序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その72


 気分を良くしたのだろう。マエスは、再びその指でピアノを弾いてくれた。我々はちゃんと椅子に座り、その演奏に身も心も委ねてみる。早起きしたアタマには、その雨音みたいにやさしい音色は効いたよ。眠気が増していくのが分かる。このまま、眠っちまうのも幸せな時間の使い方だと感じ始めた頃……。


 階段を昇る音がしてね、愛しい気配が三つ。遊戯室へとやって来る。


「綺麗な音ですね」


「はいっす。ロマンティック……っす」


「うむ。マエスは、繊細な音を奏でるのだな、意外と」


「そうだよ。繊細さも把握している、出来た芸術家なのだよ、私はね」


「それは良いが、お前、そんな半裸みたいな恰好で過ごすのはどうかと思うぞ?」


「夏だから、問題はない」


「いや、そういう意味ではなくて、節度という意味においてだ。うちのジャンもそうだが、夏風邪を引いても知らんぞ」


「……たしかに。それは、問題だ。私のスケジュールは、かなり密なものとなっているのだから……」


 『アリーチェの像』に『アリサ・マクレーンの遺作』への協力、『とんでもない芸術家』には夏風邪をこじらせている余裕はないのは確かだったな。それに、よくよく思えば、半裸で過ごすのもレディーとしてすべき振る舞いじゃないか。男からすると、嬉しくもあるが……。


「スケベな男に、いやらしい目で見られるぞ」


「ミスター、別料金が発生するような視線を使わんことだ」


「オレはヨメさんたちに夢中なんだぜ?」


 湯上りのヨメさんたちを見る。もう服を着てるけど、オレだけが知っている裸があの服の下にはあるんだ。芸術も好きだけど、愛も好きでね。


「そういうスケベな目で見るでない。それに、サウナがあいたぞ?」


「ん。そう、だな。ちょうど、ガンダラも雨のなかを帰って来たばかりだ。一緒にサウナでも入るか」


「裸の付き合いというのも、たまには良いかもしれませんな」


「ああ。夏の昼間からサウナってのも、楽しいだろ。暑さがある日に、熱さを楽しむ。ぜいたくじゃないか」


「ガルーナ人の気質を発揮して、あまり長く入り過ぎるでないぞ、ソルジェ?」


「熱がこもり過ぎたら、湖にでも飛び込んで泳ぐさ。ゼファーとな!」


「それ、面白そう!ミアも、したーい!!」


「だよな。ミアもサウナ入るか?」


「……熱いのは、嫌。とりあえず、マエスの音楽を聴きながら、ゴロゴロしておく」


「では、私もさっさと着替えて来よう。音楽会を、再開してやらねばな」


「ええ。楽しみです」


「これ、服っすよ」


 マエスがその場でバスタオルを脱ぎ捨てようとしたから、オレとガンダラは紳士的な態度を取るよ。ガン見するんじゃなくて、さっさと階段を降りて行くことを選んだ。女同士なら、別に目の前で裸になろうがどうなろうが問題はないだろうからね。


「……やれやれ。有能でありつつも、変わった方ではありますな」


「実に、マエス・ダーンを示す言葉だぜ」


「芸術家というものは、そうでなければならないのでしょうか」


「変なところがった方が、優れた感性を作るんだろう。いい勉強を、させてもらったぜ。猟兵の戦術にも、修行にも使えそうだ」


「ほう。それは、興味深いですな」


「サウナで教えてやるよ」


「ムダに長時間、入ることはしませんよ。疲労してしまいますからな」


「休暇なのに、疲労するというのも、一興かもしれんがね」


 とはいえ、趣向は人それぞれだ。無理強いするわけにもいかん。


 ……屋敷の地下に降りると、蒸し暑さが強まった。狭い通度でもある。ミアが、嫌がる理由を見つけられたよ。


「これは、かなり熱そうだぜ」


「そのようですな……」


「楽しもうぜ」


「常識的な範囲で」


「オレもサウナをどこまでも愛している男というわけじゃないよ」


 脱衣室への最後の扉は、分厚くて重さがある。湿気を吸っていた。脱衣かごが並べて置かれたスペースのとなりには。『外』と刻まれたドアがある。近づけば涼しさがあった。開いてみると……湖面が見えたよ。空みたいに、青が広がっている。


「地下に、ベランダがあるみたいだ」


「地下室とは言うものの、斜面の下部というわけですな。この桟橋から、全裸で湖に飛び込むこともやれる」


「なるほど。興味深い作りだ。熱くなり過ぎたら、ここから湖にダイブするのか」


「『プレイレス奪還軍』の総大将であり、『自由同盟』の外交官ですからな。目撃されても、恥にならぬ行いをすべきです。近々、ガルーナ王になられるというのであれば、なおのこと。遊ぶなとは言いませんが、品格に欠く行いは、貴方を王とする者全てを辱めます」


「……お、おう。留意して、遊ぼう」


 つまりは、『するな』ということだ。自覚をうながしてくれる、良い部下だよ、ガンダラは。王さまが昼間から全裸で湖に飛び込んではしゃぐ姿は、たしかに偉大とは呼び難かったな。


 扉を閉じて、小雨を受け止める湖面を遮断した。まあ、いいさ。このサウナの熱を楽しめばいい。幸い、この脱衣室の一角にも湧き出る冷水を溜めた石造りのバスタブがある。


「こちらの方でも、十分でしょう」


「そうだな。金持ち用の屋敷らしく、金持ちが全裸で外に出なくても、冷水と出逢える仕掛けはあるのか」


「ええ。利用させてもらいましょう。せっかく、芸術を理解しつつあるのですから。行いの品も、改善していく訓練もすればいい。たまには、普段と違う行いをすれば、発見があるものですよ、団長」




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