序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その38
……全速力は出しちゃいないが、それでも二人ともよくついて来てくれている。すべりやすい桟橋を越えて、白く美しい石材で組まれた豪華で静かな別荘地へと突入した。オレたちのいた屋敷ほど大きくはないが、避暑地として過ごすには最適そうな街並みと家が続く。
湖の風を吸い込んでくれやすそうな高い位置の窓とかな。家にこもった夏の熱気が、あそこから抜け出してくれそうだよ。屋根の色は、赤と青が半々だ。何かしらの規則性があるように見えるが……今は、それよりも。
「広範囲を見ることだ」
「探索のコツという、ものでしょうか、ストラウス卿?」
「ああ。移動がもっぱらだが、そのあいだにも……何かを見つけらるかもしれん。ヴィートは右手側、湖の方を。マエスは左だ」
「いい判断だ。私の方が、この青年よりも良い目をしている。彼は、左眼の視力も少し悪いようだからな」
「……っ!?あたりです。昔、流行り病をやってしまい……左目の動きが、外に動かそうとすると引っかかるように、硬くなるんです」
怪物並みの観察眼だ。オレでも、見過ごしていたぞ。
「役者をしようとすれば、怒鳴られることだな。完璧な道具として、肉体を使えなければ、振付師も演出家もお前の胸ぐらをつかんで怒鳴りつけるだろう」
「……はい」
「必死で、修正したな。だから、ミスターにもバレなかった。日常生活レベルまでには、誤魔化せた。しかし……演劇の世界は、日常をより高度に凝縮したものだ。運命が、残酷なことをしていたらしい。悪く言ったのは、すまなかったよ」
「いいえ。こんなハンデを、乗り越えた方々もいた……『ツェベナ』の道は、役者の道は、本当に深い……それを、その努力で、才能を磨き上げた者を……ッ」
「仇を討つ。だが、情報収集が第一だ」
「……はい!可能な限り、多くを、見つけます」
「……コツがある。動きながらでは、形状に集中することは難しい。この霧と小雨で、視界も悪い」
「どうすればいい?」
「色を頼れ。形は捨てろ。いいか。色や光の方が、形よりも早く認識が及ぶ」
「なるほど」
オレも、武術の速度を上げるときは……思えば、色で認識している。光でも。形も、見てはいるが。それよりも先に悟っていた感覚は……たしかに、色と光。闇のなかでは、肌も使うが……。
自然と使えていたから、そんなことを考えたこともなかったぜ。『とんでもない芸術家』ってのは、本当にとんでもない。
「このおだやかな色彩を誇る『カルロナ』の街並みに、相応しくない色を探せ。ムダに、静かな色。灰色だとか、茶色だな。目立たないようにしている色に、隠れようとしている。木箱や、物陰の近くにいるような者を探せ。犯罪者というものは、全力でその場から離れる者と……犯罪現場の近くに隠れようとする者に分かれる。後者の方が、多いものだ」
「……探偵のようですねっ」
「その仕事をする連中は、嫌いだがね。連中の目は、つまらん。もっと、多くを見れるような目にしなければ、悪事程度しか読み解けん……ボケナスどもが!」
彼女は探偵嫌いらしいからな。師匠がらみのことで。
「今は、アドバイスに従おう。色、だな」
「そう、霧のなかでも、濃く黒い色が、隠れるときの静かな動き、曲がった背にあらゆる角度を伺おうという警戒の視線を使うときは、遅い。そういう悪人はな……白い霧のなかでも浮かびやすい重さがあるのだ。静かな場所を、探せ。そういう場所に……我々の追いかける悪人はいるだろう。竜くんも、そうしてくれたまえよ」
「……ゼファーに、お前の声が伝わっていることを、知ったか」
「空にいるのに、私のアドバイスに反応したようだからね」
「風の音も聴くわけだ」
「そう。ミスターもしているように。竜くんも、アドバイスの通りに、してみるといい。集中すべきを把握すれば、猟兵の感覚と野性ならば……この『戦場』という場所においては、より有効な知覚を成せるだろうからね」
本当に。
感心しさせてくれる女性だよ。
ガルフでも知らなかったのか……あるいは、当時のオレたちでは使いこなせないとあきらめて伝えなかったかもしれない技巧を実践している。恐ろしい感覚の使い手だ。技巧と知識で、人間族のそれでしかない能力を、極限にまで研ぎ澄ませるわけか……。
欲しくなる。
猟兵のアドバイザーに。
……だが、今は。集中すべきは……。
「黒く、遅く、重い、そして沈黙を好む影……」
「その通りだ。探せ。視覚を広く使うんだ。全体を見ろ。だが、視界の端は、当てにするな。あそこの色彩感覚は、偽りを呼ぶ……さらりと、流すように目玉を動かせ。探るべき点を絞っておけば、感覚は自動的にそれらの場所を調べてくれる」
「む、難しいですね……っ」
「そうだ。しかし、やれ。それをすることで、犯人捜しは楽になる。我々が調べた場所には、大した痕跡はない。どんどん、調べるべきを減らすんだ。有効で、生産的に、知覚を使え」
……悪人どもを探るだけでなく。恐ろしいまでの訓練になりそうだ。
ロバート、クロエ。
頼りになる女を、連れて来れたぞ……。
……我々は、知覚を全開にしながらも、怪しげな者は見つけられないまま、あの人だかりに到着していた。確かめないと、いけないな。お前たちか、どうかを……ッ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます