序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その49


「さすがは、私だな」


「……失言をするぞ。探偵になっても、大活躍できるだろう」


「良い言い方だな。私は、探偵は嫌いだ。真実を見出したいが、美しさを専門にしたい」


「そっちの方が、楽しいだろうな」


「当然さ。さて、終わらせに行くとしようじゃないか」


「ああ。犯人野郎をぶっ殺―――捕まえに行くぞ。ゼファー、あの屋敷の裏手だ。北側の斜面の上に降りてくれ」


『らじゃー!』


「犯人はシャイで神経質だ。あの屋敷にいるとすれば、表の道を見張る。カーテンは全て閉じ切っているし、『作業』に集中しているだろうから、窓際に常にいるとは限らんが、作業部屋は、そっちを選ぶ」


「常識的な男でもある。普段からの付き合いには、少なくとも常連階級が含まれている。洗練されてはいるんだよ。だから、ミスターの指摘の通り、『常識的な不安の示し方を選ぶ』わけだ」


「猟兵の判断力も、なかなかのものだろう?」


「そうだな。芸術と武術……いや、戦術というものは似ているところがあるらしい。勉強になる」


 こっちのセリフじゃあるがね。マエスと行動していれば、感覚が研がれそうだ。エクササイズ……つまり、マエスは努力で魔法みたいな感覚を作り上げた。参考にしたいところだらけだ。竜の首の動きに、ヒトを見る……興味深いよ。


 だが。今は狩りに集中する。


 犯人の背後を取るように、『エンドルの屋敷』の北側に着地した。斜面の上にある、林のなかに。霧は薄いが、雨音が隠してくれるさ。姿も音も。


 犯人の感覚は、殺人の緊張のせいで過敏になっているかもしれないが……風を読んで雨音に隠れたゼファーの着地に、人間族の耳は気づけないはずだ。ジャンのように『呪われた血』でも流れていれば別だし、マエスのような特殊な例外も別だがね。


 ゼファーはゆっくりと首を倒して、身を伏せる。これで、屋敷からの視点からは完全に死角を取れた。オレとマエスも、背をかがめながらゼファーの背から降りる。


「……屋敷に向かおう。怖くはないな」


「当然だ。竜くんも、こちらにはいる。悲鳴を上げたら、駆けつけてくれるかな?」


『うん。しんし、だからね』


「良い心掛けだよ。そういう態度は、愛される」


『……うふふ。あいされる、ぼく……っ』


 ニンマリと笑うゼファーは、凄惨な殺人事件の犯人を追いかける最中に咲く、癒しの一輪といったところだ。緊張が、ほぐれる。隠遁の技巧を使うときは、あまりに心を張りつめさせてはいけないから、ちょうどいいのさ。


 雨に濡れる林を抜けて、『エンドルの屋敷』が見下ろせる場所へと至る。


 崖と呼ぶほど急斜面ではない。それに……。


「庭園として、整備しているな……『区画』がテーマと言ったか。南無向きで、花も、植えられそうだ。今は、植えられていないが……」


 斜面は幾つかの段差に区切られている。段々に分かれて、それぞれの区画を小さな庭として使えそうだ。幸いなことに、角度は急で細くもあり、歩きやすいとは言えないものの石段が区画たちを伝うように走っている。あれを歩けば、安全に降りれそうだ。


「斜面を、季節の花や植物たちで飾るというのが、エンドルのテーマだった。この斜面そのものを、花壇にしたいという考えだ。区画に応じて、春夏秋冬、季節の花が楽しめるような仕掛けだな。だが、帝国貴族は台無しにしてくれたらしい。小さな子供がいたんだろう」


「子供が、この急斜面の庭へ、遊びに行かないように庭を潰したか」


「もっと、強い痛みかもな。美しい芸術を壊す。上流階級らしからぬ行いだ。それをしたくなるほど、悲しい痛みがあったのかもしれない。例えば、最愛の幼子が、この崖の美しさに誘われて、転がり落ちて命を失ったとか」


「……そういうことも、起き得るだろうな」


「木が引き抜かれている痕跡もある。惜しみない労力があった。おかしな行動というものは、痛みに由来しているものさ」


「……二の舞にならんよう、雨で濡れた石段を慎重に降りるとしよう」


 危険な庭だ。斜面の庭。マエスの『推理』が正しければ、この庭は欠陥だろう。たとえ、美しかろうとも、安全でない庭など、それこそ狂っているのだ。


「背中に、悲しみがある」


「推理されちまう前に、言っておく。オレは、幼い妹を亡くしたことがあるんだよ」


「連想させてしまったか。だが、エンドルの建築を擁護しておく。本来は、高い壁を崖庭と本館の前に設けていた。『危険だと告げるための壁』というものもある」


「……見当たらないようだが?」


「誰かが、それを崩したんだよ。より、崖庭の景観を楽しめるように」


「……帝国貴族が自らしたと?」


「かもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。何せ、エンドルが『拒絶』の意志を込めた『区画』は、本能に訴えかける作りだ。よそ者にも、建築哲学は通じる。『見れば分かる』のさ」


「では……」


「帝国貴族に奪われるとき、呪わしい感情から……『モロー』の建築家が取っ払った可能性もあるだろう」


「……事故を、招くために。悪意のある、罠にしたのか」


「侵略の痛みがあった。だから、おかしなことをする者もいる」


「……だとしても、職業倫理に反する建築家だ。失格だな、職人として」


「その通り。良い目だよ、ミスター。お前は、政治的理由と、善悪を別だと認識していられる。それは、とても正しい。悪を憎め。正義を尊び。美しい心のままであれば、ヒトは堕落と戦えるのだ」


「教訓深いよ」


 転んで落ちてしまわないように、エンドルの思想から歪められた崖庭を降りて行く。マエスは、日々……色々な感情や思考を、感じ取りながら生きているのか。疲れるような気もする。しかし、それもエクササイズ/鍛錬となるわけだ。


 感覚を鍛え上げて、芸術を追求する。


 『とんでもない芸術家』の生き方も、とんでもない。良くも悪くも、無数の感情のカタマリに衝突しながら生きているわけだ。


 ……せめて、この邪悪な犯人の思考を感じ取らなくても良いように、さっさと片を付けてしまおうじゃないか。




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