序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その8


「お、おう……っ!二人とも、静かにだ。お義兄さんの芸術の練習を邪魔させてはいけないからな……芸術は我々を受け入れてくれたんだから、芸術家のお義兄さんには、我々はへりくだろう……静かに、目立たず……っ」


「……まあ、構わんがね」


「たしかに練習中をお邪魔するのは、無作法なところもあります」


「じゃあ、終わるまで待とうかな?」


「『英雄』、ストラウス卿を待たせるなんてこと、させない方がいいと思いますよ。『プレイレス』の実質的な救世主ですから。心苦しく感じさせてしまうかも」


 ラウンジで待つのなら怒ったりはしないが―――相手がどう受け止めるかも考えた方がいいかもしれん。カイ・レブラートはプライベートだが、オレはプライベートな立場になり切れんところがある。『プレイレス奪還軍』の総大将だった男だし、『自由同盟』の『スパイ/非公式の外交官』……だったはずが、気づけば公式の外交官じみている。


「大物に気を遣わせるなんて、大人は嫌がることですから」


「お、おお。それじゃあ、行くしかないんだな……っ」


「迷いが消えて良かったじゃないか」


 肩をすくめて笑顔を引きつらせるエルフ族の青年がいた。あまり納得していないようだが、構わんか。全てに納得していなかったとしても、動かなければならないのが大人でもある。


「では……失礼しまーす、お義兄さん……っ」


「小声で入るという方針は変わらないんですね……」


「喜劇の予感がしていいことだよ」


 意地悪な皮肉にも反応しない青年がいたな。いい集中力だよ。赤い生地の縫い付けられた飾り気の強い扉が音を消して開く。広々とした演劇の空間だ。音がね、変わるのさ。より反響を意識した作りをしている。建築に宿る哲学の違いを、肌や耳で感じ取るのは楽しい。


 戦闘の訓練になるからね。


 ああ、もちろん。偉大な芸術をより理解したがってもいるんぜ。若者たちや、インテリたちや、議員たちと関わることでね、視野は広がっている。もっと大きな大人になりたくて、色々なことを知覚したいんだよ。いい変化だろ。


 さてと。


 音が伸びる空間に、我々は隠遁で挑む。殺し屋みたいに息をひそめて、オレは完全な無音になっていた。カイは、コソ泥みたいだな。背筋は曲がり、呼吸を押し殺そうとはしているものの、緊張のせいで呼気も吸気も延長していた。ムダに音を立てる。過度な前傾も、音を殺す歩き方としては失敗ではあるが、ミスター・ジェンを殺しに来たわけでもない。


「……お二人とも、何だか本気すぎませんかね……おしとやかにしていれば、いいんですよ、多分?」


「……そんな、余裕は、ないよ。とにかく……す、進もう。舞台に、いる、あ、あれが、あれが、お、お、お義兄さんか……ッ」


 脂汗でもあご先から垂らしていそうな緊張感だ。狩りなら失敗してしまうところだな。リエルが教官役だったら、しかられているところだぜ。だが、ミスター・ジェンは野生動物ではない。役者だからな。


 舞台の上に、君臨している。かがり火で漁をする中海の漁師みたいに、暗がりが支配する『ツェベナ』の舞台のあちこちにランプを置いているな。幻想的な輝きだったよ。何かしら、練習のための意味を帯びた道具なのだろうが……。


 芸術家ではないオレに、それらの意味を嗅ぎ取ることは難しい。せいぜい、配置から間合いを嗅ぎ取る程度のことしかやれんよ。つまり……あの役者さんは、面白いコトをしている。


「……知覚を、あの明かりの範囲に収めているんだろうな」


「……あら、そうなんですね」


「そう感じるよ。あの明かりの範囲なら、殴りかかれる―――いや、何かしらの行動を取れるぜ。ミスター・ジェンとやらの身長から察すれば、三歩以内に、どの明かりにも届く。ゆるやかな歩幅、急いでせっかちな歩幅……ああ、全力で飛びつくような間合いのものもある。あれは、動きを的確に表現するための練習ってところか。いい発想をする」


「……総大将は何で北方の野蛮人で、芸術から縁遠い風貌をしているのにさ」


「余計なお世話だ」


「どうして……プロの演劇や音楽を堪能して育ったはずのオレより、そういうのが『見える』の?」


「武術を極めようと努力もしているからだ。同じだろうよ、演劇も、それも。理想の形になるように状況を引きずり込むだけのハナシさ」


「……なんか、すげー……オレ、あそこに行く資格が無いんじゃないかって思えるよ」


「劣等感は、抱かないことですよ。ストラウス卿は、それをすべき対象じゃありません」


 どういう対象なのかは、気になるけどね。愛されるべき対象でありたいものだよ、『仲間』であるこの二人にとって。


「……言えてる。総大将は、やっぱりスゲー……」


「お前も、いい仕事をした。本当の英雄は、散って行った戦士のみ。お前は、そうではないが、彼らから認められる実力は持っている。とっくの昔に、『一人前の男』だということだ。あの明かりに、近づく権利など、すでに有している」


「……うん。いい言葉。勇気づけてくれて、ありがとうね」


「お前よりも、お前のカノジョのためさ。さあて、ミスター・ジェンが、気づく……いや、オレたちにでは、ないか」


 精密な意識の結界のなかに、誰かがやって来たようだ。緞帳の端に隠れてしまい、見えないが……彼の同業者か何かかな……足音が、小さいが……。


「や、やあ……き、来て……くれたんだねっ」


 ミスター・ジェンが、役者らしくない慌てた声を使う。集中が解けてしまっているな。ついさっきの達人のような気配はなく、何だか……いきなり、目の前のヘタレ野郎とよく似ている気配を出していやがったよ。


 


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