第十一話 親衛隊


 学園の入学式から、一日が過ぎた。

 あれから凛月君が教室に戻ることは無かった。この学園の生徒会と風紀委員は、成績を落とさなければ授業の免除がされ、授業に出なくとも問題は無い。行事の運営や企画進行、学園の風紀を正したりと仕事を全うする彼らには相応の優遇がある。

 勿論その他にも条件はあるが、凛月君にとっては睡眠が出来ればそれはどうでもよかったのだろう。


 この時期は、特に眠気を誘う。

 鐘の音が鳴り響く中庭を、呑気に欠伸をこぼしながら一歩踏み出すと、春の暖かな陽気が、中庭に咲く花々を小さく揺らした。



 そう、凛月君は教室に戻らない。


 授業免除のことを知らない彼のクラスメイトは、いつまで経っても教室に来ない凛月君にそれはそれは、悲鳴を上げていたそうだ。凛月君が誘拐されたとか、凛月君はきっと迷子なんだとか。色々な憶測が飛び交っていたらしい。

 まあ、そう思うのも仕方が無い。僕も知らなかったら騒いでいたし、心配していた。

 けど、誘拐されるって憶測はあながち間違いではない。この学園がいくら名門男子校で、在学する生徒の殆どが金持ちと言えど、ガラが悪い奴、――所謂不良は存在する。


 中には、無理やり犯罪行為を行われたとか、風の噂で聞くことがある。他にも厄介なのは、過激な親衛隊。彼らは盲目的で何をするか分かったものじゃない。だから、風紀を取り締まるために風紀委員会は存在するのだろう。



「どこに居るのかなぁ」



 それもあって、僕は凛月君を探している。今の彼は危険な状態だ。彼によからぬ感情を抱く人間は一定数居る。それが、あのランキングの意味を示している。新入生ということもあって、いくら生徒会という後ろ盾があろうと、彼を守るものはない。

 そんな彼が、噂じゃあ襲ってくださいと言わんばかりに、無防備にすやすや眠っていると言うではないか。


 休憩時間の校舎の中庭は、人気が無い。

 昼時は暖かな日差しもあってベンチはすぐに埋まるが、数十分の休憩にわざわざ足を運ぶ人間は少ない。今日は珍しく、ベンチから少し離れた場所で囁き合う一年生の姿が見えて笑みが浮かぶ。一年生の間から見えた、艶やかな黒髪。

 ――見つけた。



「凛月君が寝てる…!」

「寝顔もきれい…でも、午後からは少し肌寒くなるし、起こした方がいいのかな?」

「そうだね、もうすぐ授業が始まるし…」


「あー、ごめんね」


 一年生が手を伸ばして凛月君の肩に触れる前に、僕は声を掛けた。振り返った一人が僕のループタイに目を遣って、僕が二年だと気付くと、緊張からか真新しい制服の裾を握る姿は実に初々しい。安心させるように微笑むと、僕が怖い先輩だと思わなかったのか、一年は警戒心を解いたようだった。

 ついこの間まで僕も一年生だったのに、何だか変な感じだ。


 なっがい睫毛だなぁ。

 起こさないようにベンチに近付いて覗き込むと、柔らかい日差しの下で瞼を瞑る凛月君につい見惚れてしまう。

 今は無性にその寝顔を一人で独占したくて、僕は笑って一年に振り返った。


「もう授業始まるから、戻った方がいいよ~」

「えっ、あ…でも…」

「だいじょーぶ、大丈夫。僕が責任を持って起こすから、ね?先輩を信じてよ」


 そう首を傾げてウインクすると、一年生達は頭を下げて校舎に戻って行く。途中で後ろ髪を引かれるように振り返るのは、凛月君への心配からか、僕に対する不安からかどっちだろう。牽制したつもりは勿論ないけど、少しくらいいいよね。

 完全に一年生の姿が見えなくなると、控え目に凛月君の傍でしゃがみ込む。目覚めたら上から見下している人間がいたら、誰だって不快だろう。



「凛月君ー」



 相手が寝ているのをいいことに、声を掛けても起きることが無い凛月君をじろじろと観察する。閉じた瞼から生えた長い睫毛が頬に影を落としていて、やっぱり睫毛が長いなぁ。サラリと垂れる前髪を指で払うと、薄く赤く色付いた唇が開いた。

 そこから聞こえるすこやかな寝息はとても可愛らしくて、猫が喉を鳴らす音を聞くのと同じくらいに心が安らぐ。


 ――ああ、かわいい。


 けど、だめだ。このまま寝かせてあげたいけど、さっき一年が言っていたように午後からは少し天気が悪くなる。凛月君が風邪をひく姿なんて見たくない。心を鬼にして、胸の前で握りしめられた男にしてはほっそりとした手の甲を眺める。

