序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その65
元気の良い足音が、貸別荘の床を叩くんだよ。猟兵は無音で走れるけれど、楽しい日常では、そんなことをする必要もない。楽しい気配を感じられることは、幸せなことなんだよ。
すぐにドアが開いて、笑顔を咲かせたミアが突風みたいな勢いで飛びついてくれる!
「お帰りなさいタックルー!!」
「おう、ただいまだ!!」
お兄ちゃんらしく、どっしりと受け止めるんだよ。妹の両腕と両脚に絡みつかれてセミさんモードは完成だ。夏らしくて、実にいい形態と言えるね。
「おお、元気な子だな」
「んー。誰?お姉さん?衛兵隊?」
「まさか、そういうのとは真逆のお姉さんだぞ、私は。ピンと来るだろ?」
「うん。言われてみれば、絶対ちがーう。手癖、悪そうだもーん!」
「ヒトを見る目があるなあ、そうだぞ。私は、とても手癖が、悪いのだー!」
ニンマリとしたマエス・ダーンは、セミさんモードのために無防備となったミアの脇腹をくすぐりにかかる。
「きゃはははは!くすぐったーい!!」
「だろう。芸術家の指は、実に良い仕事をするのだぞー!」
「……波長が、合っておるなあ」
「芸術家は、幼さや無垢を忘れてはいけないのだー!」
なるほど。芸術家とは、実にフクザツな職種の人々らしい。探偵のような洞察に、高度な知性と知識を持っているのに……無邪気でなければならんとも来た。矛盾しているようだが、矛盾を取り込む『ぜいたく』な精神性でなければ、到達し得ぬ領域というのもあるのだろう。
「とにかく、じゃれついておらずに、家に入るがいい!」
「はーい!お兄ちゃん、ゴー!芸術家さんも……名前、何だっけ?」
「マエス・ダーンだよ、ミアちゃん」
「ん。私の名前……」
「ミスターが言っていたから、覚えたのさ。割りと、記憶力はあるんだよ」
「やるね!マエス!」
「『とんでもない芸術家』だから、当然なのだよ!」
同僚する幼さがいたな。ニンマリとした微笑みを見せ合って、何か魂の浅いところか深いところで、つながっているらしい。ミアが、左腕を伸ばし、無言のまま人差し指をピンと突き出す……マエスも、無言のまま、同じように人差し指を伸ばして、指先を触れさせ合っている。
よく分からんが、仲良しの儀式なのは間違いない。面白い友情が誕生しようとしているようだが……でも、このままムダな小雨に打たれることもない。開きっぱなしのドアの向こうに、ロロカ先生とカミラも待っているから進むとしよう。
「お疲れ様です、ソルジェさん」
「事件は、無事に解決したんすね!」
うなずきながら、貸別荘へと入る。『家族』と合流できたった感覚が、より強まるよ。リラックスするために設計された貸別荘は、旅の疲れを受け止める憩いの気配ってものがあるよ。
『エンドルの屋敷』の玄関と、少し似ていてね。広さがあって、歓迎されるのにはもって来いだ。ミアは、セミさんモードを解除すると、オレの手を引っ張っぱる。壁際のソファーに座らされるたな。
「はーい、前かがみだよ、お兄ちゃん!」
「こう、かな」
「うん。理想的な高さ!カミラ、タオルをパス!」
「はいっすよー」
雨に濡れた赤毛の生える後頭部に、やわらかなタオルがかけられる。そのあとは、妹のちいさな手でゴシゴシと水気を除去されていくんだ。幸せな、時間だね。みんなが集まれて、歓迎と、こんな接触を伴うコミュニケーションをやれる広さがある玄関ってのは、とても良いもんだよ。
ここに来る者を、すぐに見つけられる、あの窓も良かったな。いい建築家の仕事なんだろう。エンドルかどうかは分からないな。彼の『芸風』である、『区画』も、『境界線』も、オレは今のところ見つけられちゃいないから。
何にせよ、休暇を過ごすには、とても良い貸別荘だと期待ができる!
「ふきふき終了でーす!」
「ああ。そうだな。まあ、サウナにも入りたいし……っと、レディーファーストだよな」
「ミスター、良い心掛けだ。私たち女性から入らせようというのは」
「スケベな割りには、よく出来た男だろ?」
「ああ。では、ミスターのヨメども、サウナにでも入り、親睦を深めようではないか!諸々の報告も兼ねてな!」
「ええ。それは、良いアイデアだと思います。私たちも、事件について知りたくもありますし……」
「それに、湖畔は涼やかだったから……みんな、雨にも濡れてしまっているっすからねー」
「うむ。それでは、皆で入ろう!ミアは、どうするのだ?」
リエルからの質問に、ミアはぶんぶんと首を横に振っていたな。
「暑いのに、暑いところへ行くのは、いやー!ないー!」
それも、一理のあることだったよ。子供は、素直だよな。大人は、正直なところ、欲が深すぎる。『面白そうな設備だから使ってみたい』という感情の方が、先走っているところもあるんだよな。
だが。欲深さのない素直な心には、より好奇心がくすぐられる対象がある。黒真珠のような双眸が輝いて、上階へとつながる階段を見つめていた。
「みんなは、サウナに入っているといいよ。私は、お兄ちゃんと、探検の続きでもしてる!まだ、全てのフロアを制覇していないもーん!!」
ということで、オレの予定は決まったな。このアットホームな建築物の探索を楽しむとしよう。
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