序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その78


「わーい、焼けて来てるー!」


 椅子の上で踊るミアがいた。感情が昂っているんだよ。オーブンのなかで、熱に炙られて変わっていく香りを楽しむというのは最高のぜいたくだ。とくに、腕の良い職人の作る料理には芸術的なものがある。


「どんどん風味が完成されていくって印象だな」


「そうだ。面白いものだろう。ミスターも料理を作るらしいが、腕前は遠く及ぶまい」


「本職に勝てるなんてことを思わんさ。でも、研究はしたいところだ」


 学問に対しての情熱は、それほど持てない。しかし、料理は別腹だ。


 ロロカ先生とガンダラが教えてくれたように、料理には多くの歴史が含まれているらしいからね。学べたよ。『プレイレス』というか、今回の場合は『古王朝』の食文化かな。


 偉そうなヤツが独占していた食い物を、民衆に広める。


 まあ、素材が希少すぎて足りないってところはどうしようもない。妥協して、別のものになったりするのも現実だ。希少な鳥とは全く異なり、イワシならいくらでも中海で網にかかってくれるだろうからね。


「お兄ちゃん!次の料理も……完成しようとしているよ!?」


「そうか。で、なんだ?」


「ゆでたパスタを水で冷まして……チキンと……なすびと、トマトと……枝豆さん!」


「……冷製パスタってところか」


「ニコって笑った!!正解したみたいだよ、お兄ちゃん!!」


「やったぜ!」


「あとね……コーンのにおいがする」


「組み合わせ的には、スープか」


「そうみたい!大きな鍋があるよ!もう出来ていたやーつを冷ましていたんだ!!」


「冷たいコーンスープか。いいねえ」


 サウナ上がりじゃあるし、そもそも真夏だ。林に囲まれていて小雨が降る湖畔の別荘地ってのは、当然ながら涼やかじゃある方だが……夏の太陽に勝てるはずもない。曇っていても、十分に暑さはあるから。冷製スープは嬉しいところさ。


「お酒もあるっぽいよ。あとね、私たちのためにフルーツのジュースも欲しいなー?」


 ミアのおねだりに、職人はうなずいたんだろう。


 喜ぶ声と、喜びの踊りが椅子の上で始まっていたから。


 ナイフを使う音がした。果実の皮を剥ぎ落す音と、果実をざっくりと真っ二つにするジューシーさがある音。水分たっぷりのフレッシュなやつが、職人のナイフで切られて、しぼり取られていく。


 甘さたっぷりの果汁のジュースが完成ってわけだよ。


 いい音と、いい香り。


 燃える薪が放つ鳴き声と、熱を帯びて変わっていく風味。


 素晴らしい時間だった。マエスのレッスンを受けていたおかげで、二倍ぐらいはこの時間を楽しめているよ……。


 食器を用意する音が聞こえる。職人の弟子の若者たちが、戦士を相手するには少しばかり丁重さが多すぎる所作でテーブルに食器を並べていく。


 オレはね。


 知っていることがあるよ。


「『ショーレ』の皿か?」


「ええ。ストラウス卿。今日、使っているのは全て『ショーレ』の食器です」


「なるほど」


 ラフォー・ドリューズの『ショーレ』の商品の一つだ。彼の店で見た。オレたちが、どういった勢力を組み上げているのかは周知の事実ということか。気配り上手というか、慎重さは意識されている。嫌じゃないよ。むしろ、『仲間』の売っている皿ってことは喜べる。


 まあ。『ショーレ』らしく、熱い紅茶も用意されているんだろうなとは、思ちまったな。そして、やっぱり登場した。『ショーレ』製の磁器のポットが。期待通りに、熱々らしいよ。


 冷ましてからも、飲めるけどね。食前に用意されたということは、料理人たちのオススメとしてはそっちだろう。


「わーい!お兄ちゃん、釜からイワシが出て来た!!」


「完成らしいな!」


「うん。あ。私も、お行儀よく席につかなくちゃだね!」


 猫の動きを模したものさ。脱力して崩れるように椅子から降りる。音を消した着地は、見事なものだ。チラッとそれを見ていた若手職人の目が驚きに見開かれていたよ。『どうやったのか分からない』んだろうさ。


 ちょっとしたイタズラにもなるし、やっぱりワーカホリック気味ではある価値観だけど、『鍛錬』にもなるから良いことさ。ミアも鍛えたがっている。たぶんだけどね、マエスに触発されているんだと思うよ。


 『とんでもない芸術家』ってヤツと交流できた。こいつは、とんでもない財産になるだろう。芸術家たちとは、各地で会ってもいるがね。マエスは『教師的』なところがあるんだよ。『放浪派』でありながら、それを構成する亜人種でもなく人間族だからな。


 一種の孤独があるのかもしれん。


 孤独な者は、『仲間』を求めるものだよ。変わっているヤツほど、変わっているヤツじゃないと一緒に並び立つなんてことも出来やしない。『とんでもない芸術家』には、『パンジャール猟兵団』は打ってつけの『同種』だ。


 有益な技巧と知識を、オレたち猟兵ほど貪欲に求めている者もいまい。


 そして、マエスは逆に『示したがっている』んだよ。芸術家の役割は、見え方を与えることだから。オレたちとは、どこまでも馬が合うってわけさ。


 さてと。


 料理が並んだ。にこやかな料理人たちも並び、敬意を動きで示す。『お楽しみください』ってわけさ。だから、楽しもう。この素敵な休暇の昼飯をね。


「いただきます!」


「いっただきまーす!!」




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