序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その28


 霧のなかの散歩が始まる。いや、散策と言った方が、知的かな。


 どちらでも良いし、同じ意味だろうが……ちょっとはカッコつけたい気持ちもある。


 朝霧に濡れた道を歩いた。管理者が徹底的に草刈りをしてくれているおかげで、そこらの野草さえも道を彩る舞台装置になっているようだ。この湖畔の別荘地全体を、夏の暑さにも負けず美しく整えてくれる職人たちがいる。


「そういう職人たちとも、出会えるときがあるぞ。早起きする者は、皆、働き者である」


 働き者が大好きなリエルは、自慢げな笑顔さ。早起き派の偉大なる仕事を、誇りたいわけだよ。


 元気いっぱいの濃い緑をした夏草たちには、花をつけたものもある。小さな白い花や、黄色い花。名前は、きっとあるのだろうが、ガルーナの野蛮人には分からない。少なくとも、北方にある種の花ではないな。


「おそらく、中海の南岸から輸入されたものではないかと思います。植生が、異なっていますから」


「たしかに、少しばかり不自然さもある。野草に混ぜて、種を蒔いたのか……」


「冬を越せないかもしれませんね。でも、だからこそ、生態系を乱すこともありません」


「森のエルフ的には、多少、思うところもあるのだが……美しい花を花壇で育てるのと同じようなものだと思えば、有りかもしれない」


「わざわざ、遠くから花も取り寄せるんすね。そこまでして、綺麗にしてるって、すっごい努力っすよ!」


 まったくだ。この別荘地は、『自然』などではないのさ。むしろ、まったくの逆。


「林のおかげで、中海の方から吹いて来やすい風に、さわやかさが混じるように出来ている。強風対策でも、あるだろうな」


「なるほど。そういう仕掛けになっているのか」


「花の色の種類も、多く確保したい。それに、視線をさらいやすい明るくて派手な色の花ほど、湖から遠ざけるようにも植えているな」


「安全対策ですね。子供たちが、湖に一人で行かないように。花に魅入られたら、危険性もある湖には近づかないようになっています」


「す、すごい、考えっすね……」


「でも、さすがはロロカ姉さま。よく分かりましたね!」


「うふふ。私も、ときどき小さな子供たちに勉強を教えることがありますから。こういう工夫も、あちこちの街や村の教育の現場では、よく見られるんですよ。誘導するための色もあれば、落ち着かせるための色もあります。子供は、それに素直な反応をしますからね」


 勉強になるぜ。オレは、もっと戦士的な発想しかやれてなかったな。視界を誘う、までで終わり。安全対策も、半分ぐらいは想像できていたが……子供のそれのためとは、考えが至ることはなかっただろう。


 それぞれ、違う人生を歩んでいる。


 だからこそ、同じものを見ても、考えられることが違うのだ。


 それはね、とても楽しいことだよ。


「安全まで考えられているなんて、さすがは『プレイレス』っすね。とっても文化的っす」


「合理的なだけでは、到達できん領域もあるな。ガルーナで、ガキが遊ぶための場所を作るときには、こういうのも取り入れるとしよう」


 賢さを、真似るとするさ。


 千年の文化の洗練の全貌を真似することは難しいだろうが、ちょっとずつなら真似も及ぶだろうよ。


 霧のなかを、色彩が豊かな道を進む。ぼんやりと人影めいたものが見えるが、猟兵ならではの感覚の鋭さで、それが石像だってことは分かる。美しい乙女の像だ。


「正直者の狩人を助けてくれる女神さまの像ですね」


「凛々しい顔っすね。リエルちゃん的な雰囲気があるっすよ」


「うむ。たしかに……何か、共通点をたくさん感じるな!」


 霧に浮かぶ女神像というのも、なかなか風情があっていい。どこかを射貫くような瞳は、道を追いかけるようにデザインされているようだ。


「道の守り神というわけかな?」


「そうですね。おそらく、そうだと思います。私たちが、無意識的な選んだと考えていたコースも、もしかすると、この空間を設計した方からすれば、思惑通りのことなのかもしれません」


「え、ええ。そうなるように、操られていたっすか?」


「む、むう。やるな、造園者よ……っ」


「まあ、違うかもしれませんけれどね。でも、設計した方からすれば、理想の楽しみ方があるはずなので……霧のせいで、遠景を見るのではなく、近い場所に意識が集中したことが幸いしたかもしれません」


「おかげで、デザインを感じ取れたかもしれないというわけか。得したかもしれんな。『最良の散策コース』を、オレたちは楽しめている」


 制限することも、力となる。


 多くを感じ取ろうとすることだけでなく、より良く感じるという方法もあるわけだ。


 さすがは、『プレイレス』の芸術家たち。


 千年に及ぶ伝統の継承は、とんでもない高みへと至らせているようだ。四人夫婦で風景を楽しみながら歩き回っているだけなんだが、それでも多くを学ばせてくれる。


 ワーカホリックな猟兵団長さんは、ついつい、戦闘の技巧にも反映できそうだなんて考えてもいるが……可能な限り、忘れておくことにするよ。一度、感じ取った知恵ってのは、忘れても大丈夫さ。ちゃんと思い出せるようになっている。それぐらいは、ガルーナの野蛮人も知っているぜ。


 楽しもう。


 霧のなかで、目隠しみたいな景色を視線で追いかけるんだよ。ここは、幸いにも。意味や理屈を嗅ぎ取らなくても、しっかりと楽しめるような芸術的な配慮に満ちているからね。女神像も、小さな花たちも、そよ風を呼び込むように盛られた小さな丘に植えられた立派なオリーブの木だとかも。


 ただ、感覚のままに綺麗だ綺麗だ!と騒ぐだけでも、十分に楽しいものさ。


 楽しい芸術の時間が過ぎていき……。


 日が昇り、霧が薄まり始めたころ。


 オレの魔眼は、変なものを見つけていたな。美しくはないが、面白くはあった。


「……誰か、草むらで寝ているバカがいるぞ……」


「夏だからと言え、こんな早朝に野外で眠っておるとは……浮浪者か?」


「そういうのじゃ、ないようだ。というか、この魔力は……見覚えがある」


 だからこそ。ニヤリとしちまうな。愉快なヤツは大好きだぜ、マエス・ダーン。




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