序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その42


 正しい認識というものは、知性で行うとは限らない。差別というものは、知性で作り上げる。だが、本能は……それを越えて働きもした。クレイ・バトンは鷲鼻の下にある口を閉ざし、二人のことを見つめる。


「政治的な信条を、そう簡単には変えられないだろうがね。それでも、試してみろ。お前は、より善良になれる。そうすれば、もっと素晴らしい衛兵隊長にもなれるだろうよ」


「……仕事の役に立つのなら……」


「そう。まずは、それでいい。自分のなかのクソみたいな考え方と、戦う術を用意していけばいいのさ。そのうち、より正しく動けるようになる。足踏みしていてもいい。世界は、私やミスターが変えてやるよ。そうすれば、お前は自ずと我々の側になるだろう」


「……私は……」


「まあ。今は、そんなことよりも、犯人を見つけ出すことが優先だな。この青年と、女優の関係は想像が及んだが……ミスター、何か見つけた頃だろう?」


「お前が全ての答えを見つけてくれるのを、ただ指を咥えて待っているほど、無能な男になりたくないからな」


「そうでなくては!レッスンをしてやった甲斐がないというものだ。依存するなど、赤毛の北方人らしくはない!」


 赤毛の北方人にどんなイメージを抱いているのかは知らないが、オレだって必死に仕事をしている。呪術があれば、『呪い追い/トラッカー』を組めるかもしれないと期待してもいるし、それが無くても……追跡術は我々に道を示してくれるとも信じている。


 状況というものは、素直だ。


 とくに、悪意が作り出したものは、独善的で、欲望くさい、嫌な気配が残存する。


 視線がにらみつけていたのは、その失われた部位だ。


「左の足首」


「……切断された方の、足首ですね」


 ヴィートの言葉にうなずいた。ヴィートは、その部位を見ようとして……吐き気を催したらしい。口もとを手で覆う。


 鷲鼻の隊長は、鼻を鳴らした。


「おい。死者に吐くなよ!」


「す、すみません……っ。大丈夫です。落ち着き、ました……っ。それに……腑分けを、見せていただいた経験もありますし」


「あれと、こういう犯罪が作り出した死体というものは、あまりにも、違う」


「……そう、ですね。バトン隊長……あまりにも、ひどい……」


 腑分け……解剖を学問として見せてくれる者たちには、死者への敬意がある。高い職業倫理も伴うものだ。だが、この死体は違う。ただの凌辱と、獲物に対しての容赦ない略奪の痕跡があった。


「……この足首は、切り取られ方が『雑』だな」


「いい視点だ。続けてくれ、ミスター」


 マエスも当たり前のように気が付いている。ということは、オレの予想はかなり真実に近いところを探り当てているのだろう。


「解剖学的な、正しさがない。足首だけを、切り取りたいのなら、『こんな場所』からノコギリで切ったりしない」


「……どういう、ことでしょうか、ストラウス卿?」


「関節に沿って切る方が、仕事が早い。くるぶしの上で切らなくても、その下に刃物を入れればいい。皮膚と人体と腱を切れば、もっと楽に取れる」


「う……っ」


 『作業』を想像してしまったのだろう。ヴィートは青い顔をした。周りにいる男たちもそうだ。まあ、構ってはいられない。真実が欲しいんだ。彼らの精神的な平穏などよりも。


「この犯人野郎は、解剖学の知識を持っているのに、わざわざ切りにくい場所を選んだ。執着がある。手間をかける価値を、持っていた。くるぶし……『モロー』の男たちよ、そこに君らは何を連想する?」


 青ざめた顔の男たちは、困惑した。沈黙する。犯人の行いを想像して怯えてしまっているのかもしれないな。しかし、鷲鼻の隊長は違う。勇敢だった。自分たちの残酷さからも、今は逃げる気がない。


「束縛だ。足かせを、そこにはめる……犯人は……このエルフの青年のことを…………そうだ。奴隷に、しようと考えている」


「だろうよ。犯人は、それをしたいからこそ、わざわざ手間をかけやがった」


「……だが、解剖学の知識が、あるとは?」


「衛兵隊長、彼女のタトゥーは、『上手に切り取られている』んだぞ?」


「そう、か。それに……君の鼻では、保存剤を使用していると……手慣れている、というか、知識があったわけだ」


「腑分けに参加したんだろう。かなり、熱心な頻度でだ。しかし、オレたちのように解剖学の知識が欲しいというよりは……」


「ただの、死者への欲望だ。この犯人は、シャイで人見知りだな」


「どうして、そんな性格まで?」


「芸術に詳しいゲイは、内省的なところがありがちだ」


「……まあ、そうかもですね。芸術に……詳しい。そうか、そうじゃないと、アリサ・マクレーンを襲わない……」


「着け狙っていた。チャンスに即応できるほどには。ずっとな。この犯人は、『ツェベナ』のスタッフであるヴィートくんよりも、アリサ・マクレーンに詳しかったのだろう。大ファン、というか……端的に言えば、ストーカーだ。追いかけまわしていた。私生活まで覗き、『恋人』の存在まで知っていたのさ」


「……エルフの、恋人がいたことが許せなかったと?」


「君らのようにかい?」


 傷つけるための言葉だった。衛兵隊長や、周りの男たちの良心は痛みを与えられる。


 マエスは師にまつわる鬱憤を晴らそうとしているのかもしれない。『ハーフ・ドワーフ/狭間』の師だ。マエスには、この二人は……まるで、師の両親にでも見えているのかもしれない。


「まあ、君らの考え方も、分からなくはないがね。大女優の愛を射止めた者が亜人種ということを、『モロー』の人間族の男たちは受け入れがたいのかもしれんが……忘れているぞ。この犯人は、ゲイで、アリサ・マクレーンを強姦することはなかったが、こっちのエルフにはしっかりした」


「……ヤツの、『標的』は……まさか、男の方だと?」


「どっちも標的さ。しかし、性欲の対象だったのは、エルフの男の方だ。女優のタトゥーを奪ったのは、飾るため。ただの戦利品だ。男の足首から先を奪ったのは、己のモノだと示すため。足かせをはめて、飾りたいのだろうさ。保存剤を使っていないからな。薬液に浸して暗所で長々と保管したいわけじゃない。より長く、そして身近な場所で保存する方法を選んだ。解体して、皮を剥ぐ」


「剥製にして、足かせをはめて、自分のそばに飾り置きたい」


「そうだよ、ミスター。この変態野郎は……コレクションを作りたがっている。そして、作った。一度目か二度目か……それとも、もっとあるのかは知らないが。歪んだ支配欲を持った、邪悪な殺人鬼だ」




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