序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その73


「日々、勉強だな……休暇でも」


「……いえ。羽目を外すのも、構いませんが。そのことにより失われるものもあるとだけ、考慮していただければよいだけです」


「覚悟して、ふざけると?」


「教訓を得られやすくなる方法でしょう」


「たしかにな!」


 ふざけることに人生や名誉を賭けるというのも、若さとしては正しいと思うが……もういい年こいたオトナのお兄さんだからね。守るべき名誉も、確かにある。


「冬ならば、紳士でも許されるようですから。また冬の時期にでもここを訪れて、サウナで赤くなった裸で湖に飛び込んでみるといいでしょう」


「……冬なら許されて、夏はダメだってのは……どういうことなんだろうか?」


「伝統というものは、他人から見ると理解不能なものという良い例かもしれませんな。長い時間の経過により固定された、まるで本能のように問答無用な仕組みです」


「考えても、ムダなことってか」


「でしょうな」


「はあ。じゃあ、旅人らしく伝統を真似て遊ぶとしようか」


「いい心掛けですよ」


 竜太刀を壁にかけて、さっさと服を脱いじまう。熱気を肌で直に感じると……ワクワクが強まってくれるよ。熱さに挑むことになる。おかしなことじゃあるが、楽しめるんだ。ヒトは、きっと挑戦することを喜んじまうんだよ。


 蛮族の指を使い、熱と湿気を帯びたドアを引いて開く。楽しみな空間からは、熱があふれた。顔に封じ込められていた白い湯気が吹きつけられる。視界も曇るほどで、しょっぱなから激烈な熱さだ。


「おおお。熱気が、スゲーな……っ」


「女性陣が使っていましたから、いきなり熱量も湿度も全開というわけですな」


「面白いじゃないか!」


 ……『ガマン大会しようぜ』。という発言は、冷たくあしらわれる可能性が怖いから口にはしない。ガンダラはマイペースを好む。元・奴隷だからな。自分のペースで過ごすことの大切さを、分かっているんだよ。


 それに、このサウナ室は、強烈さがある……無理して体力を消耗してしまう、なんてことは避けたい。ワーカホリックなせいで、仕事のことを考えちまう。『次』に備えなくてはならない。帝国打倒を果たすまでは、戦いはいつまでも続く……。


「団長?」


「ああ。すまんな。ちょっと、熱さにビビッてた」


「でしょうな」


 ほんと。賢い副官殿には、嘘は通じんと来た。まあ、いいさ。休暇に戻るとしよう!ニヤリと笑い、牙で蒸気の熱さを感じ取りながら、そのサウナ室へと入る。ドアを閉じると、すさまじい熱さが顔面に襲い掛かって来たよ。


「これは、かなりのものですな」


 ガンダラはこの熱を避けるように座る。女性陣の気配りだろうな。真新しいタオルが敷かれた木製の座り場に腰を下ろして、うちの巨人族は長身を屈ませた。


「この熱さに、女性たちが長く耐えられたのでしょうかな……?」


「いや。リエルあたりが、気を遣ってくれたんだろう」


 暖炉を見る。レンガで組まれたその熱量発生源の口には、まだ燃え始めていない薪が突っ込まれていた。


「ローディング・ドアに薪をぶち込んで、たぶん、水も補充してくれたんだろ」


「……その暖炉の上に転がる石の群れに、手桶で水をかけていたわけですな……」


 余計なことをして、という言葉を使わないのが紳士だよ。ギンドウ・アーヴィングは間違いなく文句を言うし、ジャンも表情で語る。オットー・ノーランがいれば、この熱さを歓迎しただろう。温まることを、探検家である彼は尊ぶ。シャーロンは、何を言うか分からない。あいつは読めん。


「……かなりの高温ですよ。ごうごうと燃えていますし、蒸気もすさまじさがある。団長、立っていると、熱にやられてしまいかねません」


「そうだな。じゃあ、オレは、こっちの上の段を使おう!」


「……上の方が、熱さがありますよ?」


「知っているさ。だから、寝転がるとするぜ」


 ガンダラと対面するようにした。二段目は、かなり熱いが、立っているよりはマシだな。


「……はあ、いきなり横寝ですか。熱さを逃れたいのか、挑みたいのか、分かりません」


「ガンダラと同じ高さにいようと思ってな」


「……ふむ」


「ちょうど、こうすりゃ、まあ、顔の位置は同じだ」


 普通に座っているとね、人間族と巨人族だ。上半身の長さが違う。ガンダラの方が、より熱さを浴びることになるんだ。


「……私に合わせてくれるのですかな?」


「そうしたいだけだ。フェアだろ?同じ、熱さを楽しみたいんだよ!」


 ガンダラはあの無表情な目を、少し開く。何かを考えているようだが……。


「もしかして……これ、ガキっぽいかな?」


「かも、しれませんね」


「そうか。なら、まあ。他人がいるときは、しないさ」


「ええ。それがよろしいかと。ですが…………貴方の、そういうところは、良い点でもある」


「悪癖なのか、良いところなのか、どっちなんだ?」


「どちらもでしょうな。しかし、今このときは、それが正しいのですよ。人種の垣根を越えるためには、体験を共通することが重要でしょうから」


「サウナの熱気で、アタマがいつも以上に回らん。難しい言葉は、あまり使わないでくれると助かるぜ」


「貴方は、いいヤツだということですよ。フェア。平等。そういう言葉を、計算なしの本能で体現しようとしている。それは、ガルーナの『魔王』に相応しい特性です」




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