序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その4
質問したいことはいくらでもあったが、視界に入ったものからにしよう。壊れた屋根に上り、汗を鼻先から垂らしながらも作業している石工の中年男を指差した。
「彼らは、どこから石材を?」
「……軍事的に課題は残るとは思いますが、城塞を、分解しました」
「なるほどな。確保が、早過ぎると思ったが……」
「古い石材でないと、馴染まないとのことです。とくに、『モロー』の美しい建築を再建するためには、新しく削り出した綺麗なだけの岩では、味が足りないそうです」
「芸術家的な思想だな」
「です、ね。少しばかり、独善が入っているかもしれませんが。でも、文化の面では、これはしょうがないことかとも……もちろん、帝国の再侵略を考えれば、あまり良い方法ではないのですが……まあ、でも、古い時代の城塞は、あまり有効でもありませんでしたから」
「高さが足りないな。だが、可能ならば、城塞を幾つか作って欲しいところだぜ。『プレイレス』を奪おうと、再び帝国が躍起になる可能性はある」
「そうなのですが。職人の意見は、やはり……こちらを優先したいようですから」
「……確かに、荘厳な建築ではある。オレも好きじゃあるが……何か、対策を、練るべきではあるな。議会とやらで、そういう発言をすることはリスクがあるかい?」
「いいえ。ありません。正しい指摘ですからね。ストラウス卿、『プレイレス』の市民は議論が好きなんですよ。議論とは、意思形成のことですから。異なる考え方を理解しようとしながら衝突させて、新しく機能的な考えを作ることです」
「……難しいな。『王なき土地』の特有な考え方は……王や賢者の独断では、決められないと来ている」
「そうですね。時々、弱さや脆さ、遅さを持つことですが。しかし、真に知的な議論を使えれば、大きな発展を呼び込めますので」
「分かった。言ってみるよ。猟兵的らしい主張になるかもしれんが、帝国の再侵略にも、まだ緊張感を持っていて欲しいからな」
楽天的なところもある。そんな印象を、この知的な土地には抱きもした。豊かな土地があるからだろうか。温暖な気候は、北方で生まれた男の攻撃的で野蛮な考え方よりは、前向き過ぎるようにも感じた。
「……助かるぜ、リサ。質問できて、また一つ、『プレイレス』を理解するための手掛かりを得られたよ」
「どんどん、ご質問してくださって大丈夫ですからね!」
「甘えることにしよう。君は、アホな男を賢くするのが好きみたいだから」
「は、はい。その、好き……ですよ!」
「……北方人は、いつでも口説くのか?……友人が結婚のあいさつに向かう途中でも?」
「く、口説かれてませんからね!?そんなの、不倫じゃないですか!?」
「大丈夫だよ。総大将のヨメが一人や二人増えたところで……北方って、そんなことじゃ何も感じないんだろうからさ……」
「いえいえ。ちゃんとした結婚制度がある北方の国は、数多くありますから!!」
ちゃんとしていない結婚制度を持つ国らしいが、構わないよ。愛するヨメがたくさんいるとか、幸せ以外の何物でもないんだからね。
このように。価値観っていうのは、多様だということさ。侵略者への備えよりも、美しい建築の再建に夢中になれる者たちもいる。いかがなものか、とも思いもするがね。だが、実際のところ、この弱い備えが成し遂げた傷の少なさというのもある。
長く戦いが続くほどに、戦火は深く国を傷つけるが、前回の侵略でも、今回の奪還でも、極めて短期間で勝負がついてしまったからこそ、被害は最小限だった。街の受けた損傷も、軍隊同士の争いよりも、レヴェータと『エルトジャネハ』が暴れたせいで負ったものばかり。
弱い備えが。
『勝利が決まりやすい空間』が……。
結果的には死傷者を少なくした。
戦士としては、少しばかり受け入れがたさがある事実だったがね。現実は、そうなっているんだよ…………。
「…………あ。そうか」
「どうかしましたか、ストラウス卿?」
「マクスウェル・クレートンからもらった本に書いてあった文章の意味が、少しわかったなと」
「どういうことなんです?」
「古い戦術だ。それこそ、『古王朝』より前の時代の戦で使われた手法。『さっさと白旗を上げた同盟国』」
「マローニャの戦いですねー」
「弱くて、つまらない同盟相手だ。そんな雑魚どもと組んだことを、普通は恥じるが……すぐに降参したせいで、その国は人材が保全された。軍人たちは追放されたが……周りの都市国家に吸収されて、大反撃の時を待つ」
「そして、都市国家全てが北方からの侵略民族に対して一致団結し、全土で消耗戦を繰り広げながらも、最終的に勝者となった。この戦いで、最も台頭したのが……」
「さっさと白旗を上げた国。そいつらは、戦災をそれほど被っていなかったからだ。祖国の復興も早く、再び集まった軍人たちも無事だった。そいつらが、次にしたのは」
「『プレイレス』全土の掌握のための侵略でした。彼らが、『古王朝』の第一王朝を築いた人々ですね」
「負けたのに、最終的な勝者だった。今の時代も、同じような対応をしたか……」
「結果的に」
「……いや。違うさ、リサ・ステイシー。文化ってのは、明文化されないうちに、ヒトの意志に左右するものじゃないかと、感じている」
「興味深いですね」
「だろう?……オレは、そこに学術的な興味は持てんが、軍事的な興味は持てる。『第九師団』の侵略を受けたときと、今回の大反撃の際に……伝承されていたかつての記憶が、戦略をなぞらせたのかもしれん」
「そう、ですね。クレートン教授が、その本を渡したということは、少なからずその可能性を考えているからでもあると思いますよ」
「つまり」
「つまり?」
「敵の文化と歴史を知れば、より潜在意識下での動きさえも、読めるんだろうな、と。反射的な感情や、知性頼みの合理的な判断だとか……それ以前の、より深い。まるで、そいつら特有の本能のような動き。そいつを読めば、今よりも好き放題に敵を始末できそうだ、と……」
「……なる、ほど」
声に怯えが混じっていた。ストラウスの血が悪癖を露呈していたのかもしれない。戦いのことを考えると、歓喜を抱く。良くないことだ。戦士としては正しいことが、善良さに欠く振る舞いだということも、肝に銘じておかなくてはならん。
「すまないな。学問の、戦争利用ばかりを考えるようで」
「いえ。この時代と、ストラウス卿には必要な考え方ですから……貴方には、勝利してもらわなければなりません。この戦いは、皇帝ユアンダートを討ち取るまでは、終われませんから。皇太子は……『プレイレス』の土地で、死にました。父親である皇帝の憎しみは、我々に向かうんです」
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