序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その71
「見事な演奏ですな」
ガンダラがこの遊戯室に到着していた。いつものように無表情ではあるが、きっと、楽しめていたはずだぜ。意外と音楽が好きなんだよ。オレが知らない曲も知っていたりするからな。
「ありがとう。褒められることで、芸術家は自尊心を満たせるものだからね」
「有能な方ですよ。芸術家としてでなく、優れた捜査能力もあられるようで、感心しています」
「マエスは、探偵扱いされるのは嫌らしいぜ」
「ふむ。なるほど。では、優れた知性の持ち主であることを、称えましょう」
「いい判断だよ、巨人の青年」
「ガンダラと申します。以後、お見知りおきいただけるとありがたいですな」
「了解だ。覚えておくよ、ガンダラ。私は、名乗らなくても良いらしいが」
「ええ。『とんでもない芸術家』として有名な、マエス・ダーンさま。朝の事件により、貴方の名前はまた広がることでしょうな」
「嬉しいことじゃあるね。悲しいことに起因するのは、残念なことだが」
「犯罪は、起きてしまうものですよ」
「ああ。そうだな……あまり、出くわしたいものじゃないのに……普段ならば、無視したいものだよ。ヒトの持つ悪意というものは、あまり多く触れるべきじゃない」
白い指が、鍵盤を叩いた。二つの音が、混じって乱れる。
「心を悪意にかき乱される感覚は、あまり好ましいものじゃないんだよ」
「でしょうな。それでも、ご協力ありがとうございます」
「いいよ。君らのためというわけじゃない。アリサ・マクレーンのためだ。同じ、芸術に生きる者として、仇討ちの一つはしたい」
「見事に成し遂げたよ、マエスは」
「ああ。ミスターのおかげで、負傷することもなく。ありがとう、ミスター。私のことを、止めてもくれた」
「お互い様だよ。こっちも、マエスがいてくれたおかげで、あのクズ野郎を殺さずに済んだ……あいつを、問答無用で殺すよりは、しばらくは生かしておいた方が、良いだろう?」
「そう。ミスターの言った通り。痛ましさで、醜さで、示すんだ。罪深さを。ヤツの無様な生存は、多くを示し、変える」
「……そのようですな。死体であれば、『事件は終わり過ぎていた』かもしれません。しかし、『生きたまま『カルロナ』に連行された』ことで、『カルロナ』にいる者たちは強い嫌悪感をダナー・スミスに抱いています」
「……殺していたら、もっと、あっさりと『忘れちゃった』ってこと?」
ミアの質問に、マエスはうなずいた。
「そういうことだよ、ミア。ヒトはね、死んだ悪人に、脅威を覚えないだろう。悪霊を信じるのならば、別だがね」
「うん。死んだら、安心しちゃうかも」
「そうならないように、君のお兄さんは短気な衝動を抑えてくれたんだよ」
「えらいね!お兄ちゃん!」
「ああ。がんばれたよ。マエスのおかげでね」
正しい選択のはずだ。殺してやった方が、すっきりとした気持ちになれたが……。
「世の中を、変えねばなりませんからな。あの悪人を見れば、『モロー』の人々も教えられるでしょう。邪悪な差別主義者の行いの非道さを……それに」
「どうせ、縛り首は決定の男だ。私たちや、ミスターが殺さなくても、法が裁いてくれる。そうすれば、『十大大学』の学者たちが、ちゃんと研究してくれるんだ。邪悪な殺人鬼の犯行動機を、文書にして永く残す。それは、世の中への戒めにもなる。学者の仕事さ、戦わなければならない邪悪さを、明らかにするというのも」
「難しい……っ」
「犯人を殺さなかったことで、大きく世の中を変えられるかもしれない、ということだよ。より正しい方にね」
「そっか。良かったんだね!」
「もちろん、良かったことだよ。『遺作』が公演されるときに、ダナー・スミスが生きていれば、ヤツは苦しむことになる。ヤツは、歪んだクズでね……アリサ・マクレーンとミロの恋愛を、自分だけのモノとして奪い取りたかった。それが、永遠にアリサ・マクレーンのモノに戻る。死ぬほど悔しがるんだ」
「んー……?」
「フフフ。それでいい。分からなくて、いいことだよ。邪悪な者の考えは、あまり共感すべきことじゃない。ミアは、良い者の心を見るといい。正しい音を、より好むんだ」
指が、また音を弾く。
反響しやすい作りをしたこの空間に、その音は伸びるように長く響く。純粋な、音。どの音階までかは、無学なオレに判別などつくはずもないが……純粋な音で、正しい響きだということぐらいは感じられたよ。
「……『遺作』についてですがね。好ましい反応が、起きていますな」
「何が起きたんだ、ガンダラ?良い報告は、休暇中でも耳に入れたいもんだぜ」
「この『カルロナ』に休暇に来ていた、『モロー』の金持ちたちが出資したがっているんですよ。『ツェベナ』で公演されるアリサ・マクレーンの『遺作』に、この場へ居合わせた者たちは金銭的な協力をしたがっています」
「ありがたいことだね。演劇は、金をかけた方が派手になる。宣伝も大切だ。理解者もいてくれた方が、よい良い。あれは、伝えなくてはならない言葉だ。アリサ・マクレーンが示したかった、彼女の人生そのものだ。多くの予算で、盛大に、お披露目すべきものさ」
「世界を、変えられるんだね!」
「ああ。その通り。『モロー』の金持ちに、我々の芸術は、正しい世の中の見え方を示したのさ。殺すのを、ガマンしたおかげ……ということにしておこう」
「そっちの方が、気分がいいのは確かだぜ」
「そういうことさ!自己実現の達成感を得る。それも、芸術家には必要なことだよ」
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