序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その36


『じゃあ、とっぶねー!!』


 元気の良い声が、薄暗い早朝を切り裂いてくれる。加速し、跳躍したよ。マエスはオレの背中にしがみついて耐え、あの青年もどうにか脚力で振り落とされることを防いだ。飛翔はすぐに湖へと達する。まだ霧が残る水面ギリギリを飛び抜けていった。


 小雨を鼻先で弾きながら、オレとゼファーは魔眼を使う。


 朝の訪れと共に明るさが増し、差し込む陽光は霧を白く輝かせてはいるが……対岸の形状を見抜くことは魔眼ならばやれる。竜の血が持つ古い魔力は、ヒトの目では見れないものをもちゃんと映し出してくれた。


 輪郭からでもいい。


 そこからでも、判断することが叶う。湖に突き出した桟橋の影でも見つけられたなら、それで別荘地の場所は特定したも同然だからな。すぐに、見つけた。それと思しき形状を霧ぬ向こうに見つける。


「ゼファー、あそこだ」


『うん、むかうねー、『どーじぇ』!!』


 翼の先端が水面を叩き、ゼファーは一気に高く浮かび上がる。湖が強い風を打ち込まれて、大きな波を一掻き分ほど残した。


「すごい、加速だ……ッ!!」


「振り落とされ、そうです……っ。マエス・ダーンさま、しっかりと、捕まっていてくださいねっ!!」


「おおっ。こんな興味深い体験をしつつ、芸術として吐き出さないまま、死ねるかよおおおおおお……ッ。師よ、私は、空を飛んでいるぞおおおおお!!」


「……こんな日でなければ、空を飛ぶ楽しみを徹底的に教えてやれたのだがな」


「……ああ。自重する。貴重な経験を、している。それで、十分だよ。あの子は、『赤い竜』に乗っていたな。幻視のなかで……なるほど。この竜に、憧れたのか」


『そーだよ。ぼくが、ありーちぇの、のっていたりゅうの、おりじなるー。ぼくが、このそらで、いちばんの、りゅうだもん!!』


「参考になる。実に。やはり、乗れてよかったよ。取材は、しなければな……っと。ミスター。怒るなよ。ちゃんと、事件の調査には協力するから」


「期待している。君の力は、特別なものだからな」


「……知識も頼ってくれていい。どんなゴロツキが、殺人など不毛なことをしたのか、見抜いてやるさ……」


「……頼もしい、限りです。そ、それで、あの……ストラウス卿。遅ればせながら、自己紹介をさせていただきたいのですが!!」


「名前を、聞きそびれていたな」


「しょうがありません。むしろ、事件の対応を優先していただき、ありがたいことです」


「それで。名前は?」


「ヴィートと申します。『ツェベナ』で、諸々の裏方をさせていただいている者です。ストラウス卿、以後、どうかお見知りおきを」


「よろしくな、ヴィート」


「ええ……こんな、状況でなければ、もっと晴れやかな気持ちで、貴方や、マエス・ダーンさまに名乗れたのですが」


「星の巡りが悪いときもあるものさ、青年」


「……そのようです。ときが、悪い……ふう。また、『ツェベナ』の財産が、失われてしまいました……悲劇が、続きます」


 レヴェータに逆らい、殺された役者たちに続き、今回の『事件』。


 『ツェベナ』には試練が続くことになる。


「憤りはな、行動力として使ってしまうのが吉だ」


「……はい!」


「そうだな。それで、ヴィート、分かっている情報を、何でも教えてくれ」


「早朝、早馬が『ツェベナ』に来たんです。対応したのが、たまたま私でした。その使いは、別荘地……『カルロナ』の衛兵でした。若い衛兵で、おそらくは見習いでしょう。だから、使い走りにされたのです」


 ベテランと若手にはありがちな関係性だった。しかし、それも正しい。連絡係と、調査係では、役割と責任の質と量がまったく違うのだから。


「ベテランたちが、証拠を探っているか……」


「検死もしているだろう。『モロー』は、芸術が盛んだった。腑分けも、描写の基礎として多くの者が修得する……」


「解剖学に長けた者たちが多いわけか。彼らが、死体を調べ……死因や、犯罪の手掛かりを見つけてくれる……?」


「おそらく、そういう対応をしてくれていると思います。若い見習い衛兵も、慌てていましたし……現場は、まだ混乱していたようですから。『ツェベナ』からも、役者の顔を知っている者を寄越せと……」


「どうして、役者だと分かったんだい?」


「宿帳の職業に、書いていたそうです。『ツェベナの役者』だと。それを、『カルロナ』の高級宿のスタッフは、疑わない程度には役者然としていたのでしょう」


「本名は、書かなかったわけだ」


「そのようです。その、密会に使うというか……エルフ族との逢引きは、それなりに悪感情を招くこともございますから。あの、お気を悪くしないでくれたら、幸いです」


「するが、君には当たり散らすようなことはしない。感情と、仕事は別だ」


 可能な限り、それはしておかなければならない。そうでなければ、より良い追跡術を発揮できやしないのだからな。ジャンがいれば……簡単だったはずの幾つかのことが、今はやれない。クールな振る舞いが、必要とされているのだ。


『……『どーじぇ』。りくがね、みえてきたよー!』


「小さいが、豪華な屋敷ばかりが霧のなかに浮かぶ……」


「ここが、『カルロナ』でございます。ここの、湖岸沿いに……死体が発見されたと」


「……ミスター。右手側だ」


「ああ。オレたちも、見えている。人だかりがあるな。あそこだろう」




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