序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その6
青年の覚悟はどこか慎まし過ぎるようにも感じたが、あまりいじめるのも悪いか。『プレイレス』の亜人種には一種、革命的な行いでもある。差別というものは、日常のそこかしこに転がっていて、世の中の認識を少しずつ歪めているものだ。
あまりにも身近にそれがあると、気づくことさえ出来ない。
その事実を考えれば、この慎ましい行いは歓迎すべき変化でもあるのか。
噴水の左右を曲がりながら走る階段を上って、芸術の館が見えて来る。『ツェベナ』だ。懐かしいというほどでもないが、色々と騒動を起こした場所だからな。印象深い。何人か、知っている顔もいる……あいさつをするのも悪くはないが、カイのあいさつを優先しよう。
まずは。
衛兵のように『ツェベナ』の入り口に並び立つ、二人の紳士の相手をしなければならない。気配を消せはしないかもしれないが、オレはカイの後ろにいる。エルフのカイが、『ツェベナ』に受け入れられるかどうか、そいつを試したくもあるんだよ。
「いらっしゃいませ、レブラートさま」
「お久しぶりです」
「お、おお」
さすがは、金持ちということか。レブラート家のお坊ちゃまは、顔を覚えられる程度には『ツェベナ』を訪れている。それでも、あそこまで気を使うことになるのが、差別の深さを表してもいたな。
「今日は、どんな御用でしょうか?」
「まだ、『ツェベナ』は平常運転というわけにはいかないのですが……」
「その、実は……会いたいヒトがいるんだよ。役者のミスター・ジェンに」
それが、婚約者の兄貴か。ミスター・ジェン。知らない名前だ。当然か。知らないアーティストの方が、この芸術の館には大勢所属している。
「彼なら、練習中ですよ」
「ですが、レブラートの坊ちゃまは、彼のファンでしたか……?」
「いや。ファンってわけじゃ―――いや、違う違う!そう、ファン!前々からの大ファンだったんだぜ、マジで!!」
社交術の技巧は緊張のせいで錆びついてしまっているが、軋む音を立てながらも機能はしていた。露骨なまでに義兄となる男を持ち上げている。執事のような服装の『ツェベナ』の門番たちは、にこやかにお世辞を受け止めているが、バレてはいるだろうよ。
「で、会える、かな。前もって、連絡はしていないんだけど」
「……ありえないわ。大事なところでしょ、それ?」
リサ・ステイシーとカイ・レブラートがプライベートでつるむ日はなさそうだ。なくてもいいがね。ガルーナの野蛮人みたいに一夫多妻であることを望まないのが、『プレイレス』のインテリたちなのだから。
「ええ。会えますとも」
「しかし、『ツェベナ』への入場料はいただきます。演目はしていませんが、ラウンジは開いていますから」
「分かったよ。で、その……三人分をオレが支払うけどさ、通常料金でいいか?……つまり、亜人種への割増料金じゃなくて」
言い切ったところは、評価してやろう。この調子で、本番のあいさつもスムーズに口に出来ればいいんだがな。
さて。『ツェベナ』は、どんな対応をしてくるかね。オレに、気づいてはいるだろうが、アーティスト集団はガンコだ。己の考えのままに動くだろう。レヴェータに逆らって、死んだ役者が何人もいたように。彼らは、素直な生き物だ。
「……ええ。当然、あらゆる人種が、同じ料金です」
「『ツェベナ』の制度も改革が進みました。今となっては、改めるべきことですからね。私たちだって、あの『奇跡の少女』を見たんですから」
……アリーチェも、世界を変えてくれている。さすがだよ。あとで、お前のための仕事もするからな。
「お、おお。そうだよね。ハハハ。良かった。拒絶されたら、オレはともかく、あの赤毛の大男が暴れていたと思うぜ!」
「暴れるのは、得意だからな」
「……だってさ。あんたたち、良かったよ。座長さんがガンコ過ぎたら、前歯が何本か行方不明になっていたかもしれない。さてと……じゃあ、三人分の料金と、これ、チップね!」
ああ、まったくもって、金持ちのせがれらしい。
金貨が見えた。小さいが、銀貨の何十枚か分にはなる。
「……え。何、それ。差別料金の方が、よっぽど安いんだけど?」
「何で、ドン引きしているんだよ、リサさんってば?」
「色々なことが、馬鹿らしく思えて来たからよ。私の給料、どれくらいか知っている?」
「そりゃ、知らないけどさ?でも……まあ、その。自慢じゃなくて、ただの事実なんだけど。オレの家、金持ちだし。彼らはさ、良い仕事をしてくれたじゃないか。それに報いるべきだろ、金持ちこそが率先してさ?……父さんから、そう習ったんだけど」
「ファザコン、なのかしらね……」
「そういうのじゃないから。はあ、もう、いいよ。とにかく、行こうぜ。『ツェベナ』は差別的じゃなくなった。芸術は、亜人種の前に開かれた!我々の勝利だ!」
「……金持ちのガキの、恋愛なんて、興味ないのに……」
舌打ちするリサ・ステイシーも、何だか新鮮でいいもんだぜ。新しい側面を知れて、嬉しくなっちまうよ。
「ククク!まあ、娯楽の一つとして、見守ろうぜ」
「……そうですね、ストラウス卿に賛成します。はあ、前々から『ツェベナ』のパトロンまでしているのなら、もう波乱なんて起きないですもんね……せいぜい、若者が自滅的にあわてるだけで」
「それを見たくもあるよ」
「ですね。豪華な『ツェベナ』で、金持ちの息子の笑える喜劇を期待しましょう」
「意地悪コンビじゃないか。仲良しだなあ、オトナたちは!!」
「まあな。では、行くとしよう。ミスター・ジェンのところに……それとも、オレとリサはラウンジで酒でも吞んでおこうか」
「それ、ありです」
「いやいや。ついて来てくれって。緊張してるんだからな、これでも!」
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