序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その53


「な、なんだ、お前は―――ぐふうう!?」


 顔面を、踏みつけてやった。鼻を折る。上の前歯も三本かそれ以上、へし折ってやる。後頭部を床に叩きつけて、反動を殺さないようにわざと足首を脱力させて、バウンドさせてやった。脳震盪を起こすために。狙った通り、起きたな。


「う、ぐう、う――――ぐああああああああああああああああ!!?」


 気付け代わりに、ナイフを抜いた。腱も筋肉も裂いてやりながらな。右腕は、これで完全に死んだ。小指が動けば幸運なレベルだ。他の指に、力を込めることはやれん。ノコギリは、床に落ちた。


 夏の終わりの虫けらみたいに、丸まって、這いずって逃げようとする。逃亡できないように、左の足首を踏んで、すねの骨を一本、へし折ってやった。


「ああ、ああああああああああああああああああああああ!!?」


「……うるせえよ。クズ野郎が」


 悲鳴を上げるのが、許せなくもある。


「貴様は、悲鳴を上げさせてもやらなかっただろう。叫ばせたら、二人も殺せん。お前のような、凡人ではな。奇襲だか、毒でも使わなければ……意識があるような大人の男と、女とはいえ鍛え上げた役者の二人を相手にして、制圧することは出来ん」


「……っ」


「なのに。痛がるなよ。覚悟を、してくれ。貴様は、逃げられん。右腕と左脚が壊されたわけだからな。這いずって逃げることさえ、出来んぞ」


「……な、何者だ……お前は……っ。どうして、どうして……私を……ッ」


「違っているとは思えんが、一応、訊いておいてやるよ。アリサ・マクレーンとエルフの恋人を、殺したな?」


 無言。黙り込みやがった。腹が立つぜ。


「そういうコミュニケーションを断とうという選択は、貴様の身のためにもならんぞ。答えにくい質問でも、答えておく方がいいな。もう、骨身にしみていると思うが、オレは短気な男だぞ」


「……わ、わかったよ。言い逃れは、出来ない……だろうからね」


「そうだな。机の上に、あのエルフの青年のものらしい足首が置いてある。皮を剥いでいるせいか、彼のものなのかどうかも、オレには分からないが……左足だ。右足だったりすれば、三人目を殺していることが確定するが……」


「……あの足は、彼のだよ。ミロくんのものだ」


「ミロ。それが、アリサ・マクレーンの恋人の名前か」


「……どうして、君は、ミロの名前も知らないのに、あの秘密の愛情のことを知っているのかね……?おかしいよ。誰だ。『ツェベナ』の関係者なのか?」


「いいや。オレの名前は、ソルジェ・ストラウス」


「……あ、ああ。なるほど。『プレイレス奪還軍』の『英雄』さんかね……亜人種びいきという噂はあったが……本当だったのかね。こんな、見ず知らずのエルフの奴隷まで、君はわざわざ解放してあげに来たと?」


「アリサは解放する気だったんじゃないかね。『モロー』から、亜人種の奴隷制度は消えた。ミロは、『自由』だった。彼と共に、『カルロナ』に来たのは、それを祝うためでは?」


「……正解。なんで、他人のくせに、そこまで知っているのかね……っ」


「―――私がいたからだ」


「お前は……っ!?……マエス・ダーン……っ!?どうして、『放浪派』の異端児までが、こんなところにいるんだ!?」


「どちらかと言うと、この芸術的な屋敷に私がいる方が相応しくて、お前のような薄汚い殺人鬼がいることの方が、おかしくもあるがね。まあ、アリサ・マクレーンの屋敷に似ていたからだろ」


「……心を読む『バケモノ』とも、言われていたな」


「マエスは、『とんでもない芸術家』なだけだ。バケモノじゃないぜ。ちょっとばかし、常人から離れているところはあるがね。たんに天才芸術家なだけだ。無礼なことは、言うなよ。オレを怒らせることになるぞ」


「英雄の情婦にでも、なったのかね……っ」


「赤毛は私のタイプじゃないから、それはないぞ。さてと……」


 マエスは犯人野郎のバッグを漁る。黒い革のバッグ。使い古されたそれは、職人が好みそうな大きさと頑丈さを感じさせた。


「や、やめろ!!私の仕事道具が、入っているんだぞ!?」


「仕事道具。なるほど。いくつかの作業用のツールがあるが……これは、お前の『道具』なんかじゃないな」


 太い口の瓶をマエスの手がバッグの底から取り出した。丸められた何かが、薬液につけられて保存中だ。


「アリサ・マクレーンのタトゥーか」


「確認してもいいが、白状させた方が早いだろう。おい、彼女の皮膚なのか、これは?それとも、別の被害者の皮膚なのか?」


「そんなことを、聞いたところで、何になる……」


「さあな。真実を知りたいと、私は願っているよ。アリサ・マクレーンは、『モロー』の芸術家。芸術家同士の仲間意識というものもある。彼女が、何かをまだこの世に表現し足りない真実を抱えているとすれば、私が見つけて、伝えてやりたい。それぐらいは、芸術家の仲間としては、考えるものだ」


「…………『放浪派』の、くせに。『ツェベナ』の王道の、芸術家と、君は…………」


「……どうした?オレににらまれたからって、発言を止めなくてもいいんだぞ?不愉快な気持ちにさせてくれたなら、暴力をより振るいやすいんだがな」


「……私は、マゾヒストでは、なくてね」


「サド野郎だからな。そして、エルフの男を死姦するド変態だ。私たち『放浪派』の芸術家をなじれるような、マトモな感性の持ち主だとは思えん」


「……っ」


 犯人の顔が歪む。変態性を指摘されることに、恥ずかしさと苦痛を覚えるらしい。


「『ツェベナ』を信奉するだけはあるな。芸術が好きだ。美しいものが好き。だからこそ、貴様は、自分の本性が嫌いなわけだな。あまりにも、醜く、おぞましい存在だからだ」


「……うるさい。お前は、私を知らないだろう、ソルジェ・ストラウス……っ。『プレイレス』の生まれでもない男だ。私を、知っちゃいないくせに」


「まあな。興味を持ってもいない。貴様なんぞ、この場で首を刎ねてやるべきだと考えてもいたが……だが、マエス。アリサ・マクレーンのためには、もっとこの変態殺人鬼野郎から、聞き出すべきなのか?」


「ああ。少し、ガマンしてくれ。私が、聞き出してみよう。アリサ・マクレーンの芸術家としての『遺作』を、もしかしたらこの世に遺せるかもしれない」


 ……その言葉は、興味深い。それは、オレにとってだけじゃなく、この犯人にとってもらしい。目がぎょろりと動き、マエスの方をにらみつける。


「……お前も、その気になったか。ならば、せめてもの罪滅ぼしに、協力しろ」




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