序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その31


 アトリエにたどり着くと、驚いたな。


「像が、二つも……」


「作りかけだがな。二つ、用意した。神聖さを意識したものと、愛らしさを意識したものだ。後者の方が、ミスターは喜ぶだろうが……政治を考えれば、前者もいる」


「その通りだ。愛らしさの像の方が、あの子に瓜二つだぞ」


「だろうな。神聖さの方は、若干、美化している……ヒトが思い描く理想的な形であり、これは当人を知る者ではなく、当人に抱くべき感情の化身だ。まあ、美化という言葉よりは、濃縮したというイメージの方がいいか」


「より、ピンと来なくなったっすけど……」


「特徴を、強めたのだよ。真実を、より見えやすくするために、美しさを深める。こちらの像にも、あの少女を感じ取れるだろう?」


「うむ。たしかに、こちらもアリーチェである」


「そうさ。私としては、この二つあってこそ、完成だ。メッセンジャーとしての彼女と、遺された者たちにとっての彼女……勇敢さと、愛らしく純朴な幼さ。どちらも、幻視のなかで感じた、あの少女に抱いた素直な真実だ。真実が二つ以上あっても、おかしくはない。これが、この作品には正しいのだよ……はっくっしょん!!」


「……とりあえず、オレは風呂を沸かすとしよう」


「では、我々は食事と、マエス……自力で着替えられるであろう?」


「もちろんだ。だが、屈強な夫にするような態度で、三人の美しい乙女たちに脱がされるという背徳も、芸術の糧になりそうだが」


「却下である」


「真顔で言われたら、私も素直に行動するほかない。では、ミスター。『とんでもない芸術家』が夏風邪で死ぬ前に、風呂の方は頼む」


「おう、任せておけ」


 夏風邪ごときで死ぬようなヤツじゃない気がするけれど、風呂の準備をするのも楽しくてね。釜のなかに薪を突っ込んで、種火を育てて、大きな炎へと導く。パチパチという薪を炎が食っていく音と、赤い輝き……。


 そういうのを見つめていると、妙な没頭と出会えるからね。


 メシを食ったマエスが、浴室へと入る……覗くことはしないが、彼女の方から窓を開けてアタマを出して来やがるよ。風呂焚きしているお兄さんを、ニヤニヤしながら見下ろしてくる。胸元が見えそうになるが、肝心なところは見えない。それに、オレだって紳士だからね、視線を逸らすぐらいはするよ。


「働き者だなあ、ミスター」


「覗かれたいのか?」


「そういう対象ではなかろう。十分、間に合っているはずだ」


「まあ、ね」


「仕事を見たいのさ。炎との対話をする時間を、喜べる男だと信じているが……予想が、当たって何よりだよ」


「芸術の肥やしにでもなるかい?」


「ヒトを見る目を磨くことは、実にそれへ直結するのだ。ヒトは、みじめでありふれた作業をするとき、本質を出す。落ち穂を拾う、樽を作る、焚火で凍えた脚を温める……一見、つまらない日常的な動作ではあるが、そこに物言わぬ真実がある」


「風呂焚きをする赤毛の野蛮人に、どんな真実があるのかな?」


「成長しようとする、もがきだ」


「…………言い当てられると―――」


「―――ヒトは沈黙に陥る。真実の重さに、身体が強張るものだ。だが、そこからリアクションし直すまでの時間が、その会話を作る者たちの互いへ抱く興味の強さそのものだな」


「興味深い人物だよ、君は」


「……遠からず、嫌なことが起きると焦っているな、ミスター」


「……当然だ。プライベートを楽しむべき時間にも、そういう懸念は、顔を出す」


「帝国は、巨大だからな。それに、帝国だけでもあるまい。ヒトの心を変える戦いは、難解なものだ。正しいと理性が示すことでさえ、ヒトは選べんときもある。とても、複雑で、とても陰湿な側面を、ヒトの心は持つ」


「暴力は、オレに任せておいてくれ。帝国は、倒す」


「私がすべきは、芸術の方だな。安心してくれ。全霊は尽くす。私のために、必死で薪を燃やしてくれる男には、応えたくなるのも女の心だ」


「気に入ってくれたかな?」


「顔面は、好みではないがな。いいヤツだぞ、北方の王国の王になる予定の、赤毛のソルジェ・ストラウスくんは!」


 風呂につかる水の音が聞こえた。豪快に飛び込むか、お湯の温度も確かめず……。


「あちち!ハハハ、ああ……いい湯だなあ。死ぬかと思ったほど、熱いが。まあ、夏風邪の出鼻をくじくには良い熱さだろう」


「火傷するなよ」


「ああ。ここに水のたまった桶もあるから、そいつから……こうして……微調整だ……ふう。ムリは良くないなあ」


「面白い女だよ、マエスは」


「そうだろう?……芸術家を観察すると、日々が豊かになるぞ。いい目を、育てろ……多くの者を、見渡す目を作るのだ……猿と、同じだあ……」


「猿?」


「猿の群れを、観察していた時期がある」


「それは、奇特な行いだ」


「多くを知れたぞ。ヒトの仲間だけあって、ヒトと同じ。ヤツらも封建主義を作る。身分の高い猿の生んだ猿は、身分が高く、身分の低い猿からエサを奪う権利が生まれもって継承されているのだ。そして、弱者は逆らえば、殺されるか追放だな。そっくりさ。ヒトの歴史書を読み漁っているような気持ちになれる。そして、猿どもの群れも、良い王が出る」


「猿王国にも、善良な名君がいるのかよ」


「そう。猿の名君はな、群れのなかに起きる理不尽さから『弱者』を守る。『群れの最も遠くにいる異端で、弱く、迫害されている者』にさえも、ちゃーんと、近づくのだ。取り立てるまではしなくても、完全に見捨てることはしない。それをする名君がいた群れだけが、長く保たれ、多くの猿が幸せになる。フフフ。ヒトとなあ、全くもって、同じなのだよ……ああ、すごく、いい湯になった……やはり、調整すべきだなあ、湯は」

 



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