序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その62


「……これで、良かったのですよね」


「自分の感情を信じるといい」


「殺すべきだった、気がしています……」


「ヤツはどうあれ死罪だろ」


「……はい。しかし……私は、『ツェベナ』の仲間として……帝国の皇太子にも、多くを殺されて、また……今度は……ッ」


「怒りよりも、悲しみが強いな」


 降って来る雨を見ると、思い出せることがある。ガルーナに降った涙雨。同じようなもんだ。悲しいことがあると、空だって泣くこともある。


「作るべきだぜ。『遺作』を」


「……世の中に、芸術の力で訴える……それは……」


「アリサ・マクレーンの願いだ。オレなんぞよりも、君の方が、役者の仕事には詳しいだろう。さて、マエスのところに向かうとしようじゃないか。ヤツは、クレイ・バトンたちに任せておけばいい。もはや、自力で立つこともやれん」


「拷問されればいいんですよ……あんな、クズ野郎」


「そうだな。クレイ・バトンたちも、怒りを抱えてくれている。期待しておこうぜ」


 楽な取り調べにはならないさ。あの鷲鼻の衛兵隊長の見せた敬礼は、職業倫理に忠実な男であることを示した。余罪もある。徹底的に、吐かせようとするさ。『家』に、戻れない被害者が、あんなクズ野郎のせいで一人でもいるなんてことは、許しはしない。


 保守的な男は、そういうもんだ。差別的なヤツも多いし、厄介なところもあるがね。正義を追いかけさせたら、腹を空かせた猟犬のごとしだ。


 ……指のなかで、ナイフをくるくると回し、柄の方からヴィートに手渡す。まばたきしながら、ナイフの刃できらめく銀色を見つめた後で、役者志望だった男はナイフを取り戻す。無言のまま、上着の内側にそれをしまってくれたよ。


「さてと、こっちだ」


「……はい。マエス・ダーンさまに、会いに行きましょう……私にも、貢献できることを探さなくてはなりません」


「きっと、多くのことをしてやれるよ。マエスも、多くを見つけ出したはずだ。『ツェベナ』が、それに手を貸してくれるのであれば、『遺作』は……世の中を変えられる」


 真実を知らしめることで、ヒトは人生の見え方だって変わるはずだ。この、『モロー』周辺地域ってのは、根深い人種差別があって……善良な衛兵隊長にも、クズの殺人鬼にも、そいつは普遍的にあるんだろう。


 でも、変えられるさ。


 衛兵隊長は、死体をちゃんと並べてやれたし……クソ殺人鬼野郎でさえも、愛情の偉大さは見せつけられていた。だから、否定するために、殺しちまった。狩人がそうするように、狩った獲物を所有できるとでも思いこんでいやがったんだ。


 ……狂気は、まともな理解の方法が、及ぶはずもないものだよ。


 全くもって、下らないヤツに……。


 大切なことが壊されてしまうことだってある。


 悲しいことだが、それでも生きている者は、より良い日々を目指すべきだった。


 住むべき『家族』が立ち去った、さみしい屋敷の階段を昇り、オレとヴィートは仕事をする芸術家のもとへとたどり着く。


「……マエス・ダーンさま……っ」


 散らかすように並べた無数の紙に、マエスは一心不乱に何かを描き続けていた。文章でもあるし、絵でもあった。筆も使えば、指でも描く。ボロボロ泣きながらでも、必死に伝えるべくものを記しているようだった。


 圧倒されてしまう迫力がある。


 芸術に疎いオレはもちろんのこと、一流芸術家のそばで働く『ツェベナ』のスタッフでさえも、呑まれてしまっていた。息を吞み、彼女をじっと見つめる青年がいる。


「……邪魔を、しては、いけませんね」


「ああ。そうかもしれん……しばらく、待とう」


 この『遺作』のための時間を、オレたちは過ごすことにした。マエスを待ちながら、ベッドの上に毛布でくるんで寝かせていたアリサ・マクレーンとミロを……ヴィートに手渡した。彼は、抱き締めて……泣き始める。


 悲しい雨が、また強くなるが……。


 構わん。


 泣くべきときは、泣くべきだった。


 ……やがて、涙が終わり、強さを取り戻した芸術家が立ち上がるのさ。


「……ミスター、待たせてしまったようだな」


「そうでもない。君の仕事を見ていられることは、幸せなことだぜ。蛮族にだって、その価値の大きさが分かる」


「そうだろうな。ミスターは、まだまだ多くを知るべきではあるが……それでも、良い目をしている。それは、芸術を知覚するときには、有効なものだよ」


「……マエス・ダーンさま」


「ん。ああ、お前まで、やって来ていたのか……『ツェベナ』の……」


「ヴィートだよ」


「そうそう。ヴィート青年。それは……ああ、あの二人を抱きかかえてやっているのか。君ならば、受け取るに相応しい」


「はい。必ずや、ご遺族のもとに……二人を、戻します。『カルロナ』にある、遺体と共に……」


「うん。そうしてやるといい。腕のいい葬儀屋ならば、痛ましく破壊された死体の形も整えてくれるよ」


「……ええ。そうすれば、きっと……冥府で、痛みなく暮らせます。二人一緒に、ずっと……」


 死者にしてやれることは、やはり少しはある。ヒトは死にだって、色々とあらがうものさ。


「まあ、涙を拭うといい。私は……ちゃんと『遺作』の原案を作れたぞ。劇作家に渡してくれたなら、良いものを作ってくれるだろう。死を越えて……アリサ・マクレーンは、また舞台で真実を歌える」


「……ありがとうございます。『ツェベナ』の者として、マエス・ダーンさまに、最大の感謝を捧げます」


「感謝など、いいさ。私がしたいことをしただけだ。だが、そういう感情を、抱いてくれるというのならば、この件に関しては、今後も協力させてもらうぞ。半端な仕事を、私だって残したくはない。『遺作』が完璧なものになるよう、力を尽くしたいんだ」


「ええ!もちろんです!願ったり、叶ったりですよ。一緒に、二人のために、がんばりましょう。『ツェベナ』と貴方が手を組めば、やれないことはありませんから」




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