第十五話 寝坊助な猫
だれかの声が近くで聞こえて、ぼんやりと意識が覚醒していく。
寝る前はあいていたカーテンが閉じていて、隠れるのを惜しんだ満月は見えない。……カーテン越しに聞こえる会話にまた眠くなる。適温に設定されたエアコンに、おれのぬくもりでぽかぽかな布団は居心地がいい。
起きようと思ったけど、もうひと眠りするか。眠気に抗うことなく瞼を再び閉じる。その奥で、カーテンが煩く開く音がした。うさみかな。
うさみなら、おれの邪魔はしない。すこし寝苦しくて寝返りをうつと、おれの前髪を、だれかが撫でた。少し乱暴で、不器用なそんな手つき。ゆっくりと手の温度がはなれていって、寝惚け眼で目を開けた。
「……」
――うさみが、何かを耐えるようにカーディガンの裾で口元を覆ってた。その顔は死人みたいに真っ青で。とくべつな言葉はいらない。どうしたのか問うように、ふわっと欠伸を吐く。
不安気に揺れていたお月様が、前髪からひっそりと姿をだして、俺を見つめる。
「……うさみ」
凛月くん、とおれを呼ぶ声は僅かに震えている。俺を通してだれを見ていたのか、目線がうまく合わない。それは、深海を静かに揺蕩う提灯のようだった。
どうしてそんなに泣きそうな顔をしているんだろ。そう考えていた時、あ、とひとり思い出す。ねこもどきが来る前に、中庭でこっそりとつんだ小さな黄色い花。あとで部屋に飾ろうかとおもってたそれを、ポケットから摘まんでうさみに見えるように持ち上げる。
「これ、うさみ」
「僕、ですか?」
「うん」
金色の瞳と温かみのあるこの花は、どこか似ている。きょとんと目を丸くさせて、少し首を傾げて固まっていたうさみは、ふふ、と吹き出した。
その顔色はさっきよりも良くなっていて、おれは安心した。
「お庭で摘んできたんですか~?」
「そう。風が吹くとゆれて踊っているようにみえる。寝てるときにおもいだした」
「楽しいお花さんですねえ」
そう、この花はたのしいお花。花の重みで枝がしだれて、春風が吹くとゆれて踊っているように見える。それと、この花の持つ言葉は「祝福」だ。うさみが何に怯えてるのかはしらないけど、これで少しでもまぎれるといいな。
なんだか、寝る気がうせた。
だけど、教室にも行きたくない。中庭も外もダメ。午後はどこで時間をすごそうかと悩んでいたら、鼻先に爽やかな匂いがかすめた。今度は後頭部をがしり、と掴まれ、わしわしと乱雑に撫でまわされる。
うさみの手じゃない。誰だ。手の持ち主を探るために、おれは顔だけ上を向けた。その拍子に顔に影がかかって、頭上から不機嫌そうな低い声がふってくる。
「ご主人様に挨拶はナシか?ああ?」
「……よだか」
「寝坊助な猫め」
「いたの」
「ふん」
「ん、っぐっ」
目覚めてすぐに目にはいったのが宇佐美で、冗談抜きでよだかが居ると思っていなかった。だから正直にそう言えば、いきなり鼻をつままれ、息が喉に引っかかって、ぐぐもった声がこぼれた。息ができなくなったから、口でするしかなくて、そうする口を開いた俺の姿を上から見下すよだかは、小さく笑って鼻から指を離した。
何がしたいんだ。毎回、この人はうざい。
抵抗を示すためにわずかにべっ、と舌をだせば、よだかは目を細める。
「…なに」
「入学早々、自由気ままな子猫ちゃんを躾けるのも俺の仕事だ」
「おれはねこじゃない」
「はっ、それはこれからのお前の行動次第だな」
「ふぎゃ」
よだかが俺の上に跨ってきたかと思ったら、いきなり脇をつかんでもちあげられる。さながら、次期王となるライオンが誕生した時に、儀式で大勢の動物の前でかかげあげられた気分だ。
ねこじゃないと否定しておきながら、首根っこを掴まれたねこみたいに悲鳴をあげたおれを、そのままよだかは肩にかつぎだした。
「どこにいくの」
「お前を躾けるのは俺
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