 僕の手とは全然違う、色白な肌。それを、つう、と、指先でなぞって行く。

 それは滑らかで、華奢な指を辿るようになぞると、くすぐったかったのかぴくり。と凛月君の指先がわずかに震えた。


「んん…」

「おねむかにゃ~」

「……ん、ねこ…いいこ…にしてて」


 つい、いつもネコチャンと戯れるように声を掛けると、寝惚けているのか僕を猫と勘違いした凛月君は、僕の手を抱えるように握った。

 僕は、言葉に詰まって、まじまじとその手を凝視した。これは、なんだ。起す為にちょっとした出来心で悪戯したつもりが、凛月君に抱きしめられていて、きっと顔を赤くしている僕は間抜け面をしている。そう、寝惚けているんだ。だから。


 我慢できず肩を揺らすと、ようやく凛月君は目を開けた。まだ眠たいのか、目を瞬いてぽやーっと僕をその瞳に映している。


「起こしてごめんねー」

「…ねこじゃない」


 不思議そうに凛月君は、抱いていた僕の手に指をゆるく絡ませる。手の形をした猫が居るならそれは見てみたい。きっと僕は物珍しさから撫でまわす。

 にぎにぎと、絡んだ指先から凛月君の体温を感じて、その手がすっかり冷えていることに気付く。そりゃあ、いくら暖かいとはいえ長時間外に居れば身体は冷える。


「ネコチャンじゃなくてごめんねぇ。凛月君ー、午後から天気が悪くなるから校舎に入ろう?」

「…ん、そう」

「風邪ひいちゃうよー」

「……それはいや」


 眠気に抗いながらも返事をする凛月君に愛おしさを感じていたけど、流石に凛月君も風邪をひくのは嫌みたいだ。ゆっくりと、ベンチに寝転んでいた凛月君は身体を起こす。

 そのまま俯いた拍子に、サラリと前髪が垂れ落ち、凛月君の紫紺の瞳を隠してしまう。それがもったいなくて、繋がれていない片方の手をゆっくり伸ばす。

 指先が髪に触れる直前に、凛月君はビクリと一瞬肩を震わせて、ぎゅ、と目を閉じた。


「それと、今日はお願いがあったんだ」


 目にかかる髪を払って、そのまま梳いて耳にかける。長い睫毛が震えて、ゆっくりと瞼が開かれた。僕を見上げるように伏せられた目と目が合って、ななみゃーにした提案を思い出す。


 僕がななみゃーに提案したのは、僕達で凛月君の親衛隊を立ち上げてしまう事だ。

 そのうち、すぐに凛月君には親衛隊が出来るだろうけど、それじゃあ遅い。親衛隊には親衛隊で面倒くさいルールや、細かい決まりごとがあるところがある。過激な親衛隊を作って、彼に迷惑を掛けるつもりは無い。

 そうなってしまう前に、僕とななみゃーで作ってしまう。


 七宮が凛月君に何かしらの感情を抱いたのは、一目瞭然だった。そんな僕の提案が断られるはずが無く、後は凛月君に許可を貰うだけ。


「…おねがい?」

「うん、お願い。凛月君の親衛隊を作りたくて」

「親衛隊?」


 とろんと蕩けた瞳が何度か僕と地面に視線を行き来し、やや間を置いて首が傾げられた。それが物事に対して、何でも疑問に思う小さな子供のようで、頭を撫で回したくなる。僕も小さな時は「あれは何?」「これはどうして?」なんて聞いては困らせていたっけ。

 凛月君の疑問はなるべく解消してあげたいけど、彼の手が冷えていることを思い出して、噛み砕いて説明する。


「君を見守る活動みたいなものかなぁ」

「…ふーん」


 まあ、見守るってのは粗方合っているのでご愛敬、ということで。そんな説明をすると、返って来たのは必要最低限のどうでもよさそうな、返事だった。

 それでも、凛月君の瞳はちゃんと僕を見ていて。そんなギャップが可愛すぎて困る。

 ふわ、と彼は小さく欠伸をこぼして、目を細めた。



「好きにしたら」



 ひらりと、柔らかな風が吹いて桜の花弁が舞う。緩やかに凪ぐそれは、ゆらゆら漂い、そして凛月君の髪に舞い降りる。艶やかな黒髪に、淡いピンクの花びらは良く似合っていた。凛月君はそれに気付いた様子はない。

 頭に付いたその花弁を払ってあげようと、前屈みになる。

 ――そのはずだったのに、今度は凛月君が僕に手を伸ばしていた。成り行きのまま身を任せていると、その手は頬を通り過ぎて、僕の耳朶に触れる。

 冷えた手が気持ち良くて、思わず制服の袖から覗く細い白い手首を眺めた。


「猫」


 僅かに目を細めた凛月君が、ふに、と耳朶に付いた猫のピアスをつまむ。ああ、これが気になったのか。まさか凛月君から触れられるなんて思ってなくて、僕はただネコチャンだよ~と笑うことしか出来なかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る