序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その10


「……それ、で。オレが、言いたいのは……伝え、なくちゃならないのは。その……ああ、どうして、せ、セリフは、いくらでも言えるのに……何万回だって、れ、練習して来たんだよ。鏡を相手に、星空や暗闇を相手に……観客を前にしても……どれだけ、演じたか」


 愛を伝えるセリフを、役者ならば一生のあいだにどれだけ使うのか。舞台の上だけでなく、あらゆる鍛錬の場で、それを使う。オレたちが鋼を振り回すのと同じことだ。


 だが、それはあくまでも演技の世界。


 現実とは、異なることがある。


 筋書も用意されてはいない、失敗すれば二度目のチャンスはないかもしれん。人間関係が、大きく変わっちまうからな。


 演技と現実は、大きく異なっている。それでも、やはり、愛が欲しければ、その恐怖を帯びた瞬間に挑むほかない。


「……そ、そうだよね。演技じゃ、ないからだ……っ。演技じゃないから、こんなに緊張している。それは、そうだ。オレは、演技の言葉を……使い過ぎた。形通りの演技を、してしまっていたのかもしれない。だから……今も、緊張しているのかも。ちゃんと、心構えから作り直しておくべきかな……うーん……」


 職業病というべきだろうかね。役者は自分の告白の瞬間でも、やはり役者であったらしい。


「……ダメそうですねえ……意識が、分散してる。自分を見ていなときの男性の視線って、ほんと女からすれば腹立たしいものですもんねえ……」


 焼き菓子でもあれば、リサはそっちに興味を移していたかもしれん。あのマジメだが愚かな職業人の告白が、失敗に終わると踏んだのだ。


「……違う、違う。気づこう。お義兄さん……っ。マジで、気づこうっ。あなたが女に振られた直後に、『妹さんを下さい』とか言い出すオレの身にもなろうっ」


「……ぷぷぷっ」


 金持ちの息子の苦悩は、大好物らしい。良いことだよ。女性を楽しませられるなんて、男にとっちゃ名誉さ。


 エルフの青年の切なる祈りが、義兄になる予定の男に通じたのかもしれない。役者は、気づいた。


「あ、あの。ごめん。今、仕事とか……役者のこととか、考えてる場合じゃないよね」


「……その通りです、お義兄さんっ」


「やめてよ、面白すぎるわ、その掛け合いっ」


 実のところ。


 オレはリサほど、この状況を楽しめてはいない。もっと、大笑いしてやりたいんだが、ちょっと、気づいたことがある。あの役者は、もちろん人間族なんだがね。緞帳の影に隠れている女性は、どうやら……エルフらしい。魔眼の恩恵だな、魔力の質を探れる。体格とかも。エルフを相手にしている告白だ。人間族の男が。


 ストラウスさん家でも見られる光景だから、感情移入している……わけではない。人種の組み合わせというよりも、この『ツェベナ』という場所に関する記憶が刺激された。


 記憶が蘇ってくる。


 この組み合わせの正体を、どうやら、オレは知っているんだ。


 ……ときおり、思い知らされることがあるものだが、やはり、世間は広いようで狭い。


「……仕事熱心なことだけは、評価してあげる。あなたって、そうだもん。どうしようもないけど、役者さんなのよね」


 声も記憶と一致する。


 やはり、こいつらのことをオレは知っていた。


 ……だから、またドン引きしている。『この場所』で、告白することを選んだというのか?君らの『出会いの場所』ではあるがね、あのとき、彼女の方はレヴェータのせいで死にかけていたんだぜ……。


 そんな恐ろしい記憶がある場所で、告白するというのは、いかがなものか。


 無駄な試練を与えているんじゃないかな、ミスター・ジェン……こと、ロバートくんよ。


 絶対に女にモテる日々を過ごして来たはずなのに、どうして、こんな方法を選べるんだろうか。『プレイレス』の人々と、北方野蛮人の考えは違うのかもしれないが……。


「……ごめん。役者じゃない自分に、戻る方法が、ちょっと分からなくて……」


「はあ。ダメね。本当に、ダメ。こんな場所を告白に選ぶのも、ほんとダメだし。あなたには偉大な仕事場だとしても、私には痛ましい思い出の場所でもある」


「あ。そ、そうだった……っ。ごめん、オレは、本当に、ドジだ。オレは……忘れてた。君が、ここで酷い目に遭ったことを……」


「はあ。どんな風に、認識していたのよ……私が、ここを、どんな風に思っているのか」


「オレ、自分のことばかりだな。ほんと、ダメだ。オレにとって、ここは……『ツェベナ』は、人生を捧げた演劇の最高峰の劇場で、心から、誇りに思う仕事場だけど……でも、そうじゃない。オレと、君が……初めて会った場所だから。ここで、告白しようと思ったんだ」


「……そ、そうなのね。でも、ほんと、ドジだよね。告白、する気だとか……告白する前に、バラさない方が良いわよ」


「あ、あああ!?そうだ、そうだよ、もっと……構成を、練って……ちゃんと……演技を、演技は……今は、いい……いらない、よね」


「かもね。試して、みれば……?」


「……うん。クロエ、お願いだ。種族の差はある。エルフと人間族って組み合わせは、世間で一番……いや、違う。そんなの、どうでもいい。クロエ、お願いだ、オレと結婚してください!!!」


「…………うん。いいわ。ドジなあなたのとなりに、ついててあげる。これからも」


 緞帳の奥から、クロエが現れる。


 その姿を見て……友人が叫んでいたな。


「お義兄さんもですかッッッ!!?」


 エルフと人間族のカップルが、こっちでもあっちでも。兄妹は似るところがあるらしい。


「え、ええ!?お義兄さんって、誰だい……君はっ!?」


「……な、なんで、ここにお客さんが!?今日は、『ツェベナ』は休みでしょうに……って、サー・ストラウス!!?」


「はああああああああああああああああッッッ!!?……ほ、ほんとだ……え、どうして?なんで、そのエルフの青年も、何なの!!?色々と、何なのさ!!?オレ、告白している最中なんですけどっ!!?」


 オレのとなりで、リサ・ステイシーが腹を抱えて笑っていたよ。いい喜劇を、見せてもらったな。混乱はしているが、誰も傷つきそうにない。喜劇には、本当の痛みを負う者は誰一人だっていないものさ。

 



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