序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その26


 ……朝がやって来た。雨は降っていないが曇っていて、涼し気な朝だったよ。ヨメさんたちと四人で寝ていても、それほど汗だらけになるわけじゃない。リエルよりも、早起きしてしまっているか。


 つまり、早く起き過ぎてもいるんだよ。


 朝食まで、もう少しあるはずだ。二度寝しても良いかもしれない。ヨメさんたちの良い香りと、やわらかな肌に囲まれていると、二度寝へのまどろみが促進される……というか、いやらしいこともしたくなるんだがね。


 でも。ヒトは性欲だけに幸せを感じるわけじゃない。昨夜、さんざんスケベなことをした今となっては、この弾力の良いマットレスに身を預けたまま、ヨメさんたちの寝息に囲まれて、静かな夏の早朝をのんびり過ごすというのも、素敵な時間の使い方だよ。


 イエスズメたちも、歌うのを止めて、どこかへと飛び立っていく。空模様が気になっているらしいな。また、しばらくすれば雨が降る。大なり小なりの雨が、今日は降ったり止んだりになるさ。空には、竜騎士は詳しいからね、必ずこの予測は当たる。


 どこかに出かけるべき日でもないからな。


 料理の秘密を探ったり、読書をしてみたりするのも良いかもしれない。勉強も、しなければならんからね。嫌でも、向いていなくても、賢くならねば良い王さまにはなれない。ちょっとでも、強くなりたいんだよ。腕力は十分だろうが、それ以外のヒトとしての強さを、もっと身に着けたい……。


 ……耳が。


 遠くからやって来る馬の足音を感じ取る。静かな朝の静寂を打ち破る、強い足音だ。慌ただしい感情を帯びていることが、やけに気になる。


「……馬が、来るようだな、ソルジェ……」


「起きたか。おはよう」


「うむ。おはよう……私よりも、早起きとは」


「そういう朝もあるのさ」


「みたいだな。しかし、この馬は……こちらに近づいて来る…………いや、遠ざかるか」


「屋敷の前の道を、通り過ぎたようだな。何やら、やたらと慌ただしい速度だったが……」


「配達人だろうか。早朝だと、急ぎの使いを見ることも少なくない」


「ほう。オレの知らない、早朝の世界だな」


 朝の早い森のエルフの弓姫さんは、そういう世界を知っている。誰もが、それぞれの世界を見て過ごしていて、それを予想できるとき、ちょっと楽しい気持ちにもなれるものだ。とくに愛すべき者の見ている世界を想像することは、楽しいよ。


「うむ。だが、それにしても、いささか……」


「……慌て過ぎているようにも、感じられたな」


 職業病というか、職業ならではのモノの考え方というのもある。大陸最大のファリス帝国から賞金を懸けられている猟兵団長のそれは、いつだってきな臭い。


「何か、あったのだろうか」


「……あったのかも、しれん。だが、『フクロウ』がやって来ることもない。国境を侵されたというような大騒動でも、ないようだな。もし、そうだとすれば、あの馬がオレたちのいるこの屋敷を無視はしないだろう」


 『プレイレス奪還軍』の総大将という立場では、今はない。だが、そいつは建前のハナシでね。今でも『プレイレス』の各都市国家の軍と、『パンジャール猟兵団』は友好関係にある。大事が起きれば、必ず我々にも報告が入るはずだった。


「あの馬も、脚が軽すぎたよなぁ」


「……うむ。武装した者を、乗せてはいなかった。まあ、世の中には、戦争以外にも、慌ただしく行うべきことは、いくつもあるぞ……」


「子作りとか」


「そ、それは、その……スケベめ……っ」


「愛情が強いだけさ……ふはあ」


「早起きの代償が、出て来ておるな。二度寝でも、しておくがいい。夢の世界には、まだ戻りやすい時間帯だぞ」


「そう、だな……」


「それとも、早朝の散歩にでも出かけるか?」


「ん。そうだな、それも、良いかもしれん。朝の湖畔の風は、眠気覚ましになりそうだ。ロロカも、カミラも……起こしちまっているしな」


「……あら」


「……バレちゃいましたっすねー……」


 話し込めば、起こしてしまうさ。四人で絡み合うように密着して寝ているんだからね。


「きれいな湖だからな。皆で、早朝の散策というのも、良いかもしれんぜ」


「……はい」


「それも、いいっすよねえ」


「では、決まりであるな。少し、早いが。まあ、たまにはそういうのも良いものである」


 リエルが、オレの左腕から頭をどけて、ベッドの上から転がり降りた。愛おしい裸の背中を見るよ。もちろん、ガルーナの野蛮人の思考は単純に作られている。あの背中を見ていると、スケベなことを、したくもなるよ。だが、予定は決めていた。


「『プレイレス』の金持ちたちが作った、素晴らしい風景を、楽しむとしようぜ」


「そうですね。きっと、楽しい散歩になりますよ」


「下着と、服を着て……出発っすねー。ソルジェさまあ、お着替え、手伝いますっすよー」


「あ、あまり。スケベな雰囲気を出すでないぞ、カミラよ。ソルジェは、すぐに調子に乗るのだから……っ」


「うふふ。エッチなことも、嫌いじゃないですけどね」


「ろ、ロロカ姉さままで……っ。と、とにかく、ソルジェよ。さっさと、起きるのだ。スケベなことを始めたがる前に、早朝の湖畔の涼やかな風に吹かれて、煩悩を鎮めるのだ!」


「おう。そうすると、しようか」


 スケベなことも、したくなりそうだけど、それは、散歩の後でもいいしね。早朝の綺麗な湖のほとりを歩いてもみたいし……あの早駆けの馬についても、やはり気になってはいるんだよ。




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