序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その77
……素敵な居心地の音楽会が終わった後は、ヴィートが手配してくれた料理人の出番だったよ。一階にある食堂は広くてね、大きな食卓に着いた我々の視線は、縦にも横には幅の広い窓越しにキッチンを眺められた。
「一流の料理人は、調理の光景すらも芸術ということかよ」
「ミスターも、だいぶ芸術が分かるようになって来たようだ」
「正しい認識だったか、良かったよ。少しは、野蛮人から成長できていて」
『ツェベナ』で働いているヴィートの手配らしいな。生活の何から何までを、芸術で染め上げたいような願望があるんだろう。役者になれなかったとしても、芸術の一部を担っている男ならではの覚悟かもしれん。
「おお!炎で、お肉とか、お魚を、炙っている……っ!」
「ワインをかけて火を踊らせるのさ。風味が良いだろう、子猫ちゃん?」
「うん。お酒、苦いから嫌いだけど。香りは、本当に良いよねー」
火に炙られて風味となったワインを嗅ぎながら、ミアの耳がリズムを帯びて揺れる。マエスもミアの大ファンになったようだよ。テーブルの上を爪で『弾く』。もちろん、ピアノほどは鳴らないがね、妹の猫耳の動きに一致した動作は、大きな楽しみがある。だって、オレはミアが大好きだから。
「お魚、お魚!開いた、イワシさーん!」
「イワシ料理か」
「そうだよー。イワシにね、なんか、パン粉っぽいものをまぶしているよー!」
「知らない料理だ。マエスは、知っているよな?」
「何でも知っているとも。そうでなければ、『とんでもない芸術家』にはなれんのだよ」
偉そうに胸を張る。まあ、実際に『とんでもない芸術家』は、とんでもなく偉大な人物なのだけれどね。
「鼻を利かせろ、子猫ちゃんにミスター。諸君らは、得意なはずだ」
「うん。得意だとは思うー」
火薬も血のにおいも、獣のように嗅ぎ分けられる。そういう戦場のためにガルフ・コルテスに教えられた技巧も、この平和で穏やかな料理の場所でも使えるのだ。
「オリーブの、かおり!」
ミアに言い当てられたから、オレもがんばる。
「レモンの果汁だ」
「そうだ。誰でも知っている情報に、知覚で得たものに分解していくのさ。そうすれば、正体もつかめてくる。パン粉に油とレモンを吸わせるだけではないな。より、何かが欲しくないか?」
「んー。なにかなー。お兄ちゃん、答えて!」
これだから、がんばっておかなければならない。子供の好奇心は、周りに頼ることもためらわないからね。考え方……レモンの強い酸味が、損ないかねない要素を探せば、当たるかもしれん……香りは十分良いから、味の勝負だろう。
「酸味に……負けない、甘味」
「おお!コックさんがね、笑顔!」
当たったらしい。鼻高々になりながら、ニンマリと笑う美人の芸術家さんに答えた。
「砂糖も入れる」
「正解だー!お砂糖、パラパラ、ボウルのなかにまぶしてるよー!」
「さらに、まぶすぞ。レーズンや、松の実のスライスも忘れられない。それらをパン粉と混ぜたら、イワシに使う」
「おお。マエス、正解!すっごい!……イワシさんに、スペシャルなパン粉が、塗られていくよ……っ!」
調理場を覗ける窓のこちら側で、椅子の上に立った妹が『偵察』をリアルタイムで報告してくれる。イワシの白身に、調理人の指が香りと甘酸っぱさの強いパン粉を練り込んでいく光景が目に浮かぶ。
料理も嗜む男だからね……。
マエスに、言われる前に答えた。
「焼くんだな!」
「正解。白身をくるっと回して、パン粉を包んだろう?」
「うん。包んだ……そして、お兄ちゃんも、正解だ!」
オーブンの準備を、調理人がしていたことに気づいたからじゃないぜ。ちゃんと、油と果汁をしみこませたパン粉の使い方を読んだからだ。そのまま、食うわけじゃない。レモンの果汁の香りが強いから水分が多すぎる。揚げるわけでもない。となれば、オーブンさ。
「釜のなかに、『パン粉のイワシ包み』が入った!」
「うむ?……通常とは、逆の印象であるな」
「そうっすよね。パン粉、外側のイメージっす」
「大昔、『古王朝』の王侯貴族たちが、希少な小鳥を丸焼きにしていたそうですが。それを、庶民的なイワシの肉で再現した料理があるそうですね」
「『ディアロス』族の才媛は、中海よりも大きな知識を蓄えているようだ」
「うふふ。おほめにあずかり、光栄です」
「さすがは、ロロカだ」
「ロロカ姉さまは、何でも知っていて、尊敬します!」
「まあ。知識だけで、実際に食べたわけじゃありませんから。楽しみです」
「そうですな。『支配層の特別な料理から、庶民のごちそうになった料理』。ヴィート氏は、なかなかのロマンチストのようだ」
「あの青年なりに、『解放』を表現しようとしているのだろうし、諸君ら『パンジャール猟兵団』への敬意を示したいわけだよ。『モロー』の亜人種奴隷解放と、そして、アリサ・マクレーンたちの魂の解放を示したく、料理の一つにしたのだ。重さがあるから、あえて語らなかっただろうがね。ワインがすすむ健気さだよ」
……インテリたちの知識は、この美味そうな魚と果実の炙られる香りのなかにさえ、ヒトの感情を見出せる。ロロカ先生とガンダラが、言ってくれなかったら。オレは気づけもしなかったよ。やはり、二人がそばにいてくれると、知識量で恥をかくことはない。
努力もするが。
ちょっとやそっとの努力で、このインテリたちに追いつくはずもないから。今後も、しっかりと頼ることにするぜ。そういうのも、『家族』の力だよな、ガルフ。今も、マエスがたぶん黙ったままでいようとしていた、ヴィートの感情も汲んでやれることが出来た。
重たくなんて、感じはしないぜ。
嬉しく、楽しむ。
『家族』で食べる料理は、そうじゃなくちゃいけない。
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