序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その44


「……ううっ。何だか、気持ち悪くなって来た……っ」


 集まっていた男の一人……父親らしき者のそばに立つ若者が、青ざめた顔になりながらうめき声を上げる。父親は、青年と二人の死体を遮断するように背中で庇った。


「あまり、見ない方がいい。生々しさが、強すぎる。我々は、そろそろ……限界かもしれないな。隊長殿、帰宅しても、よろしいか?」


「それは―――」


「―――ダメだ」


 オレが言った。この場で一番、威圧的な力を持っている男だから。残酷なこともするよ。マエス・ダーンにだけ頼りっぱなしなってはいけないからな。やるべき仕事があれば、もちろんやる。


「……し、しかし。私たちは何の役にも立てそうにない。こんな、狂気の沙汰には……彼らには同情するが、私は……私と息子は、何の役にも立てないだろう?」


「精神的に辛いのは分かる。だが、耐えてくれ」


「狂気の物語に付き合わされたところで、無力な市民から得られるものなんて……」


「あるぞ」


「何がですか!?」


「お前たちの記憶だ」


「え?」


「犯人は、近くにいる。『カルロナ』から遠からず……『カルロナ』のなかに、まだいるかもしれない。少なくとも、アリサ・マクレーンたちがここにやって来て、殺されて、それなりに時間を要する作業を成し遂げるまでは、『カルロナ』にいた。お前たちは、見ているかもしれない」


「は、犯人を……我々が、かね」


「そうだ。同じ時間、同じ場所にいたんだ。そして、マエス・ダーンの神がかった鋭い感覚が正しければ、ヤツは『目立たない一般人』の容姿をしている。『近づく敵』になれた大女優の目を欺けるほど、一般人だ。君らは、レストランを利用したか?」


「……ああ」


「多くの者を見ただろう。すれ違った。その普通の人々に紛れて、ヤツはいた。その記憶を、マエスは捜査に使いたがっているんだよ」


「さすがだ、ミスター。女心をよく分かっている」


「四人も娶っているからな」


「ミスターの言う通り。私は、君らにもこの残酷な犯人について感じて欲しい。そして、記憶と感覚を呼び覚まして欲しいんだよ。辛い作業になるのは、知っている。苦しかろう。しかし、死者の無念と……この悪人を捕らえるためには、君らの記憶が頼りだ」


「……父さん。オレも、協力したい。か、かなり、辛いけどさ。でも……あの女性の言う通りだよ。オレたち、きっと……どこかで、犯人と会っているかもしれない。釣りも楽しんだ。色々な方とすれ違った……あのなかに、もしかしたら」


「……いる、のかもしれないな」


「君らの勇気が、悪人を捕らえることになるかもしれん。マエスと、オレたちに協力してくれないか?」


「……父さん」


「わかった!……話してください。やれる限りのことを、してみよう。何かを、思い出そうとしてみる……」


「いい考えだ。皆も、そうしてくれたまえよ。ヒトはな、『忘れられない動物』なんだ。『見過ごした記憶』もちゃんと思い出せる。執念深く、問いかけるんだ。地味な男、孤独そうな男、職人であり、しかし、君ら上流階級が使いたいほどの愛想は保つ。知的な雰囲気を持ち、大人しそうで、何よりも無害だ。話しかければ、きっと会釈と微笑で誤魔化して遠ざかろうとする。親切そうに見えるよ。酒場やレストランの隅に座る。壁を背に出来る椅子を好む。視線を反らしやすいためと、獲物を追いかけるために窓も近いだろう」


「……そこまで、断言して、いいんですか?」


「役者志望だった君には、通じるんじゃないかな?」


「……っ!?……そう、ですね。犯人が、私にも……見える」


「壁の近くの席を好むのは、シャイだからでもある。社交を妨げるために、壁を選んでいる。だが、それと同時に……」


「壁を、使って……目立とうと、している?」


「演劇的には、そうだな。視線を止める壁があれば……視線は、壁の前にいる者に向かう。そうやって、絵描きや道具係が用意した壁を用い、権威を強めるように使うんだ」


「……授業で、習ったことがありますね。『レフォード』で……」


「芸術は、実に計算高くもある。本能に響く技巧というものは、まあ、良い師匠であればあるほどに共通項が増えるものだ」


 芸術は、分からんが。


 思い当たるフシはある。


 ……威厳の化身である、玉座。王さまが座る場所は、いつだって壁の近くだ。背後を守るためでもあり、そして、オレたち騎士が王に謁見したとき、視線を集めさせるためだ。背後に広い空間があれば、そこを見つめて『逃げることが出来る』が、壁ならば、視線は逃げられない。


 王を見るしかなくなる。常識と礼儀を弁える者であれば、王をにらみつけるバカはいない。自然と、アタマを垂れちまう。あった。そうだった。ベリウス陛下にも、それをしたことがある。権威は、視線を集めなければ、権威たらんのだ。


 そんなことまでも、芸術家は知識として理解しているのか。恐ろしい感覚だよな。勉強になる。


「つまるところ、この犯人野郎は紳士ぶった地味な目立たない男でありながら、『増長していたわけだ』。オレが『支配者なんだ』と、そうなりつつあった」


「『狩る者』になろうとしていたからな。あるいは、この二人を殺したあとでも、日常を演じたはずだ。こいつは、演じることが常となっている。本性も衝動も隠して、紳士を振る舞わなければならないからな。だから、今朝だって、レストランに行っただろう。日常を崩すことを、好まない。そうすれば、演技のルーチンから外れる」


「変身の魔法がはがれるわけだ」


「そう。素が出ることを恐れている。古いキツネのように用心深い。これまで通りを装うとする。だからこそ、気づかないうちに、演技にも支配されていく。こいつは、王さまみたいな気持ちでいたんだよ。ここに集まる本当の紳士らを、見回しながら……『成し遂げた自分』を誇り、『ただの金持ちでしかない凡人である諸君らを内心では見下していた』のさ。しかし、視線が合えば素早く窓の外を見るだろう、微笑みで誤魔化す、会釈して、『下』であろうとする。いつも通りに。そうしながら、朝食を楽しむのさ。しかし、犯人にとっては特別な朝だ。興奮もしている。殺人という作業もして披露していて、寝ていない。胃袋に飢えがあった。『よく食べていた』だろう。早起きしてレジャーに出かける釣り人たちや、登山者のように―――」


「―――あ」


 マエスの魔法が、一人の男の記憶に触れたようだ。芸術家は、本当に、心の達人ではあるな。



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