序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その7


 赤毛同士で夏の海に沈んで行く太陽を、酒呑みながらラウンジで見送るというのも、楽しい催しだろうがね。ドレスコードもばっちりだしな。竜太刀こそ背負っているが、竜鱗の鎧は着ちゃいない。職人に修理に出している。手元にあっても体を休ませるために着ることはなかったさ。


 割りと、疲れているのは確かなんだよ。


 でも、いいさ。香水がかおり、赤いじゅうたんの敷かれた『ツェベナ』のなかは、ランタンのぼんやりとした明かりと静かな闇があってね。芸術的に素敵な場所ってものを楽しむだけでも、気分転換にはなる。


 この音が香るように反響する建築は、ガルーナの竜騎士の感覚には楽しくもあるよ。ピアノのなかに潜り込んだ猫は、こんな気持ちになれるんじゃないか。ああ、ヘンテコな感覚だから、インテリたちには聞かせないでおくよ。どうせ北方野蛮人的な『気のせい』だ。


「さて。あとは喜劇が冴え渡ってくれればいいんだが」


「末代まで語れるようなイベントになれ、ですよね!」


「オトナども、意地悪が過ぎるからな。こっちは、マジで、一世一代のド緊張だ。10万人の市民の前で演説するよりも、たった、ひとりのお義兄さんの方が、緊張するとか……」


「恐怖症は距離感の違いから起きるとのことですよ」


「距離感?」


「他人は、意識の世界においては『遠く』にいますから。お義兄さんは、違うんでしょうね。とても『近く』に迫ろうとして来ているのよ、ファザコン坊やの心に」


「ファザコン坊やは、マジでやめて。カッコ悪さが、ひどすぎる。所帯持ちになるんだぞ、オレ……でも、ありがと、リサさん。恐怖を、コントロールするんだよな?」


「ええ。少し冷静になって、客観視を使うことでしょうね」


「やってみたい。けど、どうするんだ?」


「心理研究は専門ではないので。ストラウス卿、オトナの男性としてアドバイスはあられますか?」


「恐怖を御する方法か。色々とある」


「さすが、総大将。猟兵のトップは違うな。で、どんなの?超人じゃなくても使えるやつがいいよ。魔法のユニコーンを乗りこなしているからとか、狼に変身できるからとか。そういう普通の大学生には縁遠い方法じゃないのがいい」


「これだけ饒舌なら、別に心理操作術を頼る必要がないかもって気がしますよ……」


「転ばぬ先の杖は何本あってもいいだろう?」


「欲深い。金持ちのクソガキらしいわ……」


「ときどき、リサさんから冷たい言葉が出てくるんだけど?」


「『近く』に来たんだろう。今のお前は、普段とは違う。つまらん欠点を隠し切れるだけの器用さをなくしている。女にモテないモードってことだ」


「それは、ダサいな。でも、今は、他の女にモテなくてもいいんだ。ただ一人のお義兄さんにだけ必要以上に愛されたい。良く思われたいんだよ、カノジョとの結婚生活をより順風満帆にするために」


「我欲を極めようとしています」


「違うよ、カノジョのためでもあるじゃん?」


「まあ、それは、そうですねえ。幸せな若いカップルが増えるのって、良いことですからね。ストラウス卿、教えてあげてくださいな」


「カイの妻となる乙女のために、騎士道を使おう」


「……はあ。オトナたちは、演技かかっているよ。『ツェベナ』の劇場だからって、遊びすぎだ」


「本気で教えてやる。『自分だけが怖い』と思うな。敵……いや、義兄も怖いのさ」


「え?本当に?」


「当たり前だぞ。自分の妹の……夫だと。オレだったら、つまり―――ミアの夫、か。そんなものが、接触しに来るなど……どれほどの恐怖なのか」


「い、いや……っ。あんた、怖がってる方の顔していないって!?」


「愛されていますねえ、ミアちゃん」


「お兄ちゃんは認めんぞ」


「……ああ、ちょっと、待って。怖がらせるなって!!総大将の迫力に、ビビっちまうじゃないか……っ」


 ミアへの愛が、少しばかりほとばしってしまったようだ。ミアの婚約者、ミアのカレシ、ミアの恋人―――そんな概念をオレに突き出したカイ・レブラートに罪がある。敵対行動に近しい行いだぞ。


「でも。ストラウス卿の仰る通りかもですよ」


「全ての兄は、妹の恋人を殺したいってこと?」


「違います。お義兄さんにも、『恐怖がある』ということですよ。自分の人生が、良い方向であったとしても大きく変わるんですからね。そういうのって、誰しも怖い。ヒトって、自分の基礎となる場所から動いちゃうのが怖いんですよ。進むことも、後退することも怖い。だから、変わらない平穏に安らぎを感じられる。良い状況になると分かっていても、変化へ二の足を踏むのがヒトです」


 変化を、怖がる。リサの指摘の通り、ヒトの持つ普遍的な本能なのだろう。どこかの、赤毛の野蛮人も、そういうのを怖がっていたから、分かるぜ。『敵の剣術』を遠ざけるように封印していたり、怒りに狂う『兄さま』から変わることを怖がったり。ヒトは、何かしらの変化を怖がるものだ。


「……ということらしい。カイ、相手も怖がっている。それを理解しろ。相手は、お前から『遠ざかり』たいんだ。イメージしろ。『遠ざかる』相手に、戦士の本能は脅威を覚えることはない」


「…………そう、だね。うん。落ち着けた、かも。オレだけじゃない。そうだな。怖がらないことは、ムリだけど。怖さを、少しコントロール出来そうかも。お互い、ぎこちなく、距離を取りたいんだ。なるほど、『遠い』……ちょっと、怖くなくなった」


「じゃあ、いいタイミングですね。そこの扉を開いて、お義兄さんに会いましょう」


 やっぱりね、リサを連れて来たことは正しかった。女性ならではのやさしさとか、知性ってものはある。何より、面倒見がいい。知的なアイデアを出してくれるほどには、『カイ・レブラートさん』のことも心配しているんだから。




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