序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その22
雨が降り始める。
芸術家が、その広げた感覚で悟ったように。小雨の音が、聴こえて来る。湖が雨を反射して、涼やかな音を立てるんだ。
「いい別荘地だな」
「うむ。雨の音さえも、綺麗である。だが、ミアとゼファーが、雨に……」
「大丈夫さ。飛ぶ方向を、変えている。雨雲の下を突っ切るのではなく、南風を右の翼で受け止めさせながら飛んで来る」
「魔眼が教えてくれたっすね!」
「いいや。ミアなら、そうすると知っているからだ」
芸術家のレッスンは、利いているのかもしれん。考えずに、把握する。感覚を広げて、より多くを知覚する。世界をあるがままに感じる。魔眼を頼らずとも、竜騎士の知識を頼らずとも、ミアのこともゼファーのことも分かって当然だと悟れた。
「何か、良い経験をなさったみたいですね。ソルジェさん」
「ああ。ちょっとだけ、成長できたように思う」
前々から備わっているし、使っている感覚でもある。竜騎士は『そよ風』で空間を理解することだってやれるのだから。それを、より、効率的に行えそうだ。探索の効率が上がりそうだし、敵を『読む』力も磨かれる気がしている……。
だが。今すべきことは、別にあるな。
「ミアとゼファーが、到着するから。ちょっと、出迎えに行く」
「それも、魔眼じゃなく、悟ったのか?マエス・ダーンのように?」
「お兄ちゃんの愛のパワーさ。そう、ヘンテコそうな目で見るなよ」
「う、うむ。大丈夫だ。マエスほどではない!」
『とんでもない芸術家』に並びかねないほどには、おかしいらしい。構わんさ。いい経験はさせてもらっている。この感覚も、猟兵の技巧をより洗練させるのにも使えそうだからな―――。
―――『どーじぇ』ー。『まーじぇ』ー。
「ゼファーが、来た。今度は、魔眼に呼びかけてくれているから、確かだろ」
「うむ。だが、思えば……それも、なかなかに不思議な力ではあるな!」
今さらではあるが、確かにそうだった。竜騎士と竜の心をつないで、同じ空の下ならばどこまで離れていても通じ合える力。マエス・ダーンの『魔法の目玉』にも勝るとも劣らない不思議な力だな。
こういう共通点が、マエスの感覚の修得を早めてくれるかもしれない。心のなかで、エクササイズをしながらアトリエから出る。屋外に出ると、雨音の響く広い風景と一つになれた。開放感を得ると共に……己の感覚も広げてみる。
湖の水面を打つ雨音や、夕焼け空を曇らせている薄い雨雲。生暖かい強くはない雨。香りを増した林と、そこで慌てるように鳴く虫たち、雨に湧き立つ赤土のにおい。普段は無視しがちな事実の全てを、集中することなく感じ取っていく。
「……いい技巧だぜ。何だか、雨が好きになれそうだ」
「ふ、ふむ。どうにも、芸術家というものは、ヒトに大きな影響を与えてしまうのだな。いつもよりも、気配が穏やかなのに、存在感があるような印象だ」
「ククク!さすがは、猟兵だよ」
気配の変化は、即座に分かる。リエルも含め、おそらく猟兵全員がこの感覚を得られるとは思う。というか……全ての人類が使えるのかもしれない。狩猟のときに使っている技巧と、似た系統の力だ。つまり、原始的なものでもある。エクササイズ……鍛錬を積めば、かなり感覚を強められるだろうよ。
戦闘にも使える。
そこが、オレをこの技巧の研究に駆り立てるところでもあるんだ。猟兵だからね、どうにも、戦いへの優先順位が高い。芸術ではなく、武術としてしか、この面白い感覚を使えそうにないのは、残念なところではある。
「あ。見えてきましたね。ミアと、ゼファーですよ!」
西の空にゼファーの黒い翼が現れる。予想通りの軌道だったな。雨に打たれる意味はない。避けられる雨ならば、とくに……だが、子供の想像力の全てを、オレたち大人が読み切れるとも限らんよ。
「あ、あれれ!?湖の方に、曲がっちゃいましたっすけど!?」
「遊びたいらしいな」
「水びたしになるのか……まあ、涼しくて、良いのかもしれんが」
ミアの笑い声が雨音を打ち破って空に響いた。
「きゃはははは!ゼファー、湖さんにー、ちゃーくすいッ!!」
『らじゃー!!』
両翼を広げながら、ゼファーが湖面に着水していく。蹴爪で水をかき分けて、大きな波を作っていた。意味はない。遊びとは、そういうものだ。ただ、楽しいだけさ!
大きな波を作りながら、オレの仔竜は幸せそうに目を細め、得意げにあごを持ち上げていた。水をあれだけ豪快に切り裂き続けることは、楽しいのだろう。海と違って、波で揺れてはいないからな。まあ、湖に棲んでいるお魚さんたちは、驚かしてしまっているだろうが。
無邪気で、罪のない遊びだったよ。
その背にいるミアも、ニコニコしているから、お兄ちゃんも嬉しいに決まっている!!
「よーし、上陸だー!!」
『じょーりくッ!!』
水面に大波を作りながら、湖岸にゼファーがたどり着いた。いい上陸だったよ。豪快だったし、波しぶきが出迎えに来たオレたちにかかることもなかったからな。意外と、遊びながらでも計算しているのさ。そういうのは、いい訓練になる。
ミアが、走った。
ゼファーの首を伝うように走り、空と一つになる。
「たっだいまー、お兄ちゃーん!!」
「おう、お帰り、ミア!!」
ゼファーの首を蹴って、空を飛んだミアのことを、お兄ちゃんは当然、抱き止めるのさ。これは義務であり、特権なのだから。
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