですが、背負っている伝統というか、歴史が気に入っているですよ」
「なるほどー。私は、味!……わー……っ。フォークで突き刺して、持ち上げると、金色の油が……たまんない!いっただきます……もぐもぐっ!」
笑顔で『パン粉のイワシ包み』に夢中になっている妹を見ると、お兄ちゃんは幸せでいっぱいになるよ。
それにね。オレも、この料理は好きだ。イワシが上品な味に仕上がっている。
イワシという魚は、もっと雑な食材だと思っていたが。風味を工夫するだけでも、ずいぶんと印象が変わるものだよ。
オーブンから出て皿に盛りつけられるとき、カットしたオレンジで『包み』をはさんでいるんだが、その風味とも合う。
勉強になるよ。
世の中には、知るべきことがまだ多くあるってことを思い知らせてくれる味でもあった。イワシを素晴らしいと思う日が来るとはな……貧乏くさい魚という認識は、改めなくてはいけない。
何せ、この上品な白ワインと合うんだからね。
「はあ。最高だな。『プレイレス』のブドウ畑は優秀だ。いや、作物全般が優れている」
桃も美味い。オレンジも美味い。豊かな赤土に恵まれているだけではなく、農業の技巧と知識そのものが洗練されている。歴史というものがあることは、強さだね。
料理の組み合わせも考えられているのだろう。意味のないことを、『プレイレス』の職人たちが選ぶとは思い難い。夏野菜がたっぷりの冷たいパスタを、フォークでぐるぐる巻きにして食べてみたよ。新鮮な酸味が馴染んだパスタの美味いこと。イワシと共に得た美味いがどうしても濃さのある油の甘味―――そいつを、トマトの果肉が忘れさせてくれる。
「コーンのスープも美味しいっすよ」
「うむ。やさしい味である。ソルジェよ、ワインをがぶ飲みする前に、ちゃんと飲んでおくといい」
「胃袋にやさしそうだからね」
そういう計算もされていそうだ。サウナがある屋敷だから、水分摂取はしっかりとってことかもしれない。
実に飲みやすさがあったよ。夏のサウナ上がりで、疲れた体にしっかりと染みる。やさしくてトロトロした甘味は、胃袋を過度な疲れから守ってくれるのさ。ワインのアルコール成分からもね。フレッシュで、若さのあるワインじゃあるが……度数もそれなりにある。
良い意味でひんやりとしたスープとパスタと、こいつは合うぜ。
「ワインを飲めるのが、オレとロロカとガンダラだけなのが残念だな」
「そうですね。でも、フルーツのジュースも美味しそうですよ」
「おいしいよー!あまあまでとろとろの、ジューシー!」
妹のかかげたグラスのなかにある、果肉も浮かばせた濃厚なジュースは確かに美味そうだった。あとで、一口ぐらいもらいたくもなるが……それでも、ワインには勝てんよ。ガルーナの野蛮人の舌は、アルコールといつだって仲良しなんだからね。
「……ジャンはもったいなかったな」
「案ずるなよ、ミスター。『ツェベナ』の男が、『カルロナ』の料理人に依頼したのだから問題はない」
「どういうコトっすか?」
「連れの者にも、ちゃんと同じ料理が届けられているということさ」
マエスの言葉を確かめるように、ニコニコ顔の職人に視線を向ける。ゆっくりとしたお辞儀で伝えられたから、安心だね。
「君らは、今日の食事という良き思い出を共有できるというわけだよ。さまざまなレジャーが用意された土地だ。各々が、別の趣味のために離れ離れになっていたとしても、一つの料理が記憶に残る。旅の思い出が、バラバラだなんてことはつまらないだろう?」
「ありがたいぜ」
多くの気配りをしてもらっているということだ。大切にされてはいるんだよ。『ツェベナ』とも縁深くなってしまってはいるからね……。
「ジャンも、この美味しい料理を食べられているんだね。良かったー」
「フフフ。まあ、風邪引きには、多少のメニューのアレンジもあるだろうがね。コーンのスープは温かくても、夏風邪のときには良いものだよ」
「私の薬も飲んでおるから、しっかりと寝ていればそろそろ治っているだろう。ジャンは風邪引きやすいが、治りやすい」
「『狼男』ならではの特徴なんすかね?」
「普通のケガも治りやすいようですからな。そうなのかもしれません」
「頑丈なのか貧弱なのか、分からないところがあるよね!」
「それも、ジャン特有の愛嬌ってものさ」
あの大きな湖の反対側にいても、分かることもあったぜ。ワインを見つめながら考えるんだよ。ワインの味わい方とかを、どっかの赤毛の野蛮人がちょっとだけ教えていたから。それを思い出そうとして、考えたりしながら口に含む。
見た目と香りとは違ってね、意外と度数が高いから。すぐに酔っぱらって、眠っちまうさ。そうすれば、一汗かいて目覚めるころには夏風邪も治っているだろうよ。
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