序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その18
「オレ向けの状況か。ならば、行こう!」
「躊躇ないな、ソルジェよ」
「面白そうだからな」
好奇心には素直でいたい。意図的にそうしないと、カイ・レブラート曰く『ベテラン』らしいから自分の成長を止めてしまいそうでね。
夏のトマトみたいに赤く染まった顔をしたカミラのとなりを通って、芸術が行われているらしいアトリエのドアを開く。
「い、いやああ、やめて、く、ください……っ。こ、心に決めた人が、い、いるんです、ボク……っ」
「大丈夫、芸術だから、大丈夫だってば。浮気とか、寝取りじゃないから。そういうのじゃ、ないから。安心して、その貧弱な肉体を私の前にさらしなさい……っ!!」
オレ向けの状況とは、果たして一体何なのか。
アトリエの片隅にうずくまるジャン・レッドウッドと、そこに迫る長い黒髪の女がいる。男女の状況が逆だったら、騎士道のために行動を取るべき状況なんだろうが、今はそういう気は起きない。ただ、ちょっと意地悪な顔で笑ってしまう。ここらが、オレ向きか?
「だ、団長、た、助けてくださいっ!!マエスさんを、せ、説得してください!!」
「ん。団長……おお、赤毛のマッチョだな。これはジャン・レッドウッドくんの貧弱な肉体とは別の面白みがある題材だ!」
「いい評価だ」
調べ上げるように目線というか。武術のそれとはまた違う、相手を探る目の使い方だな。武術よりは緻密といったところだよ。あくまでも『動き』を探ろうとするのが武術における探り方だが、彼女のそれは『形』の全てを認識しようといるように見えた。
戦士が使う目ではない。
芸術家の探り方というのも、興味深いな。
彼女も戦士の肉体は嫌いではないようだが、顔をニンマリとさせるとオレから怯えたジャンに視線を変える。
「実に良い題材だな!!しかし、私は、順番を守る女だ!!イマジネーションが消えてしまう前に、形に吐き捨てておきたいんだよ!!全てのアイデアは一期一会なのだから!!さあ、脱げ!!脱いで、その貧弱な身体を私の目の前に晒すんだ!!」
「い、いやです。ふ、服を引っ張らないで、くださいいいいっ!?た、助けてえええ、パールさん……!!」
嫌なら『狼男』の力で逃げ出せばいいのに。まあ、女性相手に強烈過ぎる筋力を振るえないのは、ジャンらしいか。面白い状況ではあるが、ジャンが涙目になっているから、少しばかり説得しておこうか。
ジャンが女を苦手になるような体験が増えることは、好ましいとは思えんよ。パール・カーンとの恋愛の進展が阻害されてしまう。
「おい。マエス、といったか?」
「そうだ。マエス・ダーン。聞いたこと、ある名前だろ?」
「ああ。オレが依頼したはずだからな。『とんでもない芸術家』だと」
「いい評価だね!その通り、私は、とんでもない!」
その評価を喜べるあたりが、本当の芸術家なのだろうか……。
変わり者は好きだよ。美人の芸術家もね。
「で。うちの猟兵を無理やり脱がそうというのは、芸術的に正しい行いかな?」
「……あー。そうだな。うん。人聞きが悪いぞ。何も性行為に及ぼうというわけではない。芸術として、ジャン・レッドウッドくんの貧弱な裸身を絵にしたいだけだ。二年後に作る予定のテーマの習作にもなると考えている!」
「二年後?」
「『あわれな遭難者』だ!中海南岸地域に伝わる伝承でね。ときおり『ツェベナ』でも公演されるほどには、有名な説話だ。知らんかな?」
「そういうタイプの筋肉をしてるだろ」
「た・し・か・に。学問とは縁が遠そうな筋肉をしている。鍛錬に鍛錬を重ねた日々だ。読書よりも、戦いに明け暮れていなければ、その年齢では到達し得ない。筋肉が、ずいぶんと完成してしまっているよ」
「若さが、ないかな」
「それを気にするほどには、力が完成されてしまっている。ベテランだな」
「魅力に欠くかい?」
「……いいや。また、後で相手をしてやりたいところだよ。得られるものは、実に多いだろう。私の作風に、良い経験を与えてくれそうな予感はする……だが」
「ああ。邪魔はするつもりはないが、少しだけジャンから離れてやれ。ジャンは、女性に対しての免疫が少ないんだよ」
「ふ……む。たしかに、そんな雰囲気はあるな……連れの少女たちが美しいからといって、免疫というものはつかんのか……?」
「考察よりも、行動が実を結ぶこともあるぜ。試してみな」
「よかろう!」
マエス・ダーンは、ジャンから離れてやったよ。おかげで、ジャンは落ち着いた。
「は、はあ。助かりましたあ……っ」
「安堵するジャン・レッドウッド青年も、悪くない対象だな!……そっちのコンセプトで描いてやろうか。貧弱な全裸で、あの台に立ってもらうのは、また次の機会にして」
どこまで本気なのかは、はかりかねる発言だな。
しかし、ジャンが救われたのなら問題はない。
「服を着たままでいいから、その表情を絶やすな!」
「は、はい。わ、わかりましたあ……っ」
マエスはもう芸術の世界にいる。デッサン……というのか?木炭か何かで、素晴らしい勢いで固定されたキャンパスに『襲い掛かっている』。にらみつけて、腕を力に満たし、殴りつけるように描いていく……。
まるで、鏡に映したかのように、ジャンの姿が黒い線で刻まれていくのだ。またたくまにね。
「スゴイ芸術家か」
「『とんでもない芸術家』なんだ。まあ、すぐに描き終わるから、ちょっと待っていろ!」
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