序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その25


 腹いっぱい食べた後、それぞれ酒とジュースを片手に、ラフォー・ドリューズが用意してくれたピアノ弾きの技巧を楽しむ。雨音に合わせた即興の音楽……ピアノの旦那やテレーズに匹敵する、とまでは言わないが。ユーモアのある楽しい音だったよ。


 ミアの猫耳が、リズムを取りながら左右に揺れていたからね。お兄ちゃんは、それだけでも大満足だ。もちろん、ピアノ弾きもいい腕ではあったんだぜ。しっとりと鑑賞するというよりは、酒を呑みながら一緒に楽しい気持ちになるというか……。


 酒がね、かなり回っていたんだろうよ。


 ジャンの顔面も真っ赤だった。


 あまり、呑ませ過ぎても良くないね。


 夜が深まり、我々をもてなしてくれるための職人たちは、屋敷から去る。ミアは、満足そうにソファーで眠っていたから。お兄ちゃんが回収して、寝室へと運んであげた。大きなベッドの真ん中に、やさしく下ろしてやる。


 すぐに、ゴロゴロ転がって、上下逆さまになった。


 お腹が出てしまったから、そこに薄手の毛布を掛けておく。夏だから、夜中でも蒸し暑い。


「汗を、かいちまったなあ……」


 スケベな顔は、慎んだつもりだったが。実践できていたかは、定かではない。ヨメさんたちも、照れていた。我々は、ミアが眠ったからといって……眠ってはいられない。バカな大型犬みたいに、まったく大人しくしないまま、一緒に風呂に入ったよ。


 ほんと。


 スケベなことは、良くない。


 でも、愛って、半分ぐらいはスケベなもので作られているのだから。これは、しょうがないことだったよ。人類は、こんなことをしながら、世代を越えていくわけだからね!


 ……いい夜になった。


 雨音も、ヨメさんたちの声も、吐息も。


 夜になり湖畔に吹いた涼やかな風と、それを巧みに採り入れるこの賢く美しい『古王朝』の伝統を受け継ぐ屋敷も……全てが、素晴らしかった。何が、一番良かったか?……あまりにスケベなことを話すようなことは、慎むべきだってことを、ガルーナの野蛮人だってちゃんと知っているよ―――。




 ―――こういう夜は、よく夢を見るんだが。


 今回も、ちょっとした夢を見たな……。


 芸術に縁の深い日だったからか、『ツェベナ』の夢を見る。


 大きな舞台だ。


 そこで、求婚するロバートと、それを受け入れるクロエ……。


 現実とは違い、夢のなかでロバートは……義弟となる男の間抜けな叫びに邪魔されることもなく、クロエにちゃんと愛の告白を、カッコよく成功させていたよ。マジメな顔。ヘンテコな崩れた化粧ばかりしていたせいで、あんなに男前だとは知らなかった。


 闇のなかに浮かべた、ランプの輝きのなかで、完璧に決まったセリフを言っていたと思う。細かいことは、覚えちゃいない。夢なんてものは、そういうものに過ぎないだろう。本当にあったことが材料の一部だったとしても、所詮は、空想の産物なのだから。


 客席には、爆笑していないリサ・ステイシーがいたよ。


 素晴らしい演劇に見入ったときの女性の態度そのもので、涙ぐみながら舞台の上で成される婚姻の誓いを見上げていた。


 この場にあまり相応しい騒々しさがあるとでも、オレの脳みそは残酷に判断していたのか、カイ・レブラートの姿はどこにもいない。


 薄暗闇の中で……。


 現実ではない『演劇』は進み……。


 エルフのクロエは、花嫁衣装に身を包んでいた。そこまでは、現実じゃ起きちゃいない。まだ、そういう恰好をするのは、先のことだと思うがね……。


 花嫁がいる舞台の隅っこの方に……。


 あの子が、いたような気もする。


 ……ヘヘヘ。


 ほら、やっぱり、いた。


 アリーチェが、戦うための姿ではなくなったあの子がいて、小さな手を花嫁のために動かしている。ぱちぱちという拍手の音……笑顔だ。笑顔。だから、オレも、とても嬉しくなる…………けれど。


 アリーチェの拍手が、いきなり止んだ。


 そして、不安げな顔をして、こちらを向いた。


「             」


 あの子が、何かを言った気がする。だが、遠いのか……それとも、小さすぎる声なのか、分からない。オレには届いてくれなかった。何か、伝えてくれようとしたのか、それとも、ただの夢に過ぎないのか。


 区別など、つくはずもないまま……。


 理解する。


 もうすぐ、夢の時間は尽き果てて……朝になるんだと。夢の終わりは、いつだって、不思議と自覚が強まっているもんだよな。夢だと理解してい、夢は終わるんだ。今回も、そうなる。そうなるはずだが……薄らいで遠ざかる夢の世界にいるアリーチェは、どこかを指差した。


 してやれることが、あるのかもしれない。これが、アーレスの魔力の宿る、魔眼が見せてくれた特別な、夢以上の何かだとすれば。オレは、石像をそこら中に建てる以外にも、あの子のためにやれることがあるのかも―――だとすれば、嬉しいことだぜ。


 どんなことでも、してやるぞ、アリーチェ。


 オレたちは『仲間』なのだから。


 たとえ、死がオレたちの間に横たわっていたとしても、そんなものは関係ない。何でもしてやるから、言ってくれ……。


 ……夢の終わりに。


 今度こそ、あの子の声が耳に聴こえた気がする。


 ―――守ってあげて。


 ……詳しいことは、分からないが。口にすべき言葉が何かはハッキリとしている。


「任せておけ……どうにか、してやる…………」




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