序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その9


 男前で背が高い。ミスター・ジェンは、いかにも『ツェベナ』の役者といった美男子なんだがね。この場所にいる時点で、名のある芸術家の一人には間違いなく、それにさっきの鍛錬を見せつけられたなら……芸術的な評価はともかく、技巧としては達人なことだけは猟兵になら分かるさ。


 だから。


 彼はこの『王無き土地』の一つにおいても、この場所でなら王さまのように振る舞う権利もあれば、おそらくそうすることが周りからも求められている超一流の人物なはずだなのに、どうしたことか、ヘタレ野郎が重なって見える。


「そ、その……あの……きゅ、急に、こんなところに呼びつけてしまって、悪いと思う。すまなかったね…………ああ、忙しいよね?……君は、その、新しい仕事も、見つけたばかりだって言ってたし……」


 頼りの無い王さまがいやがった。ついさっきまでの達人性はどこかに消えて、今は自信を無くしたガキみたいだ。つまり、カイ・レブラート顔をしていやがる。


 ため息が、聞こえたよ。


 舞台ってのは、よく出来ていやがる。猟兵の耳や、エルフの耳や、ケットシーの耳になら、この距離まで離れた女性のため息さえも届かせてしまった。反響させるための建築の技巧が、そこかしこにあふれているんだろう。


 いい場所だ。


 ……そして、少し役者たちに同情もする。あそこでセリフを失敗したら、どこまでも響き渡る。ここにいる何千人かの耳が肥えて、芸術を理解し愛する『プレイレス』の市民に聞かれてしまうのだ。呼吸も、ムダに乱せそうにない。


 戦場という極限状況では……誰しもが本能を理性からはみ出させる瞬間があった。失敗もつきものだ。敵は常にこちらを失敗させようと、あらゆる努力を惜しまない、とても意地悪な空間なのだからね。


 だから、失敗しちまうと、つい顔に出てしまう。態度に出てしまう。緊張と集中が織り成す極限状態においては、ヒトってのは素直さがあるもんだ。それは、戦場では、許された。つけ込まれることがあったとしても、民衆に非難されることもない。


 しかし、役者は違うわけだ。


 戦場並みに緊張するかもしれないが、戦場ではない。死なない場所だ。失敗が死に結びつく状況とは、異なる。失敗しても、死ねば悼まれるが……この仕事の場で失敗すれば、死ぬことも出来ない。後から不名誉に泣かされて自害することがあったとしてもね。


 失敗が名誉に結びつかん世界。


 それは、戦場を渡り歩いて来た者からすれば、同情の余地を感じられる。


 そんな場所で鍛え上げられた達人が、今は……カイ・レブラートしてやがった。


「ご、ごめんね。で、でも……すぐに、よ、用事は終わるんだ。すぐに、だよ。あ、あの。違うよ?……すぐに、終わるからといって、どうでもいいことじゃなくて。そんなことじゃ、ないんだ……あ、ああ。不思議だなあ、こ、ここでなら、き、緊張しないと、思っていたんだけど……っ」


 ケットシーの指に背中をつつかれて、彼女のためにしゃがんだよ。赤毛の友人は、耳もとで小声を使う。すぐ近くにいる耳が良いはずのエルフの青年にも聞こえないほどに、小さな声を選んでいた。


「……これ、もしかして……告白、しようとしていませんか……」


 うなずくよ。無言でね。


 そう、大人は意地悪だ。リサ・ステイシーは嬉しそう。オレは、そうでもない。彼女に比べれば、ちょっとだけしか面白がっちゃいないよ。


 常識的に考えれば、出直すべきタイミングではあるが。我々三人のなかで、最も常識人であると考えていたはずのリサが、客席に静かに座っていた。『鑑賞する気』に満ちている。


 安い賃金で過酷な労働をこなすレディーに訪れた、『愉快なイベント』を邪魔するなんてことは、騎士道に反するってものさ。出て行くことは、選べないよな。気配を殺して、大人の表情で見てやろう。他人の告白ってのは、娯楽じゃある。しかも、カイ・レブラートの義兄になるかもしれない男だ。愉快な要素にあふれているよ。


「……お義兄さん……もしかして…………」


 当然、オレたちだけじゃなくて、カイ・レブラートも気づいた。そう遠くない過去で、きっと、あんな態度をこいつもさらしながら、今では婚約者となった人間族の乙女の前で、緊張しながら震えていやがったんだろう。


「…………親近感、はんぱない…………」


「ぷぷぷ。でしょうね……っ」


 笑いのツボに突き刺さったらしく、リサは愛らしい口もとをしっかりと抑えながらも喜劇がくれる感情に身を揺らしていたね。状況が状況なら、大爆笑だろう。後で、酒宴の場で語り合うべきイベントが誕生したな。『ツェベナ』の役者が出てくるのなら、末代まで語りがれる喜劇かもしれん。


 まあ。


 あの長身で美形の青年が、振られでもしたら―――カイ・レブラートは、最悪のタイミングで、お義兄さんと初顔合わせということになる。


「……マジ……がんばって、お義兄さん…………っ」


「……ぷぷぷっ!」


 リサが静かにだが身を悶えさせていたよ。『ツェベナ』の客席は、しっかりとした作りをしているから、軋むような音を立てることもない。


 とても、喜劇に向いている場所ではあるが……カイのためにも、あの美形野郎が告白を成功させることを祈ってやるよ。失敗して、感情表現豊かな役者の男が、大泣きしながら、こちらに気づく。カイが、どんな顔をすることか。


 楽しんじゃいないよ。


 口もとが緩むのは、友人への祈りのためさ。少なくとも、リサほど爆笑したがってはいない。




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