序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その40


 それは一つの慰めではあった。オレを、どれだけ安心させたか。


「……役者というのは、違っていたのかね?」


「……いいや。それは、分からん。オレが思っていた役者の性別が違っていただけだ」


「ご友人たちでは、なかったと?」


「オレの友人たちでは、ない。エルフの男と、人間族の女のカップルは―――」


 ―――友人にいない、とは言えなかった。


 瞬間、背筋に氷雨が注いだように感じられた。オレは、想像してしまっていたんだ、クロエとロバートのカップルの、弟妹たちのことを。そう、カイ・レブラートと、その恋人のことだ。あちらなら、この組み合わせとなる……。


 瞬間の、恐怖だった。


 しかし、すぐに落ち着ける。


 カイとは、体格があまりにも違うし、女の死体の肉付きも、若くはあるが、学生のそれとは言い難い。違っていた。だが、ゾッとさせられたぜ……。


 湖畔の朝の空気に、冷えたため息を吐く。気苦労の息は、いつも重たい……。


「大丈夫か、ソルジェ・ストラウス殿?」


「ああ。大丈夫だよ、クレイ・バトン。この二人は、オレの友人たちではないんだ。しかし……ヴィート!」


「……は、はいっ!ただちに、確認をします……しかしっ」


「う、む。そうだな。顔も、ズタズタに……」


「特徴は、ある。女の年齢は、三十前だ」


 マエスがそう言った。度胸がある彼女は、この惨殺死体となったカップルに近づいていき、彼らの全裸にあの魔法の目を使って観察を始めてくれる。


「若作りだがな。肌がやたらと年齢にそぐわず綺麗で、なめらかではある。日々、磨き上げているぞ。これは、女優の特徴でもある。そして、何よりも、関節だな……」


「死体にしては、やけに真っすぐだ。とくに、女性の方が」


「そう。さすがだ、ミスター。彼女はね、よく訓練された本物の役者ということだよ。肘も膝も背骨だって。どの関節のおいても、それらが内側に曲がることも外側にぶれることも、許さなかったんだ。正しく役をこなすために、身体の乱れを否定して、演技のための道具と化していく。そういうエクササイズを常にし続けて、『本物の役者の身体』を作り上げた。この女は、間違いなく『ツェベナ』か、それに相応するレベルの劇団の役者だ」


「……ふ、む。この方は一体?」


 鷲鼻の隊長は、困惑している。当然か。


「彼女はマエス・ダーン。有名な芸術家だ。オレたちが雇っていたんだが……この事件の解決に、協力してもらうことにした」


「腑分けもやれるからな。それに、洞察力もある」


「そう、らしいね。しかも、役者の身体にも詳しいわけか……」


 職業人の喉が、満たされたうなりを上げる。最良の猟犬と出会った、猟師のように。


「ああ。解剖の知識があったところで、芸術の知識がなければ、汲み取れない真実もあるのだよ……まあ、それは、いい。私のことより、彼女たちの身元を調べなければな。仕留めるべき悪の手掛かりも」


「そうだ。彼女は……『ツェベナ』の役者かもしれない。なにか、体形以外にも……他に個人を特定できそうな点は…………」


「良い目だ、ミスター」


 気づいている。マエスも、オレも。


「左の乳房の下だ、脇腹近く。皮が……剝がされている。タトゥーでも、入っていたのかもしれん」


「……左の脇腹の、タトゥー……っ!!そ、そうだ、彼女は、アリサ……っ!!アリサ・マクレーン!!」


「ほう。『ツェベナ』で、十番目あたりの格の女優だな。若いころは、トップでもあったが……」


「ああ、アリサさんっ!!こ、この髪の色、この……体格……っ。ああ、そんな、そんなあ……っ!?」


「……『ツェベナ』の役者だったわけだ。宿帳への記載は、間違いではなかった」


 男女についての勘違いを、若い衛兵はしていたようだが。現場は、混乱していただろうから、しょうがない。許してやれる。それぐらいのことは、今のオレにもやれるのだ。あの二人では、なかったから。プロポーズの瞬間に、立ち合えた喜びが、痛みに変わることはなかったから。


 ……だから。今は、この犠牲者たちの分析を成すべきときだった。探偵を、しなければならん。猟犬となり、殺すべき悪に追いつかなければな。竜太刀のなかで、アーレスも悪人の血を求めて燃えている。女性には、いつだってやさしいのがオレの竜だ。


「タトゥーを剥がした。それは、身元特定につながるかもしれない『特徴』を、犯人は隠滅したということだろうか?」


「ありえることだね。捜査をかく乱しようとしたのかも―――」


「―――いいや。違うと思うぞ」


 マエス・ダーンは、アリサ・マクレーンの脇腹に顔を近づけながら語る。犬みたいに、鼻を動かしていたな。


「違う、とは?」


「薬品のにおいが、残っている。これは、保存剤だな」


「保存剤というと、死体の、腐敗を妨げるものかね?」


「そう。どういうことだと、思う?……ミスター?」


「野郎、『戦利品』にしやがった」


「……戦利品……だとっ!?」


「私も、そう思う。顔も胴体も、ナイフで感情的に破壊して、楽しんでいるように見えるがね。このタトゥーの剥ぎ取りは、実に丁寧だ。一秒でも早く、保存剤に浸したいという欲望から、保存剤をぶっかけた上で、削ぎ取りにかかった」


「畜生、変態め!!」


「そうだな。衛兵隊長。犯人は、クズ野郎だぜ」


「…………さっきから、野郎、と?」


 鷲鼻の隊長は、怒りながらも職務にまつわることへは感度を保つ。いい職業人だ。


「そう。ミスターは正しい。犯人は、男だ。少なくとも、男が混じっている。じゃないと、この悪臭はない」


「そうだろうな」


「何を、二人して?」


「おいおい。ミスターたちの方が、詳しかろう。精液のにおいには」


「……っ!?」


「まさか!?犯人は、アリサさんを、ご、強姦して……っ」


「い、いや。そんな痕跡は、なかったが……?」


「じゃあ、『逆』だってことだろ」


「逆……?」


「正解だぞ、ミスター。さすがだな……っと!……ほら、大当たり」


 エルフの男の死体がひっくり返された。どこかとは、言わんが。その痕跡があった。


「お、男を、お、犯し……っ!?」


「エキセントリックな犯人だ。衛兵隊長、これは、かなり厄介な悪人だぞ。ただし、組織犯では、なく。異常な行動力を持った、個人だろう」


「……どうして、組織犯じゃないって言えるんです?」


「変態過ぎるからだろうよ」


「正解だ。亜人種への差別主義者かもしれないが、そういう政治ポリシーのもとに集った保守的な団体の者ではない。そういった輩からは、むしろ嫌われるな。ゲイで、芸術家に詳しく、職人的で……ヒトの輪に入ることを好めない孤独な者さ。さっさと見つけ出して、殺すべきだ。狩らねば、病みつきになるタイプかもしれんぞ」




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