序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く その61
やがて。屋敷の前に馬車がやって来るのが分かった。
オレは、集中を切らすこともないマエスをそっとしておく。仕事を続けて欲しくもあるからね。殺人鬼野郎の首ねっこを掴み、そのまま引きずって歩いた。
階段だって、容赦なく引きずって降ろす。段差であちこちぶつけてしまっていたが、別に何の感情も湧きはしない。苦しめばいいんだよ。そっちの方が、オレは嬉しい。
「……野蛮人め……ッ」
「ああ。そうだ。野蛮人だよ。だが、貴様は、それ以下のクズ野郎さ」
悪口を言われたとしても、気に障ることもない。乱暴さを増すこともなかった。十分、階段であちこちを打ち付けて、痛がっているからな。軽んじられることが、腹立つだろうよ。野蛮人ごときに。『古王朝』千年の伝統を継承した人々からすれば、北方蛮族にバカにされることは強い屈辱だってことさ。
ざまあみろ。
気分がいいよ。
殺人鬼野郎を引きずって、あの玄関ホールにたどり着いた。『家族』の気配を、感じさせてくれる場所だ。そんな場所からは、さっさと、このクソ野郎を追い出してやれなければならない。そんな気持ちになれる。
馬車が、雨音のなか近づいて来やがったよ。だから、殺人鬼野郎を床に置いて、玄関ドアを開きに行った。かんぬきを外して、その重たげなオーク材の扉をゆっくりと押し込み、鷲鼻の衛兵隊長と、その部下たちを出迎える。
「……ストラウス卿、見つけたんだな?」
「ああ。そこにいるぞ」
「……あれが、アリサ・マクレーンと……エルフの」
「エルフの名前は、ミロだ」
「そう、か。調書に記しておこう」
「奴隷だと、記すなよ」
「むろん、自由身分の者だ。身元は……」
「アリサ・マクレーンの『家族』だ。それでいいだろう。ずっと、二人は一緒に暮らしていたんだ」
「……そのようだ。私は……古い『モロー』の男ではある。だが、あの二人の死を、悼める。君からすれば、私は……差別的な男かもしれないが。でも、それは……もう、止められると思うよ」
「ああ。アンタは、いいヤツだからな」
信じてやれるよ。ヒトは、ちょっとずつでも変わればいい。オレは、衛兵隊を『エンドルの屋敷』へと招き入れる。ホールに芋虫のように転がった、みじめな犯人を見つけると、鷲鼻の男は鼻息を荒くして、部下に命じた。
「捕らえろ!!」
「はい!!」
「さあ、来るんだ!!」
「クズ野郎め!!」
「……ケガをしているんだよ、私は……丁重に、運びたまえ」
「そいつは、余罪もある」
「他にも、殺しているのか」
「……ふん」
「自宅にあるようだ。この男の名前は、ダナー・スミス。『靴職人』で、アリサ・マクレーンの家の近くに店がある」
「……すぐに、捜査を開始するよ」
「必要な資料は、また、あとで、『カルロナ』に送ろう」
「今、渡せない事情が?」
「マエスが、アリサ・マクレーンの『遺作』を作っているんだ」
「なかなか、把握しにくい言葉である。私が、古い男過ぎるのかね?」
「いいや。ちょっとばかし、難しい言葉でもあるかな。アリサ・マクレーンの生き様を、マエスがこのクソ野郎と、クソ野郎の日記から、『拾い上げた』んだよ。それで、何かを作っている。物語にするつもりなんじゃないかな、そのための資料だ」
「……取り戻して、おくれよ。私の……ものだよ、衛兵。あの『放浪派』の、芸術家気取りからさあ―――」
「―――おい」
口を慎むべきだな。アリサ・マクレーンのファンは、多いんだから。『ツェベナ』の役者になりたかった男が、立っている。憎しみと、怒りに、その瞳を燃やして。殺意を感じる。当然だ。殺気などという甘いものじゃない……ヴィートが、横たわった犯人野郎に近づいて行くが……。
オレが、止めた。
衛兵たちには、見えぬように。その手を隠しておくことを選んだ。ナイフを握っていたからな。遮るようにした。彼のターゲットからも、衛兵隊長からも。非難めいた目で、見上げられる。
「……どうして?」
よく分かる質問だ。殺してやりたいんだな。だが……衛兵の前で、あの男を刺し殺せば、罪に問われるかもしれん。それは、させるべきじゃない。
「ヤツを、より長く生きて苦しめてやりたいからだ。それに、ヤツの醜さを、より多くの者に知らしめたい。そうすることで、アリサ・マクレーンの無念は、永く遺る。多くの者に、アリサ・マクレーンの願いを伝えられるんだよ」
ナイフを握った手に、猟兵の技巧を帯びた指を使う。ナイフを、奪い取った。これも、しばらく預かっておくことにする。
犯人をにらみつけながらヴィートは衛兵たちに道を譲ってくれたよ。ヤツは、オレを見ることはないが、ヴィートを見た。ヴィートが何をしようとしていたか、分かったのかもしれない。
「殺せよ!!腰抜けめ!!殺せ!!オレを、殺せばいいんだよ!!お前らは、本当に、何も分かっちゃいない!!そこの赤毛の山猿に、影響され過ぎだぞ!!恥を知れ、帝国の次は、北方の野蛮猿に尻尾を振るのかよ!!全くもって、情けない連中だ!!」
「うるさい、騒ぐな!!」
「どうせ縛り首なんだ、あきらめて、静かにしておけ!!」
「ハハハハ!!図星だろう!!名誉を、忘れた、馬鹿どもめ!!私は、私は……大きな仕事をしたぞ!!お前たちとは違ってなあ!!ちゃんと、『モロー』の男らしく、行動したんだよ!!亜人種などに、亜人種など……ぐはあおおおう!?」
衛兵の一人が、こん棒をヤツの口に突っ込み、黙らせた。そいつで、十分さ。雨音に呑まれて、クズと……『カルロナ』の衛兵たちは、この場を去って行く。
「ご協力に感謝する!!ストラウス卿!!」
その言葉と、敬礼を残してね。
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