序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その20


「ふう。一仕事終えたカンジだぞー……っと。さて、酒だ、酒だー」


 そう言うと、マエスはアトリエの一角に置いていた布製のバッグから酒瓶を取り出し、ラッパ飲みし始めたな。


「……変人ではあるな。美しい絵を描くのに」


「そうっすよね。ほんと、ハチャメチャというか……」


「うふふ。でも、楽しそうな方ですね」


「んぐ。おお、ミスター・ストラウスのヨメが勢ぞろいか。スケベな男だなあ。三人も美しい乙女を抱いているとは……いい題材に、なりそうだが。卑猥だと、『プレイレス』の芸術家連盟から怒鳴られそうだ」


 うちの四人夫婦のどこが卑猥なのか……いや、題材しだいでは、そうなるだろう。


「芸術に対して、誰もが干渉したがる。芸術家を気取る者たちでさえ。困ったものだ」


 酒臭くなった息を宙に吐き出しながら、『とんでもない芸術家』はその性質ならではの固有の苦悩を思い出しているようだ。バケモノを、誰もがすんなりと受け入れられはしない。


 いい彫刻家を探している、その問いに対しての『モロー』の知識人たちの答えが、天才ではなく、『とんでもない芸術家』だった。


「才ある者に適した場所ばかりとは限らんぜ」


「おお。そういうことだ。世の中に媚びれないほど、偉大な者は……居場所が限られる。『放浪派』の彫刻家でなくても、野を旅することになるのだ」


「『放浪派』というのは、あれだな。亜人種の芸術家たち……」


「そうだよ。偉大な芸術家であっても、人種が妨げとなることもある。『モロー』では、そうなのだ。『大学半島』での素晴らしい日々が終わってしまえば、若手の亜人種芸術家たちには苦難の日々が待ち受けている。才があっても、嫌われるのだ」


「つまらんハナシだ」


「まさに、その通り!……だがね。世の中に媚びず、世の中に拒絶されたとしても、芸術は死なんのだ。その芸術をする者たちも、また同じ。不死ではないが、命の限り、旅をして、迫害されながらも、芸術を吐き出し続ける。血反吐と共に、叩きつけるんだ」


「好きだぜ、そういう強さも」


「だと思ったよ。良い目をしている、ミスター。まあ、『片目に見せかけている』ようだがね」


「複雑な事情を持つ魔法の目玉だ。片目じゃあるが、どちらも見えている」


「動き方で、分かるよ。本当の片目なら、補うような動きをもっとする。そうすれば、体に独特の傾きが出るんだが、ミスターにはない」


「魔法の目を持っているよ」


「ハハハハ!その通りさ。魔法の目玉友達だなあ、我々は!!」


「良い出会いに乾杯したい」


「ん。ほうら、では、このコップにでも注ごう……っと」


 近くのテーブルに置かれていたコップに、安酒がたっぷりと注がれる。そいつを持って、コップと酒瓶をぶつけて、ガラスを歌わせるんだ。


「かんぱーい。いいクライアントとの出会いに!」


「乾杯。素晴らしい力の持ち主に」


 酒を呑んだ。嗅覚があらかじめ悟らせてくれていた通り、安酒だ。アルコール度数が高く、凶暴な辛さがある。サトウキビの酒だろうな。悪くない。こういう、燃えるような味も、酒好きからは愛される。


「はあ、いい安酒だ」


「だろう?ミスターは、気に入ると思っていた。飾り気は嫌う。真実が、好きだろう。それで……何の用だ?」


「顔見せさ。仕事を依頼したいわけだから」


「ふむ。あれだな、『奇跡』の少女の像を、『プレイレス』中に建てたい」


「そんなところだ」


「あの子の……アリーチェの成し遂げてくれた『奇跡』を、『プレイレス』の人々に忘れて欲しくないのだ」


 リエルの言葉に、芸術家は首を縦に何度も振った。おそらく、リエルの絵を描くときに、多くを聞かされたのだろう。どれほどの感情を、オレたちがアリーチェに持っているのかを、マエス・ダーンはとっくの昔に理解していた。


「いい彫刻にしよう。あれは、私にとっても得難い体験ではあった。赤い竜にまたがる、星の少女……多くの者に見せた、幻視……ハーフ・エルフが、古く邪悪な呪いを打ち倒してくれるなんてね。差別主義者が多かったこの土地では、ありえない物語だよ」


「真実が好きなら、ありえなくても問題ないな、マエス?」


「最適なクライアントだよ。その通り。真実は、ときにあらゆる常識さえも凌駕する。どんな差別主義者どもが願ったところで、政治的な要請があったところで、芸術の役目は、変わらんのだ……気に入った、ソルジェ・ストラウス。良い仕事をしてやろう」


「頼むぜ。オレたちの欲しい『未来』に、アリーチェの遺してくれた『奇跡』はつながるんだよ」


「亜人種の妻を持つ人間族の夫らしい言葉だ。なあ、気の合うクライアント」


「代金は、可能な限り増やすぞ」


「ありがとう。それも言いたかったことだった。だが、別にもう一つある。質問だ」


「何でも聞くがいい」


「私の育ての親を、当てられるかな?」


「無理だな。知らん」


「知らなくてもいい。感じたままに、言ってみろ」


「ということは、少しはヒントもあるわけだ」


「そういう思考は、要らん。研ぎ澄ませ。ちゃんと『見る』ことだけをしてみろ」


「芸術のレッスンかい?」


「まさしく、その通り。お前の洞察力を、引き上げてやる。知恵は、鎮めておけ。あるがままだ。あるがままに、感じ取ればいい。ただの人間族としての力でも、やれる。考えずに、感じ取ってみろ」


 難解ではある。が、『とんでもない芸術家』の実演を見た直後だ。ジャンの本質を見抜く。あそこまでは、難しいことじゃない。真似る。得意だ。武術はそうして覚えるのだから。ただ素直に知覚して、思い浮かべればいい……。


 黒髪で長身の美女を見る。


 つい知識やら常識に頼りそうになるが、そいつらを外してやるんだ……見た目、服装、行い、思想、ただただ、マエス・ダーンから感じ取れたまま、行きついた答えを口にする。


「ドワーフの『狭間』」


 ニンマリとした笑顔と出会ったよ。正解したようだ。




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