序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その37


『おりるねー!』


「おい。いきなり竜で向かうと、驚かせてしまわないか?」


「……そうですね。犯人にも、気づかれるかもしれません。過度に目立つことは、しない方がよろしいかと……」


「……霧の深みに隠れるように、突き出た桟橋に降りるぞ。あそこは無人だ」


『らじゃー!』


 『カルロナ』に滞在中の人々の耳には、とっくの昔に殺人事件が起きたことは伝わっているのかもしれん。人だかりがある場所以外は、ほぼほぼ無人だったよ。


 霧の立ち込めた早朝は、オレたちがいた対岸では四人夫婦がいちゃつける楽しい時間が流れていたが、こっちの方では地獄の空気だったらしい。この視界不良では、恐怖の瞬間に満ちていただろう。


 ゼファーは羽ばたきを使い、湖面を波立たせながら桟橋のすぐ傍までやって来た。オレは桟橋へと飛び移る。


「おお。身軽な山猿のようだな!」


「素晴らしい評価をありがとうよ。ほら、マエス。跳べ。抱き止めてやろう」


「……タイプじゃないが、しょうがない」


 理想の王子様や二枚目野郎を用意してやる時間もないからな。マエス・ダーンが飛ぶ。旅慣れた女だからか、その運動神経は見事なものだったよ。オレが受け止めなくても、問題なく猿じみた跳躍で着地していたはずだが、これも紳士の道だった。


「なかなか、子供の頃の遊びを思い出せる瞬間だったよ」


「そいつは良かったな。ヴィート、お前も、手を貸してやろうか?」


「いえ。大丈夫だと、思います……っ!!」


 ゼファーの背を蹴って、ヴィートは跳んだ。必死な飛び方だったおかげで、桟橋に余裕をもって着地できた。こいつは、マエス以上に運動能力がある。


「鍛えられているな」


「……演劇の練習も、ちょっとはしているんですよ」


「未練があるのか?ならば、雑用など辞めて、さっさと一から役者を目指せ。若さは、そう長持ちするとは限らんものだぞ、青年よ」


「……耳に痛いですね。でも、この仕事も、好きなんですよ。困ったことに」


「まあ、それも選択だ。芸術という道は、険しく狭い。生きやすい道とは、言えないからな。こうして……ある朝、いきなり死体にされてしまうことだってある……」


「……ええ。それを、恐れているわけじゃありませんが。でも、私は……彼らよりも、臆病だったかもしれません。『ツェベナ』に至る道を、途中であきらめてしまっている……」


 人生の可能性は、有限ではある。誰しもが望んだ場所に立てるとは限らない。マエスは、『とんでもない芸術家』だからこそ、ヴィートの態度を気に入らないのかもしれん。オレは、どっちでもいい。ヴィートよりも……事件の真相が気になっている。


 あの二人なのか。


 だとすれば、オレは竜太刀で斬らねばならん者がいる。小雨と、霧に隠れて逃げられてはたまらない。マエスを桟橋に降ろすと、駆け足だ。


「ゼファー、霧に隠れて上空で待機だ!『カルロナ』から、逃げ出すような怪しい連中がいたら、記憶しておいてくれ!」


『らじゃー!そらからのていせつは、おまかせー!』


 大した距離じゃないからな。ゼファーを使わなくても、カミラなら『コウモリ』で全員を運んでしまえる。しかし、オレの魔眼と……マエスの芸術家としての洞察力が有効だろう。雨は、痕跡を消し去っている。霧も、邪魔だからな。猟兵の追跡術も、万能ではない。


「……頼りにしているぞ。犯人を、予想してくれ」


「……ああ。『プレイレス』の悪人を、ミスターの前に引きずり出せるように協力しよう」


「私も、及ばずながら……どんな努力でも、いたしますので、お申し付けください」


 ……悪くないチーム・ワークが望めそうだ。問題は……犯人が、どれほど慎重であるか、どれほど前もって準備していたか……。


「死体を、見れば。殺し方が分かる。検死をしている者よりは、間違いなく殺し方には詳しかろう」


「医術の達人よりも、武術の達人の領分では、あるな」


「オレたち『パンジャール猟兵団』の猟兵は、解剖学も修得している」


「……ほう。興味深いな」


「殺すために、そこまで鍛錬した。先代の団長の方針でな」


「ならば、ことさら、この状況には役立ちそうだよ。私も、検死はしたことがある。芸術家を、高く評価し過ぎるのも、『プレイレス』の人々の悪癖ではあるから」


 知的なことを好む『プレイレス』の人々らしい文化かもしれない。芸術家に期待する、そして、確かにこの土地の芸術家たちは、知的に思えた。他の土地の芸術家がガサツだというわけではないが、伝えられた知識と、その学術的な洗練が一枚上な印象はある。


「マエスが、あと三倍、武術の腕前があったとすれば……オレとガルフは……先代の団長は、猟兵に誘っていた」


「冒険の日々も楽しそうではある。だが……私の、三倍か。ゴロツキ相手にも、師から習った護身用の武術は負けたことがないのだがね」


「……高い、水準なのですね、猟兵という方々は。桟橋に、飛び下りられたとき、身震いしました。音もなく、衝撃もない。ストラウス卿の巨体で、あんなことが起きるなんて。魔法じみています」


「面白い身体操作術であったよ。あれならば、左右前後にも、即座に飛び掛かれる。あそこまで武術の腕前を鍛え上げるのは、私には無理だ」


「ああ。マエスは芸術を磨けばいい」


「そうさせてもらう。しかし、猟兵か。面白い。今のミスターは、まるで、背負っている巨大な太刀と同じようだ。武器そのもの。戦いのための機能そのものだ」


「ここは、戦場だからな」


「……良い認識の仕方だよ。そうだ、ミスターの『仕事場』なのだな、ここは。いい感覚を、使えている。私にも負けず劣らずの、知覚の網を、今のお前は張れているな」


「まあな。だが、猟兵を超える『とんでもない芸術家』の力も欲しい」


「任せろ。視点をやる。それこそが、芸術家の仕事なのだから」




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