序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その74


 ガンダラに褒められた。すごく嬉しいね。しばらく、良い気持ちでサウナの猛烈な熱気と戯れていた。目を閉じて、全身に襲い掛かる熱に汗が引きずり出されていく……心地良い苦しさだな。矛盾しているが、ヘンテコな快楽もある。どんなことにせよ、挑戦するってことは、実に楽しい。


 ……やがて、アホほど汗をかいたころ、ガンダラの声が耳に届く。サウナで聞くには、少し暗さがあったよ。


「……人種の平等というものは、なかなか実現することが難しいものです」


「だろうな」


「『イルカルラ血盟団』は、巨人族が中枢を担っていました」


「居心地が良かったか」


「ええ。『パンジャール猟兵団』ほどではありませんがね」


「そいつは、当然だぜ。我々は『家族』だからな」


「そうですな。ここは、特別なのです。しかし、同じ人種が周りにいて、それが支配的な地位を持っているという感覚は、格別な過ごしやすさを持っている」


「似ていると、落ち着くんだろ」


「落ち着く、以上ですね。人種に対しての、本能的な安心感というようなものがある。人間族は、数が多い。帝国が台頭する前からも、大陸の各地で支配的な勢力でした。居心地が良いはず……この世界は、言わば、人間族のモノとも言える」


「数が多いだけで、支配者の権利があるのかね」


「力が、あるからですよ」


「数は、たしかに力か」


「そう。力が、保証する。支配者としての、振る舞いを……理屈では、それを分かっていたつもりなんですがね。『イルカルラ血盟団』で、同族たちの活躍を見ると……私は帰属意識とつながりを感じられました。それは、想像していた以上に強いものです」


「それでも、お前は選ぶ。『パンジャール猟兵団』の副官として、『自由同盟』の戦士として生きることを……そして、いつかガルーナ王国の大臣になる」


「名宰相になりたいですよ。貴方の統治する、ガルーナで。それが、私の目標だということは、変わりません」


「ドゥーニア姫に口説かれでも、変わらんだろう」


「婿に来いとは言われませんでしたが、仕えて欲しいとは言われましたな」


「魅力的だ。でも、行かなかった。当然だな」


「ええ。私は、猟兵ですから。しかし……それでも、魅力的ではありました。選ぶはずもない道ですが、『巨人族の支配的な土地で生きる』、ということに魅力と安心を覚えたのです」


「それで。何が言いたいんだ?サウナの熱気で、ぼーっとしちまっているんだぜ。簡単に言ってくれ」


「人種という境界を、越えるのは難解だということですよ」


「そうかもしれんな。だが、越えなくても、共存は出来る」


「…………越える必要は、ないと?」


「それぞれ違っていてもいいさ。そんなことは、当然だし、違いがあっても、一緒に生きられんわけじゃない。在るがままで、いい。血も種族も異なっていても、心は変わらん。誰もが、必死で、より良く生きたいと願っているだけのことだ」


「……理想的ですな」


「ククク!……だからこそ、大きな器になるんじゃないかね。つまらんこだわりは、きっと、器を小さくしちまうんだ。在るがままを、受け入れればいい。越えなくても、理解は出来る。エルフの婆さんからリンゴでももらったら、それでいい。その婆さんのこと、悪くなんて、思えんだろう。一緒に生きるってのは、そんなものだ。思い出を一つ、作ればいい」


 サウナの熱気が、かなり強いんでね。


 ちょっと、アタマがぼーっとしちまっている。


 それでも、ガンダラの不安は理解してやれるし、その不安をオレは大したことのないものだとも信じているんだよ。


「さて。お前が、こんなことを言い出すってのは……衛兵隊たちといて、何かしらあったわけだ」


「鋭いですな」


「マエス・ダーンのレッスンのおかげさ」


「レッスン?」


「芸術家は、愚かな男どもに、賢い視線を与えるのが仕事らしい。オレも、ちょっとばかり洞察の稽古をつけてもらえたよ」


「さっき、言っていたことですか」


「そう。感覚を研いだ。戦術にも使える。社交術にも、使える。いい機会だ。二人っきりなんだから、言っちまえ。不安があるなら、言葉にしておけばいい。それだけで、どうせお前なら、より強いヤツになれるんだ」


 賢くて強い、我らが猟兵ガンダラだ。悩み事なんてものは、似合わん。吐き出せば、すぐに楽になっちまうさ。正しいことを、自分ですぐに見つけられるんだからね。賢いヤツってのは。


「……衛兵隊の詰め所で、諸々の作業をしていたんですがね。『自由同盟』の外交官として、亜人種への憎悪に基づく殺人事件は調査し、報告すべきですからな。人種対立が、同盟の結束を破壊する火種となることもありえる。注視すべきことです」


「当然だな。それで?」


「こちらの態度も、高圧的だったのかもしれませんが、詰め所にいた衛兵たちと、『カルロナ』の別荘地に来ていた豪商でしょうな。彼らから、少しばかり邪険にされることがありまして」


「引き下がるお前ではないな」


「そう。引き下がりはしませんでした。その結果、少々、緊張感が強まりましたよ。私を『イルカルラ血盟団』と同一視し、恐怖してもいるのでしょう。反乱した奴隷だと……かつて支配者だった自分たちへの復讐を、『プレイレス』の人々は、とくに距離が近い『ペイルカ』人と、奴隷貿易の中心であった『モロー』人は恐れていますからな」


「今にもケンカが始まりそうなほどには、悪い雰囲気に至ったわけだ」


「マイルドに表現すれば、そうです」


「しかし、彼らも分かっている。主導権を握っているのは、オレたちだからな」


「ええ。暴力までは起きませんでしたが、感情はそれなりに刺激されましたよ。亜人種への、恐怖、憎悪、そういったものを、露骨に浴びせられた」


「そうか。サウナから上がったら、何人かぶん殴りに行こう」


「いいえ。それには、及びません」


「鬱憤晴らしは、済ませていると?」


「庇ってもらえましたからね。あちらの態度を、たしなめてくれる方がいまして」


「誰だ?」


「衛兵隊の隊長殿ですよ」


「……ククク!そうかい!」


「お知り合いですかな?」


「まあな。ガンダラ。彼は、マエス・ダーンに見抜かれていたが、人種差別主義者らしいぜ」


「……ふむ?」


「印象が違うか」


「ええ。私に対しても、紳士的な態度でしたがね。本当に、そういう人物だったので?」


「典型的な『モロー』の男だったらしい。だが、正義も知っている男だ。保守的な男が守って来た古い価値観は、今朝、終わったのさ。マエスに指摘され、己の邪悪さに気づけた。そして、アリサ・マクレーンとミロが、変えてくれたんだよ」


 悲劇的な痛みが、差別主義者だが善良でもある男の心に突き刺さった。二人の死体を、ちゃんと寄り添わせて並べていたんだ。とっくに、知ってはいた。憎しみと愛情の、どちらが偉大なのかぐらい。


「彼は違う人種間の愛だって、ちゃんと理解してもいた。それの尊さを、目の当たりにして、本当に変わった。なあ、ガンダラ、ヒトの心は、変えられるんだぜ。安心しろ。行動し続けるほど、一歩ずつでも、世の中は変わる」


「自信満々ですな。一歩ずつで、この広い世界を、変えられると?」


「当然だ。クレイ・バトンも数時間で変わった。一人ずつでも、いい。変えていけば、やがては大きな流れとなる。『仲間』も増えた。『奇跡』を見せてくれたアリーチェも、それを研究しようとしてくれている学者たちも、今日からは芸術家たちも、衛兵隊の隊長殿もだ。いい傾向だろ?」


「……ですな。悩むよりも、行動あるのみ……少数派の我々らしい前向きさだ」


「ああ。行動で、世の中を変える。周りの優秀な連中にも頼りながらだ。難しい戦いではない。十分に勝ち目のある道だぞ!」




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