序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その50


 雨に濡れた石段に、足をすくわれることもなく、我々は無事に下までやって来る。紳士だからね、マエスが転んだときに備えていたし―――戦士でもあるから、屋敷もにらみつけている。犯人の気配を、探しているんだよ。


 魔眼で覗こうとしているが……。


「魔力を遮断する厚みがある、というだけの屋敷じゃない」


「暗殺者に備えている。かなり豊かな者でなければ、この屋敷に住めるはずもない。魔力で探りを入れて来る暗殺者は、多い。その対策のために、魔銀を一定の薄さにして、壁材に塗り込んでいる」


「そうすれば、魔力を反射するというわけかい」


「部屋の構造そのものも、一種の呪術的な構造もしている。覗かれそうな場所は壁そのもの厚いし、調度品が宿す魔力の質も、相乗的な効果を組み上げて、魔力を探るための我々が生来備えている感覚を遮断しようとしてくるのだ」


「……エンドルも、大天才だ」


「その通り。流行は、去ったかもしれないが。保守的で、古い美学というものは、やがて再評価されるときがやって来るだろう。金があるのならば、買っておくと良いかもしれんぞ。お前が買ったという歴史が加われば、否が応でも値は上がる」


「……犯人を、仕留めるぜ」


「おしゃべりし過ぎだからな。芸術家の悪い癖だ。『伸びそうな者』を見れば、育てたくなる。お前は、良いキャンバス、良い石材……若さだけでは、踏み込めない世界に入ったばかりの男。面白いよ」


 女性に年齢を訊くことは、ときに失礼とされることもある。マエスは、同年代に見えるが……ずっと年上のような知識と洞察力だった。何でも知っているようで、刺激を受ける。


 彼女には、もっと芸術をさせたいところだ。


「……魔力で探ることが難しいのなら、他の感覚に頼るまで。足音と気配を消して、ついて来てくれ」


「やれる。師と出会えたキッカケは、私が子供であったのに『良い盗賊』だったからだ」


 その自信は、正しい。猟兵並みとはお世辞にも言えないが、『良い盗賊』と呼べるほどには無音だ。犯人に悟られはしないだろう。


 偉大な建築家の作品に近づいて、ドアの前にしゃがんだ。ピッキングツールはないが、他にも方法はある。腕力でドアノブごと錠の構造を引き抜いてやるとかも、選択肢じゃあるが。そいつは音がうるさいからやめておく。


 鍵穴に手のひらを当てて……瞬間的かつ局所的に、強い『風』を発生させればいい。鍵を使って回すときと同じように、錠は素直にロックを外す。


「……知っている盗賊も、似たような手口をしていたよ。そこまで、魔力のコントロールが完璧じゃないがね。お見事」


「……ああ。いい選択だろ?魔力を遮断する構造ということは、外の魔力も、内側からは嗅ぎ取れないだろうからな」


「……その通り。そこが、課題ではあるが。まあ、この屋敷は砦ではないということさ。騒がしい外界から、自分や家族を守り、遠ざけ……穏やかな暮らしをすべき場所」


「……外から区画して、理想の家にする」


「……そういう哲学のもとに、設計されたのだよ、この屋敷は」


「……アットホームだな。そんな場所で、殺人犯に被害者の足のはく製なんぞ、作らせるわけにはいかん」


「……ああ」


 ドアを、開く。重たいドアだから、前腕全体を使ったゆっくりと押し込む。雨音に蝶番の悲鳴を消し去って欲しい。金持ち用の屋敷のドアは、当然ながら蝶番がいくらか鳴るように出来ていても悪くないものだ。防犯になるからね。


 だが。ゆっくりと開けば、この通り。雨音に隠してもらえる程度には、静かだ。


 ……薄暗い、土間があったよ。裏口のドアの先は、調理場につながる使用人たちのための空間ってところだ。帝国貴族が置いて逃げた食材が、まだ山ほど箱積みにされている。パーティーでもしようと考えていたのかもしれない。


 『モロー』の支配者だったライザ・ソナーズは、派手な社交家、政治の達人だったから。こういう良い屋敷に住める帝国貴族にも、パーティー開催を持ちかけたりしていたのかもしれん。古い貴族は、きっと、この屋敷を気に入るだろうから。


 ……オレも、一応はガルーナの貴族なわけで、大きさ的に実家を連想させる屋敷でもあるんだ。もう少し、洗練から遠いところがあったがね……。


 薄暗さと、夏の早朝特有の質量を帯びた湿気のなかを、無音でガルーナの野蛮人は進む。


 追跡すべき場所は、アタマに入っているよ。犯人は、窓から入ったらしいから。その窓は、この土間から左手側にある。素直に向かえばいいさ。迷路のような構造は、しちゃいないだろうからね。


 土間が終わり、古いがよく磨かれた床板を踏む。泥で汚してしまうが、気にしない。無音で進み、またドアを開くと……長い廊下があった。それに、追うべき痕跡も。


 あちらも雨の道を、必死こいて『カルロナ』からここまで逃げて来やがったわけだからね。靴底も泥だらけだ、全身はびしょ濡れさ。タオルで誤魔化すように靴底を拭いたらしいが、それでも床には濡れた足跡が残るし……服や体から落ちる水滴は廊下に続く。


 これならば、数分もせずに出会えそうだよ。


 楽しみ、というわけじゃないが。あの二人の仇討ちをしてやれるのは嬉しい。エルフと人間族のあいだに生まれた愛を、殺した。罪深いことをしてくれたな。貴様は、知っていたんだろうに。その愛が、どれだけ深い忍耐に培われていたのか。


 人種差別的な『モロー』で、その愛を維持することは、とても覚悟がいることだった。知っていたはずだ。それなのに……奪ったんだよ。


「……殺すな」


「…………ああ」


 何故?……という言葉は、飲み込めた。マエスは、今までずっと正しいから。今も正しい言葉を使ってくれるはずだよ。感情的な野蛮人よりも、真実を見抜く芸術家のことを信じるとしよう。犯人が、抵抗すれば―――殺すがね。期待は、しちゃ……いないよ。




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