序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その39


「誰だ!!」


 霧と小雨のなかを駆け抜けて来たオレたちに、人だかりを作る者のなかで一際背の高い男が俊敏な首の動きと声で牽制してきた。背中の竜太刀を、ちゃんと見ているよ。青い瞳には警戒心と、それ以上の攻撃性が輝いている。威嚇の時間など秒で終わり、今にも腰にぶら下げたサーベルで斬りつけて来そうだった。


 衛兵だな。『ツェベナ』を訪れた見習いではなく、リーダーの地位にあるか、その周りにいるべき中年男だ。鍛錬していて、あの年齢にありがちな腹のふくらみも一切なかった。


 誤解を深めないためにも、緊張の強まるその場に立ち止まる。


「オレは、ソルジェ・ストラウスだ。君らは、知っているはず」


「……『プレイレス奪還軍』、解放者気取りの……赤毛の英雄」


 保守的な中年男にありがちの評価をしてくれているらしい。気に入らないところもあるのだろうよ。仏頂面は岩のようで、眉間のしわも揺れる鷲鼻も、敵意があった。だが、それでも職務には忠実なのだろう。


「緊張は、するな。皆、武器を降ろすんだ」


 若い衛兵たちと、自発的にこの仕事に参加してくれた金持ちの男だとかその息子であろう若者たちに、鷲鼻野郎は指示を出す。職業倫理は、持っている男だ。オレが気に食わないからって、犯罪を見過ごすこともなければ、ムダな衝突を起こすことも望まない。


 あるいは。それをしたところでムダだと悟れる程度には、暴力に対しての専門家でもある。全員がオレに鋼と殺意を向けて、体現して来たところで。傷一つ負わせることもないまま、みじめに打ち据えられて転がるだけだからな。


「……威嚇して、すまなかったな。ソルジェ・ストラウス殿よ」


「いいや。こちらこそ、不用意に近づき過ぎてしまった」


「……私は、『カルロナ』湖畔周辺の衛兵たちをまとめている者だ。名前は、クレイ・バトン」


「衛兵隊長クレイ・バトン。よろしくな」


「……歓迎はしてやろう。しかし、何をしに、訪れた?」


「あ、あの。クレイ・バトン隊長!」


「君は?」


「私は、『ツェベナ』のスタッフです」


「おお!早かったな!さっそく来てくれたわけだ。被害者の確認のために……」


「はい。ストラウス卿は、私から協力を要請しました。優れた戦士でありますし、そして、『ツェベナ』との縁も……」


「……被害者となったかもしれない、クロエとロバート。エルフと人間族のカップルとは、友人だ」


「む。そう、かね」


 マエスのレッスンが残っているせいもあってね。色々と、感覚が花瓶になっている。クレイ・バトンは『エルフと人間族のカップル』というフレーズに、怒りを覚えられる人物ではあるらしい。冷たい顔に、赤みが差しやがった。


 治安と秩序を守る衛兵らしく、保守的な考えの男だよ。つまりは、『モロー』の古くからの考えを貫きたい男。人間族の優位性を信じたい人物であり、差別主義者だろう。


 だが。それだけではない。亜人種が嫌いなのかもしれないが、それと同時に、犯罪を憎む気持ちはもっと強い。犯罪の被害者に同情して、赤い怒りが消え去っていた。良くも悪くも、保守的でマジメな男と言える。


 死者とその友人への敬意を込め、彼は頭を低くした。


「……酷いことになってしまった」


「……二人は?」


「……こっちにいる。検死の準備段階として、規定に従った検査を行っていた。検死に長けた医者の先生を、呼びつけている。もうすぐ、彼も来るだろう……」


「オレも、手口を見たい。二人と、会わせてくれ」


「友人が、見るべきものではないぞ」


「戦士だぞ、オレは」


 伝わるさ。その短い言葉でも、このクレイ・バトン隊長には。鷲鼻は、やっぱり縦に何度も揺れた。


「わかった。こっちに来てくれ」


 人だかりが、我々のために開かれる。男たちの悲しみと若者たちの困惑、さまざまな表情を帯びた同情の態度のなかを進んで……。


「……っ」


 毛布をかけられた、二人の死体と出会う。


 青ざめたはだしの足が、三つ見えた。一つ、足りない。死体の全貌は毛布に覆われて隠れていたが、その欠損に……怒りを覚えたよ。


「足を斬り捨て、どこかに捨てやがった。女の足を……クロエの足を……ッ」


「……ああ。残酷な、犯人だ。なんと、むごいことを……拷問を、したのかもしれない」


「い、生きたまま、彼女の足を、き、切ったと!?」


 善良なヴィートの知らない悪意の世界が、そこにあった。演劇とは違う。現実の死体というものは、ただ青ざめていて、ときに邪悪な敵意が彼らに何をしたのかを遺している。


 彼の心理は、心配だがね。


 こっちも、そんなことに構っていられるほど、余裕もない。怒りは、八つ当たりじみるものだ。それを、噛み殺しながら。寄り添うように並べられた二人のそばに座る。一組で済んだ毛布を引っ張り……霧と雨と湖水に濡れた裸身が、脚の方からあきらかになった。


「若者たちは、見るべきではないぞ!」


 鷲鼻の隊長は、いいヤツかもな。差別主義者でも、二人を寄り添って並べてくれたから。


 白くて、青くて。


 冷たくなった死と……犯人がしやがった全てが、オレの目の前に明らかにされる。ナイフで刻み付けていた。足を落としただけじゃなく、二人の全身を切り刻み、顔まで、判別がつかなくなるほど……残酷に切り裂いて……目玉も、くりぬき……男の耳は、切り落とされていた。


「同じこと以上を、してやらねばならん」


 怒りに冷えて、固まった言葉が出た。周りの男たちが、怖がり震えた。だが……だがね。こんなときにも、オレは一つだけ安心していることがある。犠牲者たちへの怒りは、消えない。もちろん、彼らのために復讐へ全力を尽くすが……これは、大切な事実だった。


「エルフの男。人間族の女。逆だ。クロエとロバートのカップルでは、ない」




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