序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その66


「では、私たちは地下に参りますので。また、後ほど」


「ああ。楽しんでくれ」


 サウナは屋敷の奥にあるらしい。ロロカ先生を先頭にして、女性陣が去って行く。一緒に入りたい―――というスケベな感情もあるのは確かだけど、オレはちゃんと子供心だって忘れちゃいないんだよ。


「さあ!まずは、二階から探検だよ!!」


 鼻息荒く、ミアが宣言する。楽しい気持ちになっているんだな。まあ、分かるぜ。初めて来た家ってのは、どこがどうなっているものか、調べたくなるものだよ。ガキの頃ほど、そういう衝動ってのは強かったけど、オトナになっても意外と残っているもんだぜ!


 楽し気なリズムの歩き方が、階段を進む。


「こっちこっち!この窓が、いいんだー!」


「おう、すぐに行くって」


 妹を追いかけて、オレも二階にやって来る。ミアの足音が、その窓へと向かったよ。大きさのある窓で、これも家を訪れる者を出迎えるための視認性ってものが強くもあるが、それよりも……。


「湖が、よく見える」


「そうなの!すっごく、なんか、すごく、良いカンジ!」


 ぴょんぴょん跳ねるミアがいた。そう、『すごく良いカンジ』だったよ。広くて穏やかな湖が見える。雨粒のせいで、ほんのちょっとだけ乱れはあるけれど、それを入れても穏やかさが失われることはない。広い眺望は……オレたち兄妹には強く惹かれる要素がある。


「まるで―――」


「―――空みたいだよねー!!」


 じつに、竜騎士的な感覚ではある。この窓から広がっている眺望は、大きな湖を見下ろし、見渡せる解放感は、空を感じさせるのだ。


 これを作った建築家は、どう考えても空なんて知らないんだがね。それでも、ヒトはこういう解放感のある青に、きっと空を感じ取れるものなんだろう。


「この屋敷を作ったヤツを、ゼファーに乗せてやったら、感動の涙を流しただろうな」


「うん!絶対に、そうだよ!……空が、好きだったんだろうねえ」


 黒髪から生えたケットシーの猫耳が、ピコピコと動く。想像しているんだろうよ。竜の見せてくれる……連れて行ってくれる空を、見せてやって、教えて……自慢もしたいんだ。


「竜に乗れたらね、この窓を作った大工さん、ぜったいに竜のことが大好きになれたよねー!」


「間違いないよなー!」


 ストラウスさん家らしい顔を、見せ合ったよ。多くの芸術家や、建築家に、空を教えてやりたい。竜騎士でなければ、知れない特権。空と一つに融け合える感覚。あの幸せを、もっと多くのヤツに教えて、スゴイだろうって、自慢したい気持ちになっているのさ!


 ヒトってのは、そういう欲求を持っている。


 空を自慢したいってのも、そうだけど。空のように広い『自由』を、本能が求めていると思うんだよ。この窓を作ったヤツは、きっとね、『自由』を愛する心の持ち主だったに違いない。午前の斜めに入る日の光が、小雨に反射して、湖岸の両サイドはまるで雲のようだ。空を、感じさせる。


 こういうデザインも、偶然じゃないはずだ。『プレイレス』の職人たちが継承して来た知覚というものは、とんでもなく豊かなはずだから。きっと、晴れた日には、風も感じられるほどに、この湖の青が広く大きく膨らむに違いない。


「お兄ちゃん、次は、こっちだよーん!」


「おう!」


 廊下を踊るような楽しいステップが走っていく。窓からの風がよく通る天井の高い廊下には、左右にベッドルームが連なっているようだ。ミアが、その一つへとつながるドアの前で回転する。


「ここがね、お兄ちゃんたちの部屋!いちばん、大きいからだよ!」


 勢いよくドアが開かれる。たしかに、大きい。広くて、天井も高さがあったな。豪華で、威厳を感じさせる作りでもあるし、でかいベッドがあるのが、実に良い。対岸の屋敷のベッドも大きくて、昨夜は実に良かったわけだが、こっちも負けちゃいないな。


「あと、すごく大きな本棚もあるから、ロロカ向き!」


「そうだな……」


 壁の一角に、大きな本棚があるよ。タイトルからして、詩集や小説が多いようだ。難解な学術書が並んでいるのは、休暇を過ごすべき場所として相応しくはない。部屋の奥には『カルロナ』の街並みを見渡せそうなベランダもあるし、ロッキングチェアもあった。夏の日差しに焼かれないところに椅子を置いて、のんびり詩集を読む……知的な休暇をやるには、良さそうな部屋だ。


 オレには合っているかどうか微妙な点ではあるが、天井が高くて内装が豪華で……ベッドがデカい点は非常に良いだろう。四人で、何でもやれるからね!


「で。こっちがね、私の部屋!」


 足音が走り、そのドアの前に止まる。笑顔が開いたそこにアタマを突っ込んでみると、『ミアの部屋っぽさ』があったな。


「天井が低くて、なんというか愛嬌がある」


「そう!『カワイイ』!!なんだか、この部屋は、とってもカワイイから、私のお部屋にしたの!」


 『子供用の部屋』、とまで幼い作りではないのだが、天井の低さっていうものが、親密さを出してくれるというか……。


「夜中ね、ここでね!怖い話大会とかしたら、すっごく良いと思えるの!」


「夏らしくて、楽しいだろうな」


 真っ暗にして、皆の呼吸を感じられる『狭さ』が、その楽しみをきっと強めてくれる。暖炉はないが、談話室っぽさがあるベッドルームだったな。窓もね、あえて小さく作っているようだぜ。そうすることで、より外とのつながりを制限し、中にいる者だけで楽しめる。ミアが喜びそうな部屋だぜ。


「じゃあ、他の部屋も見て行こうね!ぜんぶね、面白いの!『気配』がね、違っているんだ!!」


 ……お兄ちゃんは、マエス・ダーンのレッスンのおかげでね、いつもより感覚が研がれている。普段よりも、良い意味で子供っぽさがあるというか……好奇心を使えるわけさ。だから、幸せなことに……ミアの感覚に近づけるわけだよ。


 子供ってのは、すごいぜ。


 芸術家みたいな感覚を、いつでも持っているわけだ。




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