序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その54


「……彼女の『遺作』だと……?」


「そうだよ。同じ道を歩んでいるわけじゃないが、優れた芸術家同士だからね。アリサ・マクレーンが最期にしたかったことを、見つけ出せるかもしれない」


「……死んだのだぞ、彼女は」


「お前が、殺した」


「……そう。私が、殺して―――」


「―――所有したなど、思わないことだぞ」


「……ッ」


「芸術家は、殺されても。表現しようとした真実は殺されん。遺るものだ。それが、我々の成し遂げた行いなんだよ。お前ごときじゃ、奪えない」


「……そんなことは、ないさ」


 視線が動く……いや、誤魔化したな。首も、わずかに動いていた。体の動きも。そうだった。マエスも気づけただろう。マエスが強めてくれたオレの感覚が、悟れるわけだから。


「……この部屋に、あるぞ」


「そうらしいな。ミスターは、成長が早い」


「いいや。遅いんだよ。色々な師匠たちから、オレはもっと多くを教わっていたはずなのだが、その全てを見えちゃいなかっただけだろう」


「かもしれん。しかし、それを気づけるほどには成長したのさ」


「……お前たち、何を、言っているんだ……?」


 犯人は、不審がる。我々を理解できんのさ。だろうな。ちょっとばかし、不思議な会話をしてしまっているよ。芸術と武術の達人同士、やはり、フツーではない。


 しかし、コイツには心配なこともあるんだよ。『この部屋にあるぞ』という言葉には、緊張と不安を強めている。それは理解が叶うんだ。マエスは、動いた。犯人が、不安げに身をよじる。それも、彼女はしっかりと魔法の目玉で見ている。


「『どこ』を、見ているか。それを見抜けるものだよ」


 慌てて、視線を外すが、もう遅い。オレも、場所が分かった。この日当たりの良い客間に置かれたベッド……その下に、犯人は隠したのだ。マエスにとって、必要かもしれないものを……大女優の『遺作』を創るための素材がね。


「……っ」


 やめろ、と言わないところがシャイな性格なのか、それとも必死の妨害のつもりなのか、あるいは……犯人も興味が生まれてしまっているのか。ベッドの前でしゃがむ彼女を、無言で見逃している。


 ホコリもないよく掃除されたベッドの下に手を伸ばし、すぐにそれは芸術家の指に捕らえられた。


「……見つけたぞ……っと。ベッドの裏に、貼り付けてあった」


 引きずり出されたものは、『本』だ。


「そいつは……日記か?」


「正解だ。こいつは、シャイな職人で殺人鬼だからな。几帳面で、細かく……内省的で、保存したがる。芸術家かぶれでもあるんだ……日々の自分の行いを、遺したい。これは、お前にとっても『遺作』だ」


「オレがいるから、死を覚悟させてしまっているかね」


 だとすれば、嬉しくもある。怯えて欲しい。怖がって欲しい。悪人にそういう感情を与えてやるための戦士じゃあるんだよ。それに、『遺作』のためにも役立ったか。死ぬのなら、遺したい。誰でも、少なからず持っている願望だろうよ。


 犯人は、折れた歯に切られた口のなかに溜まってしまった血のつばを吐き出し、マエスをにらむ。


「……読む気かね、私の日記を」


「お前のプライベートには、興味がない。それは無視してやる。不必要なことだから。私が、求めているのは……マエス・ダーンのことだ」


「彼女のことが、その日記には書かれているのか?」


「間違いなくね。この職人は、憧れていたんだ。芸術への憧れ。美への憧れ。だから、歪んだのだろう。夢と、実力が、釣り合うとは限らない」


「……私を、馬鹿にするかね」


「当然。私やアリサ・マクレーンと、お前のような凡人崩れでは、歴然の差がある。芸術家ではない。お前は、ただの殺人鬼に堕ちた『靴職人』に過ぎないよ。たとえ、上流階級の者に気に入られる素晴らしい靴を作れたとしても……芸術家ではない。『知っていただろ』?……だから、アリサ・マクレーンを殺したんだ」


 無言は、痛ましい真実を指摘されたときに起きる現象の一つでもあった。マエスは、小さな鍵のつけられていた日記を開く。幼いころに得てしまった『生きる術』を使っていたよ。ベルトに、小さな針を忍ばせていた。そいつを使い、ピッキングしたんだ。一瞬のうちに。


 ページをめくり、その名前を教えてくれた。


「『ダナー・スミス』か。芸名とするには、それほど面白いものじゃない。本名だ。お前は、目立ちたいと願っているだろうからね。いつか、お前の犯罪が世間にバレてしまったとき、世に広めたかったか」


「……そうだ。ダナー・スミス。『モロー』生まれの、『靴職人』だよ。誰よりも、履き心地の良い靴を、作れる。派手な靴も、実用性の高い靴も……オーダーの通りに、私は技巧を凝らすよ。マエス・ダーン、君の依頼だって、受けるよ?」


「殺人鬼が私のために作った靴というのも、面白みはあるが……却下だね。嫌いな男の、望みは、一切、叶えたくはない。お前は、『作品』を遺せないぞ。遺したくなっているだろうが……無理だ」


 前歯を失った男が、口内の血をすする音が、雨の音に混じった。苛ついているらしいが、オレもマエスも気にはしない。


 彼女は、ダナー・スミスの日記のページを白い指でめくる。恐ろしい速度で、次から次に。選別しているんだろう。欲しいのは、ダナー・スミス自身の記憶じゃないからだ。


 指が止まり、唇が声を作る。


「……『初めて彼女を見て、心を奪われた。盛りを過ぎて、若いライバルに頂点から引きずり降ろされたがゆえに、至れる美もある。その演技は若さを終えて、より深い熟成に入った。娘を亡くした母親の嘆き。化粧を融かして流れた『黒い涙』は、本物の演技だ』。お前は、『ツェベナ』演劇の大ファンだったか。思っていた通りだよ」


 素晴らしい芸術に惹かれて、悪が寄って来たらしい。


 善も悪も、美は誘ってしまうのか……。


 ……努力と才能が破滅を招くなど、許されるべきではない。




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