序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その64
オレたちを乗せたゼファーの羽ばたきが風を起こし、空へと戻った。
『エンドルの屋敷』の南側にある下り坂の道を追いかけるように飛ぶことで、それ以上の羽ばたきは要らない。雨のせいで重たく、多少は飛びにくい空だとしても、『プレイレス』の風を我々はしっかりと把握しているからね。
滑空の力と、時おり地上から吹き上がって来る風の流れを受け止めながら進めば、十分に『カルロナ』へと辿り着く。雨の朝が終わる時間帯だ、霧はもうほとんど晴れていた。それでも、『カルロナ』は、まだ悲惨な殺人事件の影響から逃れられていないのだろう。活気無く、静かなものだったよ。
……湖の岸辺に降りた。アリサ・マクレーンとミロの遺体があった場所だが、もう誰もいない。
「遺体は、衛兵隊の詰め所に運ばれました。所見を記録して、そのあとは……『モロー』へと運ばれます。私は、それに伴って、『モロー』に戻ります。ストラウス卿、マエス・ダーンさま、今回のご協力、ありがとうございました」
「構わんさ。何かあれば、また言って来い。協力は惜しまん」
「はい。頼りにさせていただきます」
ヴィートは流麗な所作のあいさつを残して、雨のなかへと消えた。
「さてと。ソルジェよ、こちらへと来るがいい」
「ん。屋敷に戻らないのか?」
「ロロカ姉さまが、『カルロナ』に拠点として部屋を借りたのだ。地下にサウナもある、優雅な別荘だぞ」
「身体も、雨に打たれて冷えてしまっているからなあ。そういうの、私も歓迎だよ!」
「オレも、そういうのは好きだが……ジャンを待たせちまうかもしれん」
「風邪を治すためには、静かに寝転んでいるほかあるまい。むしろ、我々があそこにいればジャンは気をつかう。雇われメイドも、ジャンの世話をしてくれているから、問題はない。我々は、休暇を続けるべきだぞ。休むのも、仕事の内だ」
働きづめの我々には、やはり休息は必要なのも事実だった。戦いと仕事の日々、今朝は殺人事件の捜査をしたわけだからな……。
ジャンには、ちょっと悪い気もするが。
リエルの言葉も正論だ。
「ほうら、行くぞ、ミスターよ。我々まで風邪をこじらせては、たまらんぞ!」
「そうだな。ゼファーは……」
『ぼく、ここで、ねてるー。よろいは、あとから、ふいてねー!』
「ああ。そうしてやろう」
伸ばして来た鼻先を撫でたあと、先行して導いてくれるリエルのあとを追いかけた。
「ミスター、『カルロナ』はサウナも有名なのだぞ。冬は、バカな男どもがサウナから飛び出し、雪の積もった湖岸を走り、湖へと飛び込む間抜けな光景が楽しめる」
「野郎ってのは、世界のどこでも品がなくて安心するよ」
「まあ、冬の風物詩は拝めなくても、メシも美味いし、レンタル・コテージの地下にある夏のサウナも良いものだ。冷たい地下水もあるから、暑さに耐えられなくなったら、そいつをアタマからかぶればいい」
「ぬう。熱くなりたいのか、涼しさを求めているのか、よく分からんのだが?」
「贅沢な行いというものは、矛盾を抱えているものだよ。どっちも得ればいい!」
「ふむ。贅沢か。たしかに」
「たっぷりと休暇も楽しむといい。私も楽しませてもらおう。仕事に取り掛かる前に、英気を養う必要もある……ああ。家族団らんの時間に水を差すなら、よそのレンタル・コテージに行くが……どうせ、事件のせいで早々と引き上げる者たちも出るだろうし」
「私たちは、構わんぞ。ソルジェの意見は?」
「当然、マエスが一緒の方が良いぜ」
「サウナには一緒には入ってはやらないが、ミスターのご厚意はありがたい。悲しい事件であったからな。少しばかり、私も、ヒトの声がする場所にいたいのだ」
「うむ。悲しい事件であったな。恋人たちが……」
「だが、解決は出来たぜ」
「そうだな。ソルジェ、マエス、お手柄であったぞ!死者たちも、これで浮かばれよう」
死者のために、やれることはやったのだ。
オレたちは胸を張って、休暇に戻るとしよう。
小雨の降る湖岸の道を歩くと、すぐにその貸別荘は見えて来たよ。湖に沿うように左曲がりのなだらか坂の上、そこに古い威厳を帯びた石造りの三階建ての屋敷があった。
「いいコテージを借りられたな。さすがは、『大魔王』殿の金持ちな奥方の仕事だな」
「衛兵隊が気を利かしてくれたようにも思えるぞ。ソルジェは『カルロナ』の治安のために働いたわけだしな」
「報酬みたいなもんか。なら、たっぷりと楽しませてもらおうぜ!湖も近いからな、サウナで限界まで熱くなったら、裸で飛び込むのも面白そうだ」
「冬の行いなのだが、ミスターはよその土地から来た男だから、別に問題はないか」
夏にやってもいいだろうと思うがね。雨のせいで、湖に出ている者もいないわけだから。
あの湖面に突き出た桟橋を駆け抜けて、助走をつけて飛び込むっていうのも、とても楽しいと思うんだよ。とくに、酒が入っているときなんて、最高なんじゃないかね。冬じゃなくても、夏でも楽しいはずだが―――。
「―――お兄ちゃーん!おっ帰りー!!」
レンタル・コテージの二階の窓が開いて、ミアの姿が現れる。探検中なのかもしれないな。やたらと楽しそうな笑顔だったよ。古さと伝統がある屋敷ってのは、好奇心をくすぐってくれる発見にあふれているものだからね!
「おう、ただいま、ミア!!待たせたな!!」
「うん。すぐ、お出迎えに行くねー。タオルで、お兄ちゃんの髪を拭いてあげるー!!」
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