序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その59


 殺人鬼だ。


 邪悪な男じゃあるだろう。


 余罪もあるらしい。十人近くは、殺しているかもしれないな。


 ……だが、間違ってもらっては困るぜ。


 こちらはね、もっと、けた違いの人数を殺しているんだよ。百人どころか、千人どころか、もう一桁は上なんだぜ。この9年間で、どれだけ殺していると思っているのか。日常の殺人と、戦場の殺人が同じものとは思っちゃいないが―――性能のことさ。


 脂汗を流す。


 死ぬ覚悟とやらをしていたはずの殺人鬼でも、そんなものだよ。恐怖は、本能から湧き上がるもので、どうあがいたところで、制御し切れるものじゃない。よほどの武術の達人だとか、芸術の達人とかならば、知らないがね。この『靴職人』じゃ、ムリだったよ。


「はあ、はあ……ッ」


「怖いなら、話すべきだな。しばらく生きて、私の読み上げる、お前の日記に反応しているだけでいいぞ。私が、読み解いてやる。見抜いて、引きずり出してやる。アリサ・マクレーンとミロの真実をな。それを、『ツェベナ』の劇作家あたりに告げればいいんだよ」


「……っ!?」


「ああ。そういう素直な表情をすればいい。お前は、自分が殺人を犯してしまった本当の理由に気が付いている。気が付いてしまったんだよ。お前は、アリサ・マクレーンが示す愛が嫌だっただけだと。でも、そんなことはどうでもいい。こっちに必要なのは、あの二人の真実で、お前のことなんかじゃないからな」


「……嘘を、作り上げるつもりだな!?演劇で……劇など、劇なんて……ッ!!嘘っぱちじゃないか!?」


「『ツェベナ』の熱心なファンにしては、興味深い言葉だ。傷ついたのは、我々ではないぞ。お前自身の方だろうに」


「……っ」


「好きなはずのものを、自ら拒絶してしまうことは……さみしくて、痛いことだろう。ざまあみろ。もっと、苦しんでくれて、一向に構わんぞ」


 オレもマエスも、やっぱり短気じゃあるんだ。今すぐにだって、この犯人野郎を殺してやりたいほどには、怒りまくっている。でも、それを選ぶことはないよ。ガマンできる。アリサ・マクレーンとミロのために……それに、この『遺作』が、『ツェベナ』の劇作家たちの手で描かれたならば、より多くの『狭間』が救われる。


 信じているよ。


 芸術ってものが、どれだけの力を見せてくれるものか―――昨日から、思い知らされてばかりなのだから。


「『ツェベナ』の名誉のために、少しだけ主張もしておいてやろう。演劇は、たしかに虚構じゃある。事実じゃない。でも、真実を描く行いだよ。事実の奥底に、流れている、現象を形作らせている、偉大な根源。そいつが、真実だ。意味は、分かるかな?」


「…………間違った言葉を、聞くつもりはない。マイノリティの、風変りな、認識だろう」


「なんだ。やっぱり、演劇をよく見ている男じゃあるな。そう。目を反らして、耐えようとするものだ。お前のお得意の、足先の運びもそうだな。私から、逃げたぞ。それが、どういった理由からなのは、私よりもお前自身が詳しかろう」


 嘘をついたんだよ。自分に、嘘をついた。


 本当は、マエスの言葉が通じてしまっている。


 やっぱりね。芸術ってものは、真実を見せる行いらしいよ。


 オレも、ちょっとだけ、そいつにうなずけるんだ。今ならね。アリサ・マクレーンは、やはり、自分の人生を肯定したかった。自分の愛を、示したかった。演技という形で、そいつを表現し続けた。それが、ニセモノのはずがない。


「命がけの自己表現は、いつだって、真実しか帯びちゃいないのだ。私たちは、芸術に、それを込めている」


「…………好きに、ほざくがいい……ッ」


「ああ。一生涯、そうしよう。死んでしまった後でも、作品で、叫び続けてやるのさ。我々の真実は、命よりも、長い。死だって、ときには越えられる。お前も、知っていたな。『……思い出す。母さんのことを。貧しくて、不幸だった。でも、いつも、私のことを愛してくれていた。凍てつく冬の痛ましい寒さも、愛を得られない夏の孤独だって、癒される』……死よりも、偉大な真実は、あるのだよ」


 日記に殺人鬼野郎が書いた、言葉だった。どんなことで、母親を失ったかなんて、知りはしない。興味もない。それでも、アリサ・マクレーンの歌は、ちゃんと思い出させてしまったのだ。


「そうだ。そういう顔を、お前はすべきだぞ。深く、深く、苦しめばいい。お前の考えていた通り、女は残酷だよ。だが、女の芸術家は、嘘はつかない。真実を、突きつけてやるだけだ。『……ついに、証拠を押さえた。見張っていたんだ。こっそりと、あの屋敷に忍び込み。二人を監視したんだ。互いに、夢中になっていた、あいつらは、私に気づけなかった。『ツェベナ』で聞いた言葉を使い、指で、みだらに撫で合って……絡み合っていやがった。芸術を冒涜している。あいつらは…………帝国も、去った。祝うべき日だ。祝うべき日だというのに…………私を差し置いて……』。みじめな叫びだ。実に、笑えるよ」


「…………貴様になんて、分からない。私のことが、理解できるはずもない。そんな、日記なんかで……」


「肝心なことは、アリサ・マクレーンとミロのことだ。『ミロは、あの完璧な美しさを宿す顔で。まるで、『モリアーナ』の書いた劇に出て来る、あの甘ったるい、優男のように。亜人種で、奴隷のくせに。女主に芝居じみたセリフを吐いた。何がだ……何が……『世界が、変わらなくても、私はずっと……あなたのそばに。たとえ、この命が終わったとしても、ずっと……』…………だ。そんなものは、嘘だ』。いいや、違う。真実だ」




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