序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その35


「……っ」


 カミラがオレの予想に反応して、言葉を飲み込んだ。痛ましい予想だからな。我々が、あのカップルをどれだけ祝福していたことか。だから、祈る。神さまは嫌いだから、アリーチェに祈った。


「……一報が、入ったばかりなのです。誰とは、まだ私たちも把握してはいないのです。しかし……」


「しかし、何だ?」


「……エルフの、同行者の死体も……湖から上がったと」


「クロエのことか……ッ」


「断言は、出来かねます。ただ、『ツェベナ』の役者は、誰しもが、武術を……心得ています」


「演劇のためにだな」


「はい。一通りのレッスンを受けます。それに、帝国の皇太子に反抗的な態度を取った者たちが、以前、暗殺されてしまいましたから。護身のために護衛を雇った者も多いです。つまり、身辺警護には気を使っていたはず……」


「武術の心得があり、十分に防犯意識があった者を、殺した……」


「ミスターたちが頼られる理由があるな」


「ああ。ある。ロバートとクロエが、殺されたなら……犯人はオレが仕留めるべきだ」


「で、でも。まだあの二人だとは決まっていないっすよね!?」


「……そうだな。だが、『ツェベナ』の役者を殺せる者は、手練れの戦士」


「はい。だからこそ、ストラウス卿にご協力を願いたいのです。『ツェベナ』の役者が殺されたということは、また、その同行者が……亜人種だということは、政治的なインパクトがあります」


「ソルジェさんが出て事件を解決すれば、この事件で起きる動揺を抑えられるかもしれない、というわけですね」


「……座長を始め、我々、『ツェベナ』のアーティストもスタッフの全員が、一致した政治的見解を有しています。帝国的な価値観……いえ、以前の『モロー』的な価値観を、打倒したい」


「『ツェベナ』の役者を暗殺したことが、政治的な理由……つまりは、差別主義者による憎悪が理由の殺人だと、予想しているんですね」


「……ええ。『ツェベナ』の役者は、一般的に尊敬されています。社会福祉活動にも、積極的に参加しているんです。『ツェベナ』の役者を狙う理由なんて……」


「しかも、この湖の対岸も高級な別荘地だ。治安はいい。盗人や通り魔というわけではないだろうな」


「ええ、マエス・ダーンさま。その通りです。だからこそ、私は……いささか独断が過ぎたかもしれませんが、ここに現れたのです」


「強い暗殺者を殺せて、追跡術にも長けている。任せろ。仇は討ってやる。すみやかにな。カミラ、ジャンを起こして来い!」


「はいっす!」


 『狼男』の鼻があれば、どんな犯罪者でも追える。役者と……エルフの組み合わせ。高級な別荘地で夜を過ごした……カップル。つまりは、やはり……あの二人じゃないのか。アリーチェは、夢で……これを伝えたかったのか……ッ。


 歯ぎしりする。


 苛々しているぜ。


 何で、こんなことになるんだ。


「そ、ソルジェさま!?あ、あの、その!?」


「どうした、カミラ……!?」


 ジャンを連れたカミラがいた。ジャンは、顔が真っ赤だ。


「だ、団長、お、お呼びでしょうか……っ。ごほ、ごほっ!!」


「夏風邪みたいっす!!」


「鼻が真っ赤ですね。鼻水も……ジャンくん、におい、分かりますか?」


「い、いえ……その……ご、ごめん、なさい……っ!!す、すぐに、治しますのでっ。い、行きましょ―――ゴホゴホ!!」


「無理をするな。こじらせても、しょうがない。カミラ、ジャンを寝室に戻してやれ」


「ぼ、ボクは、は、はたらけますっ」


「ダメっすよ。引きずって来て、分かりましたっすから。体温も、とんでもなく高いっす。ムリしてこじらせれば、長くかかるっすよ!」


「ということだ。ジャン、猟兵らしく選択しろ」


「……っ!!……は、はいっ。一時間でも、早く……な、治します……っ」


「うむ。治療薬を煎じてやろう」


「私は、ガンダラさんを起こして、対策を練ります。ソルジェさんは」


「ああ。ゼファー!!」


 眼帯越しに魔眼を押さえて、ゼファーを呼ぶ。騒ぎに気付いて、とっくに目を覚ましていてくれたからな。厩舎をとっくの昔に出てくれている。灰色の雨雲の下を、大きな旋回を使って、この場へと舞い降りてくれた。


『ちゃーくち……っ!!』


「……わ、わあ!?これが……竜……なのですね。遠くからは、見ていましたが……近くで見ると、こ、これほどの迫力……っ」


「乗せてやるぞ。馬より早い。湖を突っ切れば、数分もかからん!馬から降りて、ゼファーに乗れ!!」


「は、はい!!」


「……ふむ。ミスター」


「なんだ、マエス・ダーン」


「私も、行こう。ミスターは、感情的になり過ぎている」


「お前には、仕事もあるだろう」


「集中が途切れた。犯人の首が落ちるまでは、創作意欲など湧かん。私にも、協力させろ」


「マエス・ダーンさまが……?」


「洞察力はある。あちこち放浪していからな、『プレイレス』の悪人どもにも、詳しいぞ」


「犯人に心当たりでもあると?」


「かもしれん。少なくとも、『モロー』にばかりいた男と、旅人であるお前よりは、私の方がよっぽど、『プレイレス』の悪人には詳しい」


 『放浪派』の旅。それは、世の中の裏側とも触れ合う旅でもあるか。マイノリティに接触してくる者たちは、善人ばかりではないのも当然。


「蛇の道は、蛇ということだよ。ミスターも、自分の感情を暴走させない枷が欲しいのではないか?……私は適任だよ。この場で、誰よりも、事件の被害者から遠くもある。ミスターにはない視点で、状況を観察できる」


「……ああ。そうだな。ならば、来てくれ、マエス」


「もちろん。竜に乗るのも、良い経験だからな」


「お前、それが目的ではないだろうな?」


 リエルの冷たい視線に、芸術家は首を横に振った。


「あくまで、副次的な産物だ。私は、全霊で犯人の追跡に協力してやる。君は、あの『狼』くんのために、薬を煎じてやるといい。チーム・ワークというわけだよ」


「……うむ。ソルジェ、我々も、態勢を整え次第、そちらに向かう。だから、急ぐといい。小雨とはいえ、雨が……痕跡を流してしまうぞ」


「ああ。そうする。行くぞ、マエス!ゼファーに乗れ!!」


「そうしよう!」


 マエスには、腕を貸してやる必要もなかった。野生を感じさせる俊敏さで、竜の背に飛び乗ってみせた。『ツェベナ』からの使者も同じくだ!!……すぐに、到着するぞ、ロバート、クロエ……願わくば、誤解であって欲しいものだが―――真実を確かねばな。




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