序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その48
「ヴィートは、『ツェベナ』とアリサ・マクレーンの『家族』に報告してやれ!」
「は、はい。彼女を……いや、彼女たちを家に帰してやれなければなりませんから!」
それも死者にしてやれる重大なことの一つだ。憎しみと復讐以外にも、してやれることがあれば、可能な限りしてやろう。
何かが、狂っていれば。
アリサ・マクレーンと、その恋人のエルフという『他人』ではなくて、クロエとロバートが、あそこに並んでいたのかもしれない。『他人』だが、他人事でもないんだよ。
同情の瞳を、彼女たちから外して……人だかりから離れる。マエスも黙ってついて来るさ。ゼファーは、呼ばれなくても下降して来てくれている。すべきことは、決まったのだから。言葉は要らん。
「う、うおおおお!?」
「あ、あれが……っ。竜!!」
「ストラウス卿の、黒い竜か!!」
羽ばたきが霧を吹き飛ばし、湖岸に大きな波を作る。水しぶきが、顔にかかってくれた。冷静になるには、いい冷たさだ。
『ちゃーくち!』
湖岸のやわらかな砂地にゼファーは足をつける。砂は沈み込むが、足の指を大きく広げることと、しっぽを上手く支えに使うことで重量を分散してみせた。
「賢い竜だな!」
『そうだよ、ぼく、かしこい!さあ、『どーじぇ』、まえす、せなかに、のってー!』
「ああ。マエス、手を……」
「いらないさ!」
少女みたいな活発さで、マエス・ダーンはその身を跳ねさせる。ゼファーの背に、一瞬で飛び乗った。学習能力も早い。一度、乗ったことがあるから、もうコツを掴んでいるわけか。『とんでもない芸術家』には、感心させられてばかりだった。
オレも、ゼファーに乗る。
「ストラウス卿、ムチャはしてくれるなよ!」
「当然だ。クレイ・バトン。オレは、理想的な方法でヤツを追う。君らも、頼んだ」
「ああ。追いかける。どんな可能性も、追いかけて……取り逃さないようにする。『カルロナ』の治安は、私たちが守るのだから!」
衛兵隊長の士気は高い。部下たちも、協力してくれる男たちも。全員が、あの二人の悲しい死のために、戦う気になってくれている。
鉄靴の内側を使って、ゼファーに指示を出した。
漆黒の翼が強く羽ばたいて、湖面に大きな波を描く。後ろ向きに羽ばたきを使ってくれたのさ。湖の奥へと向かって飛んだ。そうすれば、あの二人に水がかかることはない。羽ばたきの風が、泥を飛ばすこともない。これも、死者への敬意が成せる行いだった。
空へと、竜が戻る。
湖面を波立たせながら、高みへと至った。
「……もし、『モロー』が、帝国に解放されていないままだったら……いや、奴隷たちが、『モロー』から解放されていなかったら……彼らは、あそこまで善良な態度だったのかな」
「もしも、そんな仮定に思考を捧げるのは、芸術家だけでも良いと思うがね」
「……かもな」
「悩んでいるとすれば、答えてやる。きっと、彼らは動いた。真実を、知れば。誰かが誰かを愛している。それは、とても普遍的な事情だ。想像し、共感することは容易い。アリサ・マクレーンは、やはり芸術家なのだ。死んだとしても、真実を示し、観客を変える」
「……大女優ってことかい」
「全くもって、その通りさ。さて、竜くん!あっちの方だ、ここからは北北西といったところ……丘が見えるかい?」
「うん。みえる!」
「そこの真ん中あたりに、北へと入る道がある。そのずっと奥に……赤い屋根の大きな屋敷があるぞ。柱に、四角がたくさん使っている。上空から、見たことはないが。おそらく、あれは……中庭の周りを囲むように、正方形の形の屋敷だ」
「特徴的な家だな。それが、エンドルの哲学か……」
「力を御する。内部に、力を閉じ込める。それこそが、古くからの『モロー』建築の哲学ではあるのさ。何とも、束縛的なところもあるが……本質は、『モロー』的な奴隷どうこうじゃなくて、己の内側を覗かせるための視点だ。己のなかに、多くの獣……力や思考の形質を見つけろ、という、鍛錬と努力を尊ぶデザインなのだよ」
「ガルーナの野蛮人には、難しいぜ」
「そのうち、分かる。ミスターは、成長期だ。心のな。強くなれ。多くの者が、お前に頼りたがっている。今よりも、ずっと、多くがな……だが、今は……ほら、見えて来たぞ」
「さすがに、良い魔法の目玉だ。いや、記憶力のほうか?」
「いい洞察をしている。半分以上は、記憶と位置感覚を頼った。『放浪派』の師と共に、あちこち旅をした結果だ」
「遍歴というものは、力を与えるものだな……ゼファー。この距離を、保て。旋回するぞ」
『らじゃー!……あのやしきに、ちかづきすぎないように、するねー!』
「ああ。神経質そうな犯人だからな。勘が冴えていそうだ……マエス」
「どうした?」
「どれぐらいの確率で、あの屋敷に犯人がいると思う?」
「100%だ。自信がなければ、わざわざ行動させたりはしない」
「芸術家ってのは、自信家だな」
我らが猟兵、レイチェル・ミルラを連想できる。レイチェルも、何かを選ぶときは絶対の自信をもって選ぶ。外れたとしても、涼しい顔だがね……。
「その特性も、この生き方には要るのだよ。だが、疑うな。今回は当たっている。あの衛兵隊長が鼻息荒く守っている場所に、長居は出来ないさ。『あいつ』は、殺人鬼だが、シャイで弱者じゃある。レストランにいたのも、二人の死体が発見されて、衛兵たちが湖に誘導されるのを見届けるためだ。その隙に、逃げた。確実さを、好み、選択したまでだ」
「そして、切ないつながりを求め、この屋敷に来る……と」
「愛は、間違っている愛も含め、頑強なものだぞ。それに、悪い隠れ方ではない。私がいなければ、あの屋敷に殺人鬼が逃げ込んだ可能性を誰が気づいたかな?」
「そうだな。すぐには、きっと気づけなかった」
「私もそう思うよ。さて、竜くん。『屋敷の軒先に足跡は見つかったかい』?」
『え!?……どーして、そこを、みてたの、わかったの!?』
「『とんでもない芸術家』だからだよ」
『……っ!?』
「まあ、種明かしをすれば、君の骨格と、筋肉の動きから、どこを見ていそうか読んだだけだ。君は、まるで、ヒトのような首の動きを好む。『父親』が好きなんだね。ヒトを、よく真似しようとしている」
『うん!……まえす、なんだか、すごい!』
「ありがとう、賞賛の言葉は芸術家のモチベーションを高める。それで、ミスター。どうだ?正面玄関には、足跡はついていないだろうが……他の場所は?裏口あたりが、私は怪しいとにらんでいるが?」
「言うまでもないだろ」
「そうだと、思った。お前から感じられる殺気が、強まっている」
「行くぞ。マエスの予想は、当たったぞ。あの無人のはずの屋敷には、数時間前に誰かが来ている。泥のついた足跡が、裏口のドアの前に残っていやがるぞ」
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