序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その24


 とても良い夜になったよ。ジャンのために、食前の酒を呑みつつパール・カーンへの手紙を書いた。四人と結婚したことのあるオレのアドバイスよりも、ガンダラのアドバイスの方が役に立っていたな。


 知的なことは、手紙の文面に華を添えることだってやれる。色恋沙汰には縁がないはずのガンダラだが、愛情を詩的に伝えるための文章を知っていた。インテリたちの『常識』らしいよ。


 ジャンは終始、赤い顔のままだったな。すぐ近くでオレとガンダラが酒を開けているせいで、そのアルコールを吸っちまったのかもしれないし、パールのことを考えると、つい顔を赤らめてしまうのかもしれん。


 若者の素朴な恋愛を目撃するというのも、楽しくはあるね。食前酒がよく進んだ。連絡も受ける。各地からの情報……問題はない。多少の小競り合いは各地で起きているが、帝国軍は沈黙していた。


 情報戦で、我々は勝利しているのかもしれない、とガンダラは分析する。


 帝国軍からすれば衝撃的な敗北も続いているし、マルケス・アインウルフの反乱、ランドロウ・メイウェイの反逆、旧・『第六師団』勢が『自由同盟』の一員となったことに加えて、『プレイレス』で『第九師団』が壊滅した。レヴェータの諸々の悪事についても、大陸各地に広まっている。


 というか、広ませたのは我々なのだがね。『ルードの狐』と『長い舌の猫/アルステイム』が活躍している。それに加え、帝国がいくら否定したところで、『プレイレス』から帰還する者たち全員の口をふさぐことも出来ん。あまりにも大きな真実は隠せない。


 軍事力のみならず、政治的なダメージが大きいんだよ。息子を失ったことで、ユアンダートも相当に怒ってはいるだろうが、息子の悪名の高まりが沈静化しない限り、大きな軍事行動もやれん……。


 その状況を考えながら口に含む酒も、当然ながら最高だったよ。


 ……酔いが始まる前には、ちゃんと晩飯がスタートした。


 風呂から上がって、良い香りになった猟兵女子たちと共に、『モロー』の高級レストランから派遣された料理人が、オレたちのために高級料理を振る舞ってくれた。


 味もさることながら、何よりも見た目が芸術的だったぜ。


 ソースを皿に絵具みたいに塗っているんだ。料理の一つずつは小さく、だが、数は多かったな。多くの種類の料理を楽しませてくれるというわけだ。贅沢なハナシだよ。巨大なステーキ一つでも、白いチーズと赤いトマトソースがたっぷりとかけられたパスタを口にするだけでも十分な幸せなんだがね。


 次から次に、美味い料理が畳みかけてくれる。


「タイのカルパッチョ、おいしいいいいいいいい!!食感が、歯ごたえが、いいっ。さわやかな味付けも、この時期のお風呂上りに最高っ!!キュレネイ、大損だね。ここにいないのを、絶対に後悔しているよ」


「次の機会にたくさん食べさせてやるさ。気にせず、どんどん食べろ」


「うん!!……もぐもぐ……食感、さわやかさ……季節に合わせてる……っ。これが、『古王朝』からの伝統……っ」


 そう。脱帽の伝統料理。料理が得意なだけのお兄ちゃんでは、少し歯が立たない領域の味だ。当たり前だから、悔しくもない。しかし、勉強はしてやろうと思う。色々と料理人たちに訊いたよ。教養が足りない野蛮人だと思われたかもしれないが、知ったことか。ガルーナ人は狂暴な北方野蛮人に他ならん。


 文化を学ぶためにも、聞くは一時の恥という先人たちの教えに従うまでだ。


「このお肉っ!!お口に入れた瞬間に、融けるっ!!雪……っ。雪みたいだようっ!!」


 脂の霜が降ったリブロースのオーブン焼き。下準備のコツがあるはずだ。肉そのものも美味いが、それ以外の何かの秘密がある……教えてくれなかったけどな。口が堅い。


 だが、わずかに香りがある。オーブンで焼くときに使った薪が特別なのだろうか、と訊いたら、眉毛がわずかにピクついていた。


 あとで。


 オーブンの構造となかに残った香りを探ってみたいところだな。そこまでするとは思っていないだろうから、話題の追求はしない。探偵みたいに、料理の謎を追いかけるっていうのも休暇中の面白い遊びになってくれるかもしれん。


 それに、次々に美味い料理が出されるから、オレも舌を楽しませるのに夢中になっていったよ。鴨肉も出た。ジビエらしいワイルドさが、ガルーナの野蛮人を楽しませてくれる。


 猟兵女子たちは料理全般を高評価していたが、デザートはやっぱり偉大らしい。


「はわわああ!パンナコッタ……っ!!う・ん・ま・い……っ!!」


「三種類も用意していただけるのは、嬉しいですね」


「ブラックベリーのも美味しいが……チョコソースがたっぷりとかかったのも良いっ」


「自分は、イチゴのジャムが乗ったのが……好みっすねえ……っ」


 三種三様の味がある。それぞれの個性が利いていて、連続で食べても味の主張が崩れんと来ているな。これもデザインされた技巧のはず。訊いても、きっと、細かなところまでは教えてくれないだろうが……一応は、訊いた。


 大まかな作り方だけを、教えてくれたよ。良い牛乳が欠かせないとも。ガルーナにも、肉牛だけでなく乳牛を繁殖させなくてならない理由が、また一つ増えたな。酪農の豊かな土地は、食文化が発達するし……保存食の貯えは充実させたい。


 戦に備えるためでもあるし、ガルーナの主要産業を増やしたくもあるからだ。良い王さまにもならねばならん。これも、勉強でもあった。楽しい勉強だよ。死ぬほど美味い料理を食べながら、料理人からどんな土地で育った乳牛が良い乳を出すのかも学べた。


 農業についての知識の方は、料理人たちは口が軽かったのも嬉しいところだよ。


 『プレイレス』の『古王朝』から続く赤土の農園は、あちこち疲弊してもいるのだが、それを克服するために研究で対応しているそうだ。『トルス』の北部あたりの土地が、酪農では最適だということらしい。


 『ストラウス商会』の社員に、調べさせることが一つ増えた。どんな土なのか、どんな飼料を与えているのか、どういった種類の牛なのか……調べさせたいね。可能なら、繁殖用に数十頭確保しておきたい。


 ……仕事中毒なんでね。そんなことも考えちゃいたが、基本的には味に溺れる時間ではあったよ。『家族』の笑顔には、あっさりと流されちまう。しょうがない。今夜は、基本的に休暇なのだから。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る