序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その43


「コレクションか……」


 良くない響きを持っている。小雨と霧に沈む湖畔の片隅で、殺人事件の調査に協力してくれた勇敢であるはずの男どもの顔も凍てつかせるほどにはおぞましい響きだったな。

鷲鼻の隊長は、鼻息を荒くする。正義の番犬にとって、聞き捨てならない言葉だったから。


「何人も、殺していると言うのかね!?」


「この行いは、邪悪である。それを私も理解しているが。しかし、一種の愛であり情熱でもあるのだよ」


「愛だと!?ふざけるな!!」


「クレイ・バトン、落ち着け。マエスにとっての愛情ではない。犯人の、歪んだ邪悪な感情についてのことだ」


「……っ」


 必死に落ち着こうとする男がいた。犯罪の捜査のために、犯人を知る。それもまた有効な追跡手段を組み上げるために必要だと、理性は分かっているのだ。少しばかり、感情を落ち着かせるには時間は必要だったとしても。


「……このクソみたいな犯人や銅は、つまり……彼らに、憎悪だけでなく……好ましい感情を抱いていたと」


「愛が気に入らないなら、執着でもいい」


「……そちらの方が、受け取りやすいね」


「そうだな。愛は、一般的には双方向から支持で成り立つものだ」


「一般的に、か……」


「あらゆる感情は歪むものだよ。とくに、愛というものは、そうさ。この歪んだ愛の執着が、二人の遺体からは感じられるだろう?」


「……支配欲」


「そう。支配したがっているんだよ。それも愛が良かれ悪かれ強まった結果だ。子供を教育で束縛しようとしたり、妻が他の男と出かけるなんてとんでもないと考えたり……愛は、多かれ少なかれ、そういった面を強くしてしまいやすい。この犯人も、そうだ」


 愛と呼ぶには、おぞましい種類の感情ではあるが……マエスの指摘は、おそらく正しいのだろう。怒り、憎しみ、嫉妬、殺意……どれも、愛が歪むと産み落とされることがあった。


「ヒトには狂信的で、中毒的な愛がある。それが心のなかで大きくなり過ぎると、邪悪さだって帯びてくるものだ」


「……信仰に、中毒か。そいつらは、どっちも、『徐々に大きく、積み重なって深刻なものになる』」


「犯人は、この殺人をする前にも、同じようなことを過去にして、歪みを大きくしていったのでしょうか……マエス・ダーンさま?」


「だろうな。ある日いきなりは、この行動力にまで至らないだろうからね。二人も殺せる手慣れた技巧があるんだぞ。で、青年。アリサ・マクレーンは、何かしらの被害を訴えていたことはないか?」


「……狂信的な感情を、持たれることは、かつてほどではないにしても、あったと思います」


「おかしなファンがついていたのかね!?」


「熱心なファン、です。彼ら彼女らの全員が、芸術を好み、演劇を好み……彼女を愛してくださってはいました。それは、ときに役者からすれば、何かしらの不穏さを感じさせるものでもありました……付きまとわれたり、いきなり告白されたり……異常なまでの、高額なプレゼントを捧げて来たり…………彼女にでは、ありませんが。切り落とした指を、プレゼントして来たファンも……いましたね」


 どよめきが起きる。集まっていた男どもは、その『気持ちの悪い行い』に怯えつつも、『ちょっとだけ理解できる』んだろうよ。ここにいるということは、上流階級の人々でもある。切り落とした指はともかく、高額なプレゼントを芸術家に捧げたことぐらいあるのだろうし、周りの友人たちがそれをする光景だって見たことがあるはずだ。


 オレだってね、カイ・レブラートの家が『ツェベナ』のパトロンだってことを、昨日、知ったんだ。『プレイレス』の金持ち層は、芸術家を擁護し支え……ときに、過度な愛情や支配欲を抱くこともあるのだろう。金を注いだ相手に、ヒトは歪んだつながりを求めもするのだ。媚びたんだから、媚びろと……ね。


 傭兵稼業も長い。金で、雇った者の心まで買えているかのように振る舞うヤツも、知っているんだよ。


「健全な範囲の『甘やかし』ならば、我々、芸術家にとっても有益だ。芸術には金もかかる。画材を買うのだって、無料じゃない。ありがたいことではあるが……まあ、それはいい。アリサ・マクレーンは、最近、何かそういった異常なファンについて語っては?」


 『ツェベナ』のスタッフは首を横に振る。


「私が知る限りでは。彼女が、そんな悩みを抱えているとは……うちのアーティストたちも、慣れてはいます。狂気が見えるファンが近くに現れたら、スタッフに教えてくれると思いますよ。とくに、ベテランの女優は、若いころから怖い目に遭わされた経験がある方も多いですから。もちろん、当人の悩みの全てを、共有できはしませんが……」


「ありがとう。参考になった。犯人は、『己の衝動が強いが、隠すのも隠れるのも上手らしい』」


「『ツェベナ』のスタッフにも気づかれない秘密を知っていて、行動を追跡したわけだからな。常に近くにいなければ、絶対に出来ない」


「そう。でも、気づかれてはいなかったようだ。となれば、心を態度に出さないことの出来る男だ。自己の心理操作の術に長けた、常習的な嘘つきかもしれん。そして、周りに融け込める、地味な容姿だ。おそらくは、何等かの職人」


「職人というのは、どこから出て来るんだね?」


「訓練期間の長い修行を行わなければ、なかなか、その心理操作術は作れないものだよ。この死体には、情熱がある。歪んだ情熱、歪んだ愛だ。それを長年抱えていても、本命にはぶつけなかった」


「……長年のファンでなければ、アリサ・マクレーンの秘密も、行動パターンも、読めない」


「ああ。師匠にでも言われた教訓で、心に巣食った衝動をこれまで御していたのだろう。衝動を殺す。職人は、要望に応え、己を殺す必要もあるものだ。嫌な客や、客の我がままにだって、仕事のためには付き合わなくちゃならないこともある。そういう経験が培った、心理操作術がなければ……ヒトの心を学んだ専門家であるベテラン役者、アリサ・マクレーンに、存在を気取られていたはずだ」


 芸術家は、芸術家を知るらしい。職人にも詳しいようだ。似たところがあるのだろうから。猟兵……というか、傭兵にも理解が出来る範囲があったな。技巧に生きる者がいた。そいつとオレたちは同類であるが、犯人のクソ野郎は、職業倫理と人道を踏み外し、悪に堕ちた。仕事で培った力を、悪用したのだ。


 罪深い裏切りだぞ。




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