序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その56


「……ふん。構わないさ。そう思いたければね」


「暴力で、正しさを教えてやりたくなる。野蛮人の戦士は、そういうことを担当するために生まれた気がしているんだぜ」


「ミスター」


 しかられたから、脅すのをガマンする。『靴職人』は笑いやがった。前歯と腕と脚を壊してやったことを、嫌っているんだろう。


「『アリサのミロへの愛情は、仮面の下に隠していても露骨なものだ。あらゆる『エチュード/練習』で、ミロへの愛を告げている。『ツェベナ』の舞台の上で、息子を心配する母になり、不倫相手の騎士に密会する女王陛下になり、病床で亡き夫と冥府での再会を夢見ながら息を引き取る老婆にもなり―――いつだって、ミロを、愛していた。演技の練習相手でもあり、真の愛情を捧げた唯一の男が、ミロだった。うらやましい。どちらか?どちらもだ。ミロの恋人、アリサの恋人。どちらにもなりたい自分に気づけた』」


 そのあたりが、この男をより壊した感情なのだろうかね……。


 執着相手が増えて、どちらにも、焦がれて嫉妬めいた感情を抱いている。


「さて、しばらくはプライベートが続くな。朗読は、避けよう。欲しい記憶ではない」


「……私のことも、知っておくべきじゃないかね?」


「いらないな。お前がエルフの男娼と何をしようが、女装してゲイに抱かれようが、どうでもいい。それは、アリサ・マクレーンの真実ではない」


 朗読してもらいたくない日々が、あの日記には山のように書かれているようだ。充たされることのない愛情は、とち狂うもので。この殺人鬼もそうだったらしいってことだ。


「『二人の出会いは、ずいぶんと昔のようだ。子供のころから一緒。アリサの父親は不勉強だったかもしれない。顔の良い少年亜人種は、乙女には毒だ。女は同情をしがちだ。儚く美しいものを憐れみたがる。母親を亡くした私を、あのクソ女が―――いや、どうでもいい。昔のことなんて、どうでもいい。とにかく、ミロは、アリサの太陽で、芸術の根源。愛を貫くことで、多くの演技を完成させた。つまり、あの見事な演技の半分は……女の情欲のはけ口でもあったんだろう。亜人種との愛。『モロー』で成就するはずもないものを、架空の世界で、演劇の世界で、空想に刻み続けたんだ。それは、芸術を、冒涜しちゃいないかね?』……アリサ・マクレーンへの嫉妬が、お前のしょうもない女嫌いの価値観と混ざり合っていったか」


「……違う」


「違わないさ。お前は、大した男じゃない。良い靴を作れても、心が、偉大さを帯びられなかった」


「女なんかに、何が分かるんだあああああああッッッ!!!私の、私が、人生を歩むことが、職人の世界で、生き抜くことが……っ。貴様みたいな、変わり者に、分かるはずがないんだッッッ!!!伝統を、冒涜することで、芸術家ぶろうとしやがって!!!亜人種どもと、それに媚びるクソ女がああああああッッッ!!!」


「冒涜しちゃいない。継いでいる。『放浪派』の掲げた世界観と真実の勝ちを、舐めるなよ!!」


「ぐはあ!?」


 マエスの蹴りが、ダナー・スミスの顔面を蹴り上げていた。悪人の歯が、また一つ減っていたよ。


「オレを止めたくせに」


「お前の蹴りじゃ、殺してしまうかもしれない。私の蹴りは、それほどではない」


「たしかにな」


「……く、う。はあ、はあ……っ」


 短気な芸術家には共感を抱きやすい。悪に対して厳しいところもな。怒りを暴力で晴らし、マエスは、仕事に戻る。ベッドに座って長い脚を組み、殺人鬼野郎の日記を読む。クソみたいなヤツのプライベートは飛ばして、『遺作』のために必要なページだけを、選んでいった。


「『歌うアリサ・マクレーンに、多くの賛辞が集まっている。久しぶりに若い役をした。若い役をこなすアリサ・マクレーンは、いつにも増して……ひたすら、ミロを見ている。恋を歌う彼女は、たしかに乙女で。足先も、指先も、肉体の全てと、心の全てが……ミロを見ていて……あの歌は、まさに…………私の心が、ぐちゃぐちゃにされた。素晴らしい歌。芸術だ。『ツェベナ』から出ると……孤独に……襲われる。世界と、あの場所が、かけ離れ過ぎている。怖い。嫌だ。ずるい…………』。なあ、クズ野郎。お前が何に怖がっていたのか、知っているか?」


「…………うるさい」


「刻み付けるがいい。お前は、自分の人生と、アリサ・マクレーンの人生が示した真実を比べて、絶望したんだよ。ざまあみろ」


「……邪道の芸術家もどきめ」


「ミスター、殺さない程度に、そのクズを痛めつけてもいいぞ」


「感情的にならないブレーキ役は、いた方がいいだろう」


「なるほど。意地悪な男だ」


「朝の恩返しだ。感情に走り過ぎると、きっと、間違えることもあるだろう」


「レッスンが利いている。『放浪派』の才能があるぞ」


「芸術の才はないさ。武術の才ぐらいしか、持っちゃいない。だから、君に頼りたい」


「その言葉は、がんばり甲斐を与えてくれるね。さてと、続きを読もうか。この日記も、あとわずかだ。アリサ・マクレーンとミロの、真実を、私は得たい。遺すために……感傷ではないさ。『モロー』で、長く、差別を越えた愛を貫いたことは、とても、芸術的な真実だろう。芸術家の仲間として、手向けを、見つけてやらねばな……」




